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遊佐未森6thアルバム『momoism』全曲クロスレビュー(イントロダクション)

 先日はEPIC45周年をリスペクトして、プレイリスト企画に便乗した特別企画を実施しました。実はそのほかにもここ数年水面下で構想を練りつつ進めてきた企画がいくつもあったのですが、本業や日常生活もいろいろあるわけでして、なかなか進行せずにnoteを更新できずにいたわけです。しかしながら、やっとこさ新しいクロスレビューが完成しましたので、ここに公開できる機会となりました(先日のEPICプレイリスト企画はあくまで突発的なものでして、思いつきから1週間で形にできた奇跡的なモノですw)。
 さて、このクロスレビュー企画はこれまでPINK、JADOES、小川美潮、松岡英明、Qujila、大江千里、土屋昌巳といったアーティストの作品を、学生時代からの相方である@junnoviさんと共に、ただ言いたい放題なクドいレビューを繰り返すという、なかなかにとっつきにくい企画なのですが、想定よりは多くの方々に閲覧いただいているようでそれがモチベーションとなっております。そして、今回取り上げるのは遊佐未森です。しかしながら今回レビューする作品はたった1枚。しかもデビュー作の『瞳水晶』や人気のある『空耳の丘』、大ヒット作『ハルモニオデオン』等ではなく、6枚目のアルバム『momoism』です。なぜこの作品なのかというのはレビューの中で追々理解していただけると思いますので、まずは前置きもそこそこにして早速始めてまいりましょう。なお、このクロスレビュー、実は2021年からLINEのやりとりで始めていまして(ちなみにこの時期、相方junnoviさんは大怪我のため入院中)、つい先日フィニッシュしましたので、約2年間かかっているんですね。前回の土屋昌巳からは4年のインターバルが空きました。奇しくもコロナ禍を駆け抜けたレビューとなりました遊佐未森『momoism』クロスレビュー、スタートです。


◆「momoism」(1993) 遊佐未森


〜オープニング〜

@tpopsreryo:
さて、久しぶりの全曲レビューシリーズ企画でございます。テーマはこれがまさかの遊佐未森。しかも1993年リリースの6thアルバム『momoism』です。ということで、約2年ぶりではありますが@junnoviさんと雑談レビューを行ってまいります。よろしくお願いいたします。

@junnovi:
いよいよ始まるね、センセ。土屋昌巳からもう2年経ってるんやね?
月日が経つのは早いねぇ。

@tpopsreryo:
そうなのよね。ネタはいろいろ持っているんだけどなかなか取り掛かれなくて・・・やはり若い頃に比べるとモチベーションというか本業の忙しさというかいろいろありましてねw

@junnovi:
今回はアルバム1枚だからすぐ終わりそうやけどどうぞよろしくお願いします。
(注:終わりませんw)

@tpopsreryo:
こちらこそどういう展開になるかわかりませんが、よろしくお願いします。

@junnovi:
第1弾のPINK BOXの時からだいぶ経つのやろか?

@tpopsreryo:
PINKからは約8年ですねw

@junnovi:
やり取りの仕方が今回からは違うしね。
そうかぁ。あの時は連日連夜ツィッターでやり取りして最後まで仕上げたよね。バンド史から見たアルバムごとの位置付けというか総評までして。しかも各々のベスト曲まであげてコメントしあったり。

@tpopsreryo:
そうです。今までのクロスレビューはTwitter(現X:ここでは便宜上Twitterで通します)でのリアルタイムでのやりとりが基本で、前回の土屋昌巳はどうだったっけ?
Twitterではなかったと思うけど。

@junnovi:
え?土屋昌巳は何でしたっけ?

@tpopsreryo:
あれもTwitterだったかな?w

@junnovi:
LINEでやり掛けたのはGV(注:Grass Valley)ちゃう?

