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論語と算盤 要約② 立志と学問

精神老衰の予防法

日本人の長所と短所について、
Henry C. Mabie(1847~1918)博士のコメント。

長所
日本人は上級の者も下層の者も勤勉で、
希望を持ちながら勉強している。

短所
事実より形式に重きを置く、形式主義者
形式に拘泥する弊害が強い
反対の意見に対して、欧米人は淡白に捉えるが、
日本人は対立する意見に対し、執拗に、
何でもない事柄までも口汚く罵るところがある。

この日本人の特徴は、徳川の封建制度が永かったので、
相凌ぎ、相憎むという弊害で生じたのではないかと
博士は述べている。

勤勉だが形式主義、
反目する者を受け入れず、
小さな事にたちまち激し、排除する質が強い割には、
すぐに忘れる日本人。

感情が急激である割には、
すぐに忘れてしまうので、一流国になるには問題だ。

この傾向が強まると、派閥内の軋轢が強くなり、
内部衰微するのではないか。

また、下手に忠誠心が強いので、
忠誠を尽くす対象者(天皇)は
政治に接触しないようにすることが、肝要だろう。

成程、かなり鋭い観察力…。

澁澤は、このような意見を、一介の外国人の感想だと
見過ごしてはいけないと述べている。

確かに、現在の私たちも直視しなければならない
鋭い指摘だ。

その意見を踏まえ澁澤は、
日本においては青年も大切だが、
「文明の老人」の重要性を述べている。

老人には、
「文明の老人」と「野蛮の老人」の二種類がいる。

非凡な才能があるごく一部の人たちは、
若い内に素晴らしい仕事をするだろうが、
多くの人はそうはいかない。

自分を客観視し、正しい判断を行うには、
ある程度の社会経験が不可欠である。

特に、社会が複雑化すればするほど、
文明の老人の必要性は高まってくる。

「文明の老人」とは、
身体は衰えても、精神が衰弱しない人物である。

どうすれば精神は衰弱しないかというと、
学問するより他にない。

常に学ぶ姿勢でもって
時代遅れにならないよう努めること。

精神に老衰はない。
そのため、
「文明の老人」として
世に役立つ存在であり続けることが大切だ。

現在に働け

明治までの日本社会は、士農工商という
身分戒律があったため、
学問や人間教育は武士にこそ必要なもので、
農工商人は、寺小屋で「読み書き算盤」を
寺の和尚さんや、富豪の隠居老人から学ぶ程度の、
低いレベルの教育で足りていた。

徳川幕府の国の仕組みや物流・商業の基軸は、
全て幕府の役人が握っており、
平民はその組みの中の駒で過ぎなかったので、
最低限の教育ですんだのである。

しかし明治の世になり、多くの人が学ぶ機会を得たことで、
才学共に備わった人が輩出し、国は富んだが、
哀しいことに、
武士道や仁義道徳など精神教育は衰えた。

国は富んだが人格は退化した。

だからこそ、
精神の向上を富と共に進めることが必要である。

真の富とは、精神と経済の両者の向上であり、
はじめて経済は、持続可能なものになる。

だからこそ、精神を鍛えるという強い信念を抱いて、
現在に働け。
道徳経済こそが大切だ。

大正維新の覚悟

「維新」という言葉は、大学伝二章の湯の盤の銘が語源になる。

湯の盤の銘。
古代中国王朝である、殷の湯王が沐浴するたらいに刻んだ、座右の銘。
「苟日新,日日新,又日新」
「苟(まこと)に日に新にせば、日日に新に、また日に新なり」

毎日、古い染みが付いた汚れを洗って、自らを新しくする。
そして、その新しくなった自分を用いて、
昨日よりも今日、今日よりも明日と、
よりよくなるように行いを正していかなければならない。

この気概をもって、失敗を恐れずに、
日々心をあらたに、
挑戦し続ける気概を忘れてはいけない。

因循に陥りやすい老人たちがハラハラする位、
青年たちには、挑戦していって欲しいものだ。

青年時代に失敗を恐れるようでは、
到底見込みのない者である。
自分が正義と信ずる限り、進取的に剛健なる行為、
強い意志をもったチャレンジャーであって欲しい。

日本という国を考えると、
海外に挑戦していかない限り、厳しい状況は続くだろう。
いくらのんびりしたくても、
海外に挑戦せざる得ないようになる。

海外との、厳しい競争原理に中で戦わねばならないので、
日本の若者よ、失敗を恐れず挑戦せよ。

明治維新をみよ。

国力もなく、秩序がなかった時代に、
あれほども多くの人達が挑戦した。

それに比べ、今のように、
社会秩序も整備され、誰もが学べる制度が普及し、
何を行うにも便利になっている。
そんな時代なのだから、
周到な計画と、大胆な活動さえあれば、
誰もが大事業を興せる時代なのだ。

