諏訪大社 下社春宮と万治の石仏


2024.04.13
諏訪大社 下社秋宮に続いて春宮の参拝にやって来た。境内入口の御影石の大鳥居は万治2年(1659年)建立と推定されています。


ここ下社には2宮(春宮・秋宮)がありますが、最初に鎮座したのは春宮とされ、その後建て替えが計画された際、高島藩より両社に同じ図面が与えられたため、大きさこそ違いますが、神楽殿と拝殿、左右片拝殿及御宝殿と続く建物の配置は同じで、春秋両社の建築には彫刻の技が競われています。


これはご神木の杉の古木で、諏訪大社には本殿が無い代わりにこの古木をご神木としていますが、これは、自然物・自然現象を敬い神格化する古代の信仰「自然崇拝」の形をとどめているためです。


これは、春宮一之柱で、やはり一之柱は大きくてでかい故、御柱祭を観戦した際には、氏子達は3・4之柱は鉛筆のようだと言っていたを今でも思い出す。


御柱は各社それぞれ4本、計16本からなる大木で、樹齢200年を超えるとされるモミの木を使用し、直径約1メートル、長さ16メートル超、重さ12トンにも及び、氏子たちが4月から5月にかけ、大木を人力で運び、神社の四隅に立てかけるものであった。


2022年のコロナ渦では、祭り史上初のトラックでの輸送となっていた。


また、半年に一度、8月1日に春宮から秋宮へ、2月1日には秋宮から春宮へ神様を遷す神事、遷座祭が行われますが、これは全国的にもとても珍しいことで、特に8月の遷座祭の前夜には宵祭りが行われ、長持ちや神輿などのパレードが華やかに行われるほか、遷座祭当日には、柴舟とよばれる長さ約10メートル、重さ約5トンもの巨大な舟を曳行する「お舟祭り」が開催されるが未だ見たことが無く、いつの日にか出掛けてみたいものだ。


今回、万治の石仏に足を伸ばしてみよう。万治の石仏には、境内を通って行くことができ、春宮からおよそ300m、砥川沿いの田んぼの中に鎮座していて、かの岡本太郎が「こんな面白いものは見たことがない」と絶賛したことで有名になった石仏様で、諏訪出身の作家、新田次郎は万治の石仏の起源をイースター島だと設定した小説を書いたエピソードも残っていると言うから面白い。


又この石仏にも伝説があり、春宮の大鳥居を造るとき、この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめ、ノミの跡は現在でも残っているがよくわからなかった。


高さ2mの自然石の上に小さな頭がのった石仏には、厳冬期になると首が伸びる珍現象があるという。学者が調べると首を据えられる穴に水が浸入し、それが寒さで凍り付き珍現象の首が伸びていたという。


この万治の石仏にはお参りの仕方があり、1.正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。 2.石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。 3.正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼するを拙者も実行していた。


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