@tpopsreryo:
そうだったね。土屋もTwitterでした。で、内輪の事情で申し訳ないのですが、今回からLINEでのやり取りに変更したんですよ。連日深夜でのリアルタイム中継に体力の限界を感じましてw
LINEであればトークルームを立ち上げながらペースに合わせてやりとりができるということで。

@junnovi:
多分土屋昌巳はTwitterちゃうかなぁ。あの時は、というか正確にはEpic3部作に限ってだけど、下書きをあらかじめWordとかにまとめておいて一気に貼り付けたから、私の文章がものすごく長くなってしまったのだったw

@tpopsreryo:
実は満を持してのGrass Valleyを企画していたのですが、あのテーマは相当気合入れないといけませんので、もう少し温めていこうとするうちに2年経過(注:
このコメント当時は2021年)、で今回の企画に至るというわけです。

@junnovi:
そう。とても気持ちが楽になりました。Twitterだと実際にやり取りをしようと思ったら、PCの前でサーバに反映されるのを待たないといけないし、それが案外時間がかかるんで。しんどいなぁと。で、GVはするのセンセ?w

@tpopsreryo:
その場の臨場感は魅力なのですが、どうしても時間が長くなるので消耗線になるんですね。もうお互い若くありませんし、別の企画も進行中ということでLINEを活用ということです。そして皆様にはnoteでまとめて読み物にするということです。
GVはもちろんやりますよ。実は角松もやりたいw

@junnovi:
それで良いと思うわ。共時性という素晴らしい感覚は私の中では明らかにモチベーションになってたもんね。
GVやるんや、センセw もちろんやんね。あれはこのクロスレビューで総仕上げしたいバンドやなぁ。センセ1人でも充分語り尽くせるとは思うけれど。角松もするんや!w ええでw

@tpopsreryo:
いやいや、これは2人で盛り上げるべきテーマですw
あと角松はリマスターしてからという気持ちはあったのですが、彼が死ぬまでその気配がないのでもうやってしまった方がよいのではという。リマスターが先か、レビューが先か、ヤツが死ぬのが先か、というw

@junnovi:
GV全曲クロスレビューは是非参加させてください。そして完遂させましょう!
角松。あの人は一体どうしたいのだろう…。一番面白い頃の作品が軒並みリマスターしないって。

@tpopsreryo:
GVおよび角松については集大成の命題でもありますので、ここではこれくらいにしておきましょう。そのためにも今回の企画で感覚を掴んでおきたいところです。

@junnovi:
そやね。私ここまでただの一度も「遊佐未森」って書いてないのに、土屋昌巳やらGrass Valleyやら角松やら、脱線しすぎw

@tpopsreryo:
そうなんですよ。今回の企画は「遊佐未森」ですw


▪️遊佐未森について


@tpopsreryo:
さて、今回の企画は実はjunnoviさんのたっての要望で始まったわけですが、なぜ今さら(といっては失礼ですが)遊佐未森だったのでしょう?しかも『momoism』というピンポイントで。

@junnovi:
そう。今回もQujilaのときと同様、私から打診しました。
長年持っていながら、センセからも以前から素晴らしいと聞いていながら、最近までただの一度も聴いてこなかった『momoism』を何かの弾みで聴いてみたら……

@tpopsreryo:
良かったでしょう?w
恐らくこれまでの遊佐未森のサウンドとは一線を画していたと思います。

@junnovi:
そう。それまで良く聴いていた『空耳の丘』よりも、彼女の声質にとても合ってるなと思って。
すごく驚いた。どういう経緯でこんなアルバムが、まるで突然変異みたいな感じで登場したのかなあと。

@tpopsreryo:
しかしクロスレビューを仕掛けようとするまで気に入っていただけたのは、お勧めした甲斐もあって嬉しかったですよw

@junnovi:
自分の中では遊佐未森は4枚目までというのが長年の印象だったので、その後にこんな良い方に期待を大きく上回る作品を出していたなんてと、感動しました。

@tpopsreryo:
あ、まあ『momoism』についてはまた後ほど詳しくお聞きしますので、まずは遊佐未森について語るイントロダクションでしたね。そこからまいりましょうw

@junnovi:
そやね。
私は遊佐未森をセンセから当時『瞳水晶』が素晴らしいと言われて初めて知ったんだけど、それは確か2nd『空耳の丘』が出る直前だったと思う。センセはどういう経緯で聞くことになったの?

