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ヴィンテージテクノロジーは表現の苗床になるのか



「新たな」レトロブーム

ここ数年、1990年代後半から2000年代のデザインをリバイバルしたような「新しい」レトロなデザインが人気である。当時を経験した世代からのニーズだけかと思えばそうでもなく、それらを経験していない世代(つまり20代の若い世代)からも人気を博しているようだ。

K-POPの枠を超えて世界的な人気を博すグループ、NewJeansのウェブサイトも敢えて、今よりも一昔前のウェブサイトのようなデザインにしている。

テクノロジーの限界が表現となる

NewJeansのウェブサイトのデザインのように、当時は当たり前だったものが時代が移り変わってあまり見られなくなり、その後時を経て再発見・再評価される、という流れは継続的にある。
これは当時の流行や、その時代よく使われていたツールの可能にした表現といったものが多いが、それ以外にも当時のテクノロジーの限界から来る表現上の制限が時が経って「表現」として解釈・再評価されているケースがある。

テクノロジーという1にも2にも性能や利便性が求められ、日夜研究開発が進められている分野でもそういった役目を終えたテクノロジーへの再評価が発生するのは非常に面白いと感じる。

CRTモニタからヴィンテージな質感を「見出す」

役目を終えたテクノロジーの再評価でいうと最近はCRTモニタ、つまり今ではすっかり見られなくなったブラウン管のTVモニタに再評価が集まっている。

例えば博多のキャナルシティはCRTが全盛の頃の映像アーティスト、ナムジュンパイクの作品を液晶ディスプレイではなく、当初と同様にCRTで復元した。当のアーティストの財団は「液晶ディスプレイにするのもやむなし」という判断をしていたのにも関わらず、である。外観も勿論だが、映像の見え方もCRTと液晶は大きく異なる。

CRTモニタの仕組みと概略

そもそもCRTモニタ、ブラウン管のモニタについて説明をしておく。1953年のTV放送が開始された頃から2000年代まで広く使われていたディスプレイの表示技術である。CRTはCathod -Ray Tubeの略で陰極線管という、真空管の種類を指す言葉である。この真空管があるため中々薄型にできず、今主流の液晶ディスプレイと違って厚みのある外見になることが多かった。

国内では2011年のアナログ放送終了のタイミングの前後で価格的な優位性もなくなり、急速に置き換えが進み、見なくなっていった。現在、世界で1社のみがCRTを製造しているがいつ生産終了してもおかしくない。また、CRTモニタのメンテナンスもできる人材は急速に減っており、美術館などはCRTモニタのメンテができる人の雇用やCRTモニタの整備施設に投資する状況が生まれてきている。

電子銃が生み出す独特の不鮮明な映像

物体としてのCRTモニタも独自の存在感を醸し出しているが、勿論中の映像の見え方も独特のものがある。下の画像は少し前にSNSで話題となっていたスクエアエニックス社の発売したファイナルファンタジーのドット絵をCRTで表示した状態で撮影したものだ。

引用元:https://twitter.com/ruuupu1/status/1356205335174778881/photo/1  より

こうしてみるとCRTモニタ越しに見たドット絵のほうが綺麗に見えるのが判るのではないだろうか。これはこのグラフィックをデザインした際、(無意識にしろ意識的にしろ)CRTモニタの特性を考慮したデザインになっているためだ。CRTモニタはその特性上発光部が少なく、光っていない黒い部分が残ってしまう(エンジニア的には開口率が悪い、という)、そのため、ドットのエッジがぼけたように見えて普通にドットを綺麗にくっきり表示した時とは違った印象を与える。

このようなCRTモニタを通して得られる視覚効果や表現は今再び受け入れられ、様々なゲームなどでCRTモニタ風の絵を液晶ディスプレイで表示するにはどのようにプログラムすれば良いかを様々なプログラマが研究している。

廃れたテクノロジーからヴィンテージテクノロジーへ

「絵がにじんでで綺麗に見えない」や「デカくて邪魔」といった理由で急速に廃れていったCRTモニタだが、20年の時を経てそれらが「アジ」として受け入れられ始めているのをみると、今ある様々なテクノロジーも時を経て、今度は新たな時代の表現として、ヴィンテージテクノロジーとして文化的に許容されていく。テクノロジーに求められがちな「性能」から自由になった種々のテクノロジーはそこからむしろ様々な表現の苗床になっていくのかもしれない。

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