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シン・ゴジラをゴジラとは認めない理由

『シン・ゴジラ』公開されましたね。僕も既に2回観てきたんですが、まあ面白い。

特に政府の人間たちの会話、あれ最高ね。普通、会話シーンって長ければ長いほど退屈になりがちなんですが、カット割りを多くして、やや食い気味な編集と抑揚のとれた役者人のセリフ回しもあって聞いてて非常に心地がいい。あと、「ヤシオリ作戦」における電車の使い方がとにかく最高。まあ、あの場所によくゴジラいたな、よく八岐大蛇における“ヤシオリの酒”を政府の役人は知ってたなってツッコミはあるけども、あのシーンは新しいもの観てる感じがビンビンで僕は楽しめました。

で、ここからが本日の本題。

2回観てるのにこういうのもなんですが、断言します。

これはゴジラ映画ではありません。

僕がそれまで見てきたゴジラと『シン・ゴジラ』に出てきたゴジラは全く持って別のものでした。1回目観たときに、頭かきむしりながら「これじゃない。これじゃない。これじゃない。」と何度もつぶやきながら映画館を後にしたくらいショックでして。

しかしながら、シン・ゴジラのに関してツイートを見れば絶賛の嵐。

「おい、ゴジラファンよ、おめぇら、あれをゴジラ映画にしてもいいのか!」

と、パソコンの前で何度呟いたことか。てなわけで、今から5000文字を使い「ゴジラとは何だったのか。」そして、「シン・ゴジラをゴジラだと認めない理由」を話していきます。「うわ、頭の固い老害おやじが語っているわ。」って言われる方もいるとは思いますが(おい!まだアラサーなのに誰がおやじだ!!)まあ、お暇でしたら読んでいただけたら幸いでございます。

●鎮魂歌としてのゴジラ

そもそも、ゴジラとは何か?1954年に公開された『ゴジラ』ではジュラ紀から白亜紀にかけてまれに生息していた海棲爬虫類と陸上獣類の中間生態を持つ生物であり、海底洞窟に潜んでいたが、水爆実験で安住の地を追われ、出現したという設定であった。しかし、このゴジラが“なぜ日本を襲うのか?”それは『ゴジラ』の劇中では語られなかった。

その疑問に対して川本三郎は「ゴジラはなぜ「暗い」のか」という一つの論考の中でゴジラは“戦死した日本兵の英霊ではないか”と語っている。

『ゴジラ』は「戦災映画」「戦渦映画」である以上に、第二次世界大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないのかと思いあたる。”海へ消えていった”ゴジラは、戦没兵士たちの象徴ではないか。/戦争で死んでいった者たちがいままだ海の底で日本天皇制の呪縛のなかにいる……。ゴジラはついに皇居だけは破壊できない。これをゴジラの思想的不徹底と批判する者は、天皇制の「暗い」呪縛力を知らぬ者でしかないだろう。(川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』より)

1950年代に入り、日本はアメリカから入ってくるカルチャーに興味を持ち、どんどんアメリカ・ナイズされていった。女の子はオードリー・ヘップバーンに憧れ髪型はイタリアンボーイカット、トレアドール・パンツを履いてサブリナ・シューズで街を歩く。男性たちは颯爽とバイクに乗り、街で遊び謳歌する。そう、それはまるで戦争を忘れるかの如く。ゴジラ音楽の作曲家である伊福部明はこう語っている

徴兵検査で はギリギリ合格の第二乙種だった僕も、召集令状が今 日来るか明日来るかという不安の中で何年も過ごした ものです。ところが戦争に負けると、民衆はアメリカから持ち込まれた自由を謳歌するのに懸命でした。あのころ熱海や箱根に傷病兵の療養所があり、その横を人々が楽しそうに歩いていく。それを見て、われわれは苦しんでいるのに、という気持ちもあったでしょう。ゴジラが国会議事堂などをつぶすのは、その象徴のような気もします。(産経新聞社『戦後史開封』より)

●白目のゴジラ

さて、川本氏のこの論考は後にゴジラ作品自体にも影響を与える。それが『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)であった。平成ガメラシリーズの監督をしていた金子修介が本作で描いたゴジラは怪獣でありながら日本軍の英霊が乗り移ったという設定であった。そのため本作ではゴジラが白目をむきながら悪役に徹して、破壊の限りを尽くしている。ちなみに本品はゴジラファンから賛否が分かれる作品とされ有名ではあるのだが僕は本作はとても好きである。