@tpopsreryo:
そう、世間一般には遊佐未森といえば、あの貴族みたいな鼓笛隊みたいな衣装を着ていた1st『瞳水晶』~4th『HOPE』もしくは5th『モザイク』あたりまでを想像するとは思いますが、『momoism』で新境地開拓といった感じでしたね。

@junnovi:
私は『空耳の丘』を先に聴いて、そのあと『瞳水晶』を遡って聴いたのです。「何だこの新しい感じの音と歌?」という感じだった。

@tpopsreryo:
『瞳水晶』はね、いくつか要素があって、まず成田忍がメジャーシーンで本格的にプロデュースする初の作品だったということ。あとはアルバムタイトルやアーティスト名がなんだかコンセプチュアルというか不思議な印象を持ったんですね。これはただものではないなと。後はCDレンタル屋かコンビニ?かなんかの有線で聴いたのかな、シングルの「瞳水晶」を。これで間違いないなと思って。CDレンタルで借りました。お金がなかったのでw

@junnovi:
キャッチするの早いねぇ。

@tpopsreryo:
やはりね、アルバムタイトルもアーティスト名も大事なんですよ。パブリックイメージとして。そのあたりはしっかり外間隆史に乗せられているんですがw
「未森」という芸名も外間が名付けたんですよね。

@junnovi:
へーそうなんや。外間隆史が早速出たけどこの人の遊佐未森っていうアーティストの中での位置付けって何?名付け親なんはビックリ。てっきり本名かと。

@tpopsreryo:
正確には遊佐と外間で考えたんだったかな?
実はその前は「遊佐明子」という本名で活動していた時期がありましてね。少女漫画のイメージアルバムとかで本名で歌っていたという・・・それこそ普通の歌をw

@junnovi:
聴いたことないわ~。てかよく知ってるねぇw
フツーの歌なんや。

@tpopsreryo:
ここにそのリストがあったりします。http://anison.info/data/personmedia/25548.html

@junnovi:
わっ!早ッw!「アイドルを探せ」やん。

@tpopsreryo:
これは聴けるかな?

@junnovi:
ありがとうセンセ。聴けたし、聴いたよ。
こ、コレは何!?何かの間違い?あとに何も残らない典型的な曲やん!w

@tpopsreryo:
まあ遊佐未森というイメージがあってから聴くから幾分新鮮に聴こえるんだけど、何の先入観もなく聴いたらただの曲ですよねえw

@junnovi:
コレはね、映像とともにあって初めて記憶に残るタイプの曲やわ。
TVのお天気予報の背後でかかっているどこまでもニュートラルな音楽。当時、こういった曲はいろんな場面で作られて、いろんな形で消費されて来たと思う。その中の数ある曲の一つ。アニメがあってその中身を邪魔しない、添えて印象づかせるための楽曲。そうと分かって制作者も作っているし、そうと分かって遊佐明子も歌ってるよね、コレ。
あと遊佐明子の歌も何だろう、これはひどいね。彼女声楽科出身とか聞いた記憶があるけど、これで?しかもこれでプロデビューしようとした?下手ではないけれど、音程取れていないところがある。個性や抑揚は制作者の意図があるだろうから、それは置いたとしても、せめて音程くらいは何とかと思うなぁ。これではルックス勝負のアイドルとさして変わらない。
何にせよ、最初に書いたとおり、映像があって初めて記憶に残る曲であり歌やね。
いやぁ~「遊佐未森」という名前でデビューする前にこういうことをしていたんやねぇ。ちょっと驚いたよ。

