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エッセンシャルワーカーの逆説

新型コロナウイルスも5類に移行し、

生活の側面では、行動制限も解除されました。このことを巷では「社会活動の再開」と呼ばれるようです。

社会活動の制限下では、ある人たちは仕事を続けなければ世の中の人に大きな影響がある。と

そんな役割をエッセンシャルワーカーは担っていました。

一方で、その後賃金や担い手は増えたでしょうか。

「なくてはならない仕事」ということは明らかになったのに、

人材不足に拍車がかかっています。


本ブログでは、『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか/酒井 隆史』から引用し、

これからのエッセンシャルワーカーの、社会的な価値の向上について考察していきたいと思います。

■ 海外の事例との対比

「エツセンシャル・ワーカー」が、その名の通り、この人類が生活をいとなんでいくにあたりもっとも基本的で必要不可々であるにもかかわらず、労働条件において相対的に低劣におかれていることはたとえば、アメリカの経済政策研究所(EPI)という労働組合のシンクタアクによる統計のまとめによってもあきらかです。2020年5月の時点で、このレポートの考たちは、、コロナのもとでのエッセンシャル・ワーカーが十分な医療や安全配慮を与えられずに働いており、その結果、死亡者が多数にのぼりつつある状況を指摘しています。そのうえで、アメリカのエッセンシャル・ワークを12(食糧・農業、緊急サービス、公共交通・保管・配達業務、工業・商業・居住設備やサービス業、医療業務、自治体・コミュニティサービス、エネルギーなど)に特定して、それに従事するおよそ5500万人の労働者の賃金やジェンダー、組合組織率などを調査しています。それによると、エッセンシャル・ワーカーの70%が非大卒。医療従事者における女性の割合は76%、それに対してエネルギー部門では男性が90%、食糧・農業や工業・商業・居住設備やサービス業の半数以上を非白人が占めています。
その結果もあるでしょうが、給与も非エツセンシャル・ワーカーに対してエッセンシャル・ワーカーが低くなっています

ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか/酒井 隆史

エッセンシャルワーカーの待遇面の低劣さにおいては、

海外の事例を見ても同様なことがわかります。

この根底には、資本主義というシステムと大きく関わっているようです。

■ 労働という概念

労働はモノを無から創造する生産であるという発想は、ケアの系列にかかわる活動を生産にかかわる活動としては不可視化し、それによって価値の切り下げをもたらします。とりわけ、資本主義が生まれ、工業化がすすんでいくとともに、モノづくりという意味での生産がきわだってくると、ますますそれが主役になり、ケアにかかわる仕事は、その主役をひきたてる影の役割にますます甘んじるようになります。

ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか/酒井 隆史

「労働は生産的でなくてはならない」とは誰が言ったのでしょうか?

この固定概念に苦しんでいる人たちはたくさんいるのではないでしょうか。

ケアこそ、人の人生を豊かにするものであり

生産活動だけが経済ではないことがよくわかります。

■ 経済を問い直す

もし「経済」に実質的で具体的な意味があるとしたら、それはつまり、人間がたがいにケアをしあい、あらゆる意味で生存を維持するための手段であるということでなければならない。このあたらしい経済の定義にはなにが必要なのだろうか?どんな指標が必要なのか?それとも、すべての指標なるものをきっぱりと放棄すべきなのだろうか?もしこの再定義が不可能であり、「経済」という概念が誤ったおもい込みにまみれているとすれば、ちょっと前には、経済なるものが存在しなかったことをおもいだせばよい。おそらく、この観念は、消滅の道をたどっているのである。

ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか/酒井 隆史

経済とはなんだろうか?

この問いかけに、私はいつも「経世済民」という言葉を連想せずにはいられません。

民を救うことこそ、経済であり、

犠牲の上に成り立つものではありません。

■ 行動宣言

1.経済とは我々の幸福を追求するものが根底にあると問い直す。

2.ケアについて考えを深める

なぜ、経済のために誰かが犠牲にならないのか?

最近はこのように考えるようになりました。


新自由主義が進展する現在において、人に優しい経済を目指す必要があります。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

これからも学びを共有していきます。


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