秀吉の長所と短所

秀吉の短所は何かというと、

家法がなかったこと。
豊臣家の構成員が、家の中で守るべき道徳やルールが整っていなかったので、家が治まらなかった。

家系の存続・発展には、
個人が技能・資質が備わっているだけでは不十分で、
実際の血縁関係、もしくは擬似血縁関係で結ばれた
重代・譜第(譜代)との関係性や、ルール化が必要である。
秀吉にはそれが築けなかったので、豊臣家は継続できなかった。

秀吉の長所は何かというと、
学ぶ力がある勉強家であったこと、
そして勇気・機智・気概である。

その中でも突出すべき長所は、「学ぶ力」「考える力」。

常に懐中に草履を暖めて信長に仕えたのも、
考える力がない者には出来ないことである。
本能寺の変で、毛利と対峙していた秀吉が中国より引き返し、
仇をとり終わるまでかかった日数はわずか13日。

そして本能寺からたった3年間で、数多の織田家重臣を追い落とし、
柴田勝家を滅ぼし、関白になり天下統一を果たしたのである。

つまり、考える力。想定力がない限り
あのような偉業は成し得ないだろう。

清州の城壁をたった2日間で修復したという事例からも、
秀吉の稀なる「物事を考える力」「学ぶ力」の凄さを感じるのである。

自ら箸をとれ

若い頃は、コネがない、
後ろ盾がないからチャンスを掴めないと
思いがちだ。

確かに普通の能力なら、
ある程度のお膳立てがあった方が良いだろう。

しかし、本当に能力のある者には、
コネなど一切必要なく、門戸は常に開かれている。

世の中は、常に優秀な能力を必要とし、
いくらでも欲しがっている。
故に本当に能力があれば、コネも後ろ盾も必要ないのだ。

自ら箸をとれ。

箸をとってからの心掛けも重要である。

秀吉のように能力が秀でた者でも、
最初に与えられた仕事は草履取だった。

多くの若者が、大学まで出たのにそんな仕事をするのは
バカバカしいと思い、そんな仕事しか与えぬ上司や先輩に対して
不服を感じるだろう。

しかし、心得よ。

どんな些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部である。

時計の小さな部品が狂えば、時を刻めぬように、
銀行勤務の若者が、
1円を合わせる事を怠り、
何のこれしきのことと軽蔑する癖がついてしまうと、
大きなお金を扱う時に大問題を惹き起こしかねない。

小事を粗末にするような人は、
大事を成功させることなど出来ないのだ。

水戸光圀公は、
「小なることを分別せよ、大なることは驚くべからず」

と言った。

自分はもっと大きなことをする人間だ
という自信があっても、
大きな事は、小さな事の積み重ねで形成されている。

どんな小さな事も軽蔑することなく、
勤勉に忠実に誠意をこめて、完成しようとしなければならない。

与えられた仕事に、
その都度全生命をかけて真面目にやることが、
財運・出世運をあげる、一番の近道である。

大立志と小立志との調和

よっぽどの人物でない限り、とかく人間は迷いやすい。

合わない仕事をしてまわり道をしたり、
方向を見誤ったりする。

特に世の中の秩序が整ってくると、
途中で志を変えると効率性も悪く、不利益になりやすい。

それではどうすれば志を立てられるのか。

志には、大志と小志がある。

最初に立てるものは、大志である。

それには、自分の能力の長所と短所を、
明確に把握することから始めよう。

長所に分類した能力を基準として、
志を定めるとよい。

次にすることは、自分の置かれている境遇が、
その志を完遂することを許しているかどうかだ。

例えどんなに頭脳明晰で学者になりたくても、
資金力が伴わなければ、一生やり遂げることは困難だ。

その視点を軽視して、どうにかなると思うと、
変えざるを得ない状況に遭遇する。

根幹となる方向性が決まったら、
次にすることは、
その枝葉になる小志を完遂するための、日々の工夫だ。

小立志とは、日々起こる希望ややりたい事、
「こうなりたい」という気持ちである。

「あの人のように、尊敬される人物になりたい」とうのは、
小立志である。

この小立志は、感情によっておこるため、
常に変動偏移する質がある。
そのため、この小立志で大立志が揺らがないように
注意することが大切であり、
小立志と大立志は矛盾がないようにしなければならない。