@tpopsreryo:
本人も修行時代と割り切っているのか黒歴史と認識しているのか、公式プロフィールからは削除されている経歴ですね。この歌は1984年なのでデビューの4年前。それからトレーニングしてデモテープを事務所に送って、といううちに彼女に目をつけたのが元フィルムスの外間隆史だったという流れですね。
それからはもう外間が遊佐の保護者みたいになってレコード会社への売り込みみたいなのをやってたみたい。外間が本業がコピーライターだったこともあって、コンセプトを構築するのには長けていたので、芸名も含めてあんなふうなガチガチのイメージ作りになったと。
まあ芸名に関しては一悶着があったみたいで、それはEPICからのデビューが決まってディレクターが福岡智彦に決まってから外間と福岡が相当対立したみたいです。ちなみに1stの成田忍起用は福岡人脈でしたが、外間はその仕上がりが気に入らなかったらしく、2ndからは外間独壇場になると・・。
そのあたりについては福岡本人の回顧録に詳しく書かれていますね。

続きがあります。面白いですよ。

相当仲が悪かったみたいですw

@junnovi:
コンセプトとかだと例えばアンドロイドみたいなコズミック路線をどうしてもイメージしてしまう。なっちまうなスターボーとか、UFOのピンクレディーとか、釈由美子とか、コリン星からの人とか。
でも外間隆史はもっとオーガニックで環境音楽みたいな、おとぎの国とか今と隔絶した感じの閉じられた世界の人形みたいな場所でというのが新しい境地だし個性的やった訳やね。

読んだでw この福岡智彦のサイトは知っているけど、遊佐未森のことを書いてるとは知らなかったよ。
かなり色々書いていて面白いね。センセの指摘どおり、大人の判断でかなり差し引いて書いているけど、かなり反りが合わない感じやね。行間からヒシヒシと伝わるわ。
外間隆史の中では「地図をください」は頭の中にデビュー前から出来上がってたんや。そりゃあ成田忍やら福岡智彦がおったら邪魔やんなぁw 毛色がちゃうもんね。
でも言わせてもらうけど、ケイト・ブッシュじゃないでしょ、いくら頭に「和製」って付けたって。乱暴やなぁw
ケイト・ブッシュはもっと蠱惑的で魔女っぽくてヒステリックな危うさがあって、いくら穏やかな曲でも常に陰鬱さや狂気が滲み出てるから、違うよなぁ。

それにしても外間隆史は遊佐未森の一体何にそこまで惚れ込んだのか、なぜそこまでイメージを膨らませることができたのか、わからないね。

@tpopsreryo:
福岡さんのRe:minderのコラムはどれも面白い。土屋昌巳もQujilaもPINKの話もあるからまたご覧ください。
福岡さんのコラム一覧です。
https://reminder.top/profile/4887534320/?t=3

外間の遊佐への惚れ込みは、遊佐がまだ何色にも染まっていない無垢な存在だったからでしょう。先ほどの明子時代の歌を聴いてもわかるように、引っかかるものが何も無いでしょ? 外間のように何がなんでも自分が構築したコンセプトを押し通したい頑固な人間にとっては、自分色に染め上げられる格好の人形だったのかもしれないね。遊佐自身も外間に相当入れ込んでたみたいだし、強固な絆で結ばれていた関係だったんでしょう。

@junnovi:
Qujilaの項目は読んだことあるよ~。すごく詳しく書いていて記憶力良いなぁって思った。

@tpopsreryo:
それでもワタシは『瞳水晶』はやっぱり好きだったんですよ。成田忍のほどよいエレクトロニクス加減や変なギターサウンドだとか。一番好きなのは成田作曲の「Destination」だったし。ただヴィジュアルコンセプトや牧歌的な曲にしては尖ったサウンド担ってるなとは思ってた。そこが外間は嫌やったんでしょうけどw

@junnovi:
なるほど。外間はその系統を2ndで一掃したわけやね。
でも思うんよ、当時から。外間のあの『空耳の丘』にもあった長い文章、いったいどれだけの人が共感したのだろうって。私は全く受け入れられなかった。つまらないんだもの、内容が。
音楽世界を説明するのに長過ぎるし、メタファーが過ぎると思うんよ。そんなことは言葉にせずに音であらわして欲しいって思うんよ。

@tpopsreryo:
それでも外間は音で表現できた方だと思うよ。2nd~4thまでは次第につまらなくなっていったけどw
なにはともあれ2nd以降は一般にも受け入れられたわけで、それはメルヘン的な世界を外間と、作詞の工藤順子が上手に作り上げたからでしょうね。マンネリになるのは仕方がない。同じ世界観を続けていけばそうなるから。