それは、54年版のゴジラにあったゴジラ=戦争というメタファーを再現し、白目をむきながらもゴジラの枠組みの中で作られていたという事であり、この映画を見るとゴジラというものはそもそも、怒っているものであり、狂暴であるべきもの、そして破壊をするものである再確認される。ゴジラのプロデューサーでもあった富山省吾は自身の著書でこう語っている。

すべての人間が持っている「破壊衝動」、特に子供の心の中にある暴力を誘発するような「衝動」、そういうものに具体的な形を与えるのがゴジラなのではないか。子供たちはゴジラを見て、自分がゴジラになって街を破壊すればスッキリするのです。子供たち一人ひとりが心の中にゴジラを持てば、破壊的感情は自分の中のゴジラと話す事で解消される。僕はそう思っています。(富山省吾『ゴジラのマネジメント』より)

怪獣がいれば戦い、建物があれば破壊する。それがゴジラなのだ。

●ファミリー映画としてのゴジラ

そんな怒り、狂暴である存在でありながら、ゴジラはファミリー映画でもあった。特に『vsビオランテ』を終えてプロデューサーの富山氏は『vsキングギドラ』の企画を立ち上げるにあたり、組み込むべき要素として“怪獣対決物”の次にあげられた要素が“ファミリー映画”であった。これに関して富山氏は

東宝の正月映画を預かるという事は大ヒットする事が前提であり、そのためには老若男女が来てくれることが前提でありファミリー映画は外せないと話している。(WOWOWぷらすと『ゴジラを語る。』より http://st.wowow.co.jp/detail/6618)

ただ、そのように考えたときに建物を壊し、人間を踏み潰すゴジラがなぜファミリー映画となりえたのだろうか。それこそゴジラの初代特技監督でもありウルトラマンの生みの親であった円谷英二の力であった。円谷演出の特性の一つに「残虐描写を回避する」というのがあり、残虐趣味を嫌い、露悪的な描写を嫌っていたことででも有名であった。彼と仕事もしたこともある実相寺昭雄はこう語っている。

“ウルトラ・シリーズ”や“怪奇”(怪奇大作戦)の監修をされる折どんな実験精神や若気の至りと思われる破綻にも笑顔を絶やさなかったが、不必要な血糊、生理的な不潔さ、汚しい特殊メイクが画面に出ると、すぐさま撮り直しとなった。(『円谷栄治の映像世界』より)

『サンダ対ガイラ』の中で飛行場でガイラが捕まえた女性を食べるシーンを思い出してほしい。文字だけで書くととてもショッキングな感じを受けるかもしれないが、ところが女をつかんだ瞬間に一度雲間から顔を出す太陽のシーンをインサートし、その後は口をもごもごと動かすガイラが映る事で流血やグロテスクな描写が無くても食人のシーンを表現をしている。

そして、この円谷の精神はその後のゴジラの特技監督を務めた有川貞昌や中野昭慶や川北紘一にも受け継がれていた。円谷が特技監督を退いた以降のゴジラシリーズを振り返ると、ビオランテのように少し踏み込んだ生命感のある表現として生々しさを強調するという事例はあるものゴジラや相手の怪獣が血を流す表現は極力ないに等しかった。

●生物のゴジラ

暴君としてのゴジラ、ファミリー映画のゴジラ、この2つのアングルで話してきたわけだが、では今回のゴジラはどうだったのか。結論を言うとファミリー向けではないし、ゴジラに強さも感じない。いや、より正確に言えば実力としては過去のゴジラでも最強クラスなのかもしれないが、その強さを能動的には発揮していないように感じられる。

多摩川で軍隊が出てきて、住民の避難も終え、いよいよ勝負というところでゴジラは攻撃をただただ受けるだけである。もし過去作のゴジラであるならば。放射熱戦で軍隊のヘリを撃ち落とすし、戦車もガンガン踏みつける。さらに、周りにあるビルはなぎ倒すといった事もするだろうが、そういう事を本作では一切しない。中盤の見せ場であるゴジラが放射熱線を吐いて霞が関を火の海にするシーンに関しても、アメリカ軍が地中型貫通弾でゴジラに対して危害を与えた瞬間に発射するものとして描かれ、それはまるで生物における生体防御反応みたいなものであった。この違和感の正体の原因は何かと考えたときに庵野監督から竹谷隆之氏にイメージデザインを依頼した時の言葉を思い出した。