『論語』為政

子曰、
「吾十有五而志于学。
三十而立。四十而不惑。五十而知天命。

私は、15歳にして学問を志す。
30歳にして、立志し、40歳にして惑わなくなり、
50歳にして天命を知る。

孔子は「学を志す」大立志を十五の時に立てた。
そして、三十にしてようやく、
学問で立っていける人間になり、
四十になって、世間から何を言われても、
どのような状況になっても、迷わない境地に至った。

つまり、十五の頃はまだ志は固まっていなかった。
三十になると自信が持てるようになり、
四十になると、大立志が完成されたようである。

そして五十にして天命を知る。

立志は人生の骨であり、大切な出発点である。

立志するには、
己を知り、身の程を考え、
それに応じて適切なる方針を決定していく。

そのことを心得て人生を進めば、
人生行路は間違いないものになるだろう。

君子の争いたれ

人間、円くなればいいというものではない。

円いとかえって転びやすい。
どこかに角が無ければならない。

自らが正しいとする点は、いかなる場合においても、
決して他に譲るべからず。
妥協と自我のバランスが大切である。

社会と学問の関係

学問と実社会ほど、違いがあるものはない。

学生時代、様々な科目に別れ、
各科目の中でしっかり学んでも、

社会に出ると、専門性は複雑に絡みあい、
応用力が求められる。

それを学生時代のように、
分けて捉えようとするから
迷いやすく誤りがちになる。
その点をしっかり注意して、
全体を捉えながら、
自分が成すべきことを、見定めることが大切だ。

自分が学んできたものと、
他人が学んできたものをしっかりと捉え、
相対的に考えながら全体をみよう。

地図でみた場所と、
実際にその場を歩く時の違いと同じだ。

世界地図を眺めると、
成程こういうところかと分かっても、
実際に歩いてみると、予想外のことが多い。

それを、熟知したつもりになり、
深慮せずに歩きだすと、
困難な場所に遭遇し、道に迷う。

その時に、確たる信念がなければ、
失望落胆し、自暴自棄になり、
野山を見境なく歩き廻り、不幸な結果になってしまう。

このように、学校や書籍などで学んだことが、
社会にすぐに役立つものではない。

いかなる準備をしても、役に立たない場合がある。
そのことを熟知した上で、進んでいこう。

勇猛心の養成法

チャレンジ精神の養成法には2つある。

第一に、肉体上の鍛錬だ。
これには武術の鍛錬法、下腹部の鍛錬が効果的だ。
腹式呼吸法や静座法や呼吸法などが流行っているが、
それだと脳に充血しやすく、神経が過敏になるのでお勧めしない。

それより、下腹部に力を入れる習慣を身につけることで、
冷静沈着に物事を考えられるようになるので、お勧めだ。

その方法こそが、武道である。
胆力に力を入れながら、自由自在に動けるようになる。

第2の方法は、内省的の修養である。
また、古来の勇者の言業に感化を受けたり、
説話を聞いて学びを深めるのも良いが、
くれぐれも感情的になり、考えない行動をしてはいけない。

一生涯に歩むべき道

百姓町人として生まれたので、
何が何でも武士にならなければと思ってきた。
このまま町人として終わるのが情けなく感じられ、
武士になり、国政に参与したいという大望を抱いて、
故郷を離れ、流浪し、様々な経験をしてきた。

その後、大蔵省に勤務したが、
自分の性格や才能から考えて、
実業界こそが自分の世界であると、大蔵省を辞職し、
国家のために商工業発展を図りたいと思ったのが33歳の時だ。
これこそが天命だと悟ったのは、72歳の時。

それでは、15歳の時に志が見つかり、
余計なまわり道をせずに、実業界で活躍していたらどうなったかというと、確かに商工業の知識は充実し、今の自分以上の自分がいたかもしれない。

前車の覆轍をもって後車の戒めとする。『漢書・賈誼伝』

先を進む車が転覆するのを見たら、
後から行く車はそれを見て、
同じことにならないよう用心して進めという意味だ。

山脇史端
論語と算盤 (角川ソフィア文庫)/渋沢栄一

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