「シンゴジラは完全生物なので、外的を警戒する耳を持たない」

そう、今回のゴジラは怪獣ではなくて生物なのである。そう考えれば、今までのおとなしい描写、生体防御的な反応にも自ずと説明がつくわけである。さらに生物であるがゆえに本作では血も出るし進化もするわけである。ゴジラの第2形態では血をエラみたいな部分から吐き出して歩行し、第4形態では地中型貫通弾が命中し大量の血液が路上に落ちるシーンがインサートされる。

さて、ここで僕はこの文章を読む方々に問いたい。僕たちが好きであったゴジラは“生物”だったのかと。

僕たちが好きであったゴジラは僕たちの心の中にある破壊的衝動を映画という虚構の世界で叶える存在ではなかったのか。国会議事堂を破壊する、放射熱戦を吐き東京を火の海にする、ある時には怪獣たちと戦う。リアルな世界にゴジラはいない、だからこそ世界をめちゃくちゃにするゴジラに僕たちは共感もしたし、破壊神と呼んだ。そんな、神が完全生物となったゴジラはゴジラと言えるのであろうか。円谷特撮が、以降のゴジラ特技監督たちがやってきたグロテスクな表現を避け、血を見せないという特撮ではなく血を流し生物としての表現にこだわったゴジラはゴジラと言えるのか。

●巨大生物東京に現わる

それではこの完全生物が東京を襲う映画がなぜゴジラ映画と言われるのか。竹谷隆之氏のイメージデザインも勿論あるのだが、全編にちりばめられたオマージュ、特に要所でかかる伊福部昭氏の音楽がそう思わせている。本作ではゴジラが鎌倉へ再上陸した際にかかる「ゴジラ復活す」(キングコング対ゴジラ)や「ゴジラ登場」(メカゴジラの逆襲)やヤシオリ作戦における「宇宙大戦争マーチ」(宇宙大戦争)など過去のゴジラ作品で使用された音楽が使われているわけだが、しかしもしこれが全編、鷺巣詩郎の音楽であった場合はそれはゴジラという作品ではなくなったとも思われる。

1984年に公開された『ゴジラ』を思い出してほしい。この84年のゴジラでは伊福部氏の音楽は一切使われず、小六禮次郎の音楽を使った。それは、すなわち新たなるゴジラシリーズのスタートとしての伊福部氏の音楽は使わないことで表現したということである。そして、全く新しい音楽になっても超高層ビルをなぎ倒すゴジラやスーパーXとの闘いなど、ゴジラ映画として機能していたように感じる。では『シン・ゴジラ』ではどうかというと先ほども書いたが本作はそれまであったゴジラ像とは全く違うものを描いており、もしゴジラの音楽もかからなければゴジラとして成り立たたず『巨大生物東京に現わる』になってしまったのかもしれない。

これはラストにおけるゴジラの尻尾のアップにも同じことが言える。ラスト、ゴジラの尻尾がアップされ無数のエイリアンみたいな人型生物が生まれようとしている所でエンドロールに入り、ゴジラの音楽がかかる。あれを観て、僕はあなたのそばにゴジラはいる、ゴジラは本作では天災のメタファーとして描かれており、いつ災害は自分の身に降りかかるか分からないそんなことを表現したのではないだろうかと思ったのだがよく考えてほしい。もし描くのであれば、怪獣映画としてのゴジラであればこのような描き方は絶対にしないだろうし、ゴジラではなく別の生物で描いたほうがより合理的なのではないだろうか。シン・ゴジラというゴジラの皮を着た生物だからこそ、あれが描けるわけである。

もし、伊福部氏の音楽を一切使わず『巨大生物東京に現わる』であれば僕は凄く楽しめたと思うし、こんだけの文字数使って批判もしないと思う。すなわち僕が言いたいのは、ゴジラを作るのであればゴジラの枠を使っての表現を目指してほしかったし、本作がゴジラである必要性がないのではないかという事である。

興収が10億円を突破して、いまだヒットを続ける『シン・ゴジラ』確かにすごく面白い作品だし(面白くなかったら僕も2回も見には行かない)、是非観てほしい映画ではあるが、同時に観ながら、または観た後で一度でいいから考えてもらいたい。

あなたが観たゴジラは本当にゴジラであったのかと。

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