@junnovi:
確かにね。ここまで書いてセンセはもう分かったと思うけど私は遊佐未森は好きな歌手じゃないです。
むしろ嫌いな方。Epicの「eZ」に出て来たら「またか!」と思ったものです。

@tpopsreryo:
なのにここで特集するというw
本当ファンの方々には申し訳ありませんw
ワタシは2ndの『空耳の丘』までは真剣に聴いていましたね。あのアルバムは青山純のドラムが素晴らしくて。なんてクリアで力強いドラミングなのかと。このアルバム本当に音が良くて、現にこれだけリマスター再発されてないんですよね確か。
サブスクでも配信されていない。本当に謎なのですが・・。
(注:このコメント時期は2021年7月です。コメント直後の同年9月に待望のリマスター再発されました。その後サブスクも配信)
エンジニアはNigel Walkerで土屋昌巳『Life in Mirrors』『Horizon』と同じ。そして外間と仲が悪かったというw

@junnovi:
だって何であんなにこっちばっか見るの、表情の乏しい瞬きもしない真っ黒い瞳で。で、当時はVHSやん?早送りするやん?そしたらさ、クラゲみたいに、ひたすらゆらゆらダンスをやってるねん。

@tpopsreryo:
そういうのも含めて人間ぽくはなかったよね。性別不明の人形みたいなイメージでした。マリオネットという単語がよく浮かんでいましたね当時は。

@junnovi:
今回取り上げる『momoism』も音程外してるところがあって、その度に「この人ホンマに声楽科出てるの?」って思ってしまう。外した音程をそのままキープしたり・・・。
それと声質なんだけど、お腹すかせたようなエネルギーのない声。生っぽさや力がない声。どこか空けている感じ。
で、動作。くるみ割り人形とか、からくり人形みたい。それが無機質にクラゲみたいな踊りを延々としながら、瞬きせずにこっち見てる・・・。

@tpopsreryo:
遊佐の歌に関しては当時では余り聴けない個性的な歌唱という印象であって上手いと思ったことはなかったですね。しかしコンセプトに沿った楽曲にはマッチしていたと思うんですよ。
あと、これはワタシの持論なんですがおよそポップスにおける歌にピッチは重要ではないんです。多少ピッチが外れていようが耳に残ればOKなんです。正確なピッチを目指すならクラシックな世界で勝負すれば良いので。特にポップス系のリスナーであるワタシみたいな存在にとってはそこはどうてもよくて、逆に少し外れているくらいが興味深いし面白いから良いのです。要は歌以外のサウンドとの組み合わせなので。まあ、耐えきれない方がいるのも否定はしませんがw

@junnovi:
それでも『ハルモニオデオン』までは頑張って聴いてた。中にはかなり良い曲もあったし、優れた音楽表現もあったし。特に「空耳の丘」では既にセンセが指摘してくれたように青山純のドラムスが本当に素晴らしく、何と聴いても胸のすく思いがしたものでした。

@tpopsreryo:
なお、彼女は音大出身とはいえ声楽科ではなくて音楽教育学科ですからね。声楽家は目指してたらしいけど早くからシンガーソングライターに切り替えたらしいので、そのあたりは本人も理解しているのではないかと思っています。

@junnovi:
アラ。不正確な情報で散々悪口を!そこが違うなら話が前提から崩れる!w
歌を歌うことに関して専門的な実践的な訓練を受けて来たものとばかりずっと思い込んでた!恥ずかしい。
「専門教育を受けて来たことを売りにしてたのに、歌えてないでしょ?」って言いたかったのに、そうやないんやなんて。調べたらわかる話なのに、調べなかったのがあかんね。

@tpopsreryo:
ちなみに遊佐は国立音楽大学出身なんだけど、かの香織はこの大学の声楽科です。広瀬香美が作曲科。飯島真理がピアノ科中退w

@junnovi:
ポップスで音程が不安定なのは私は余程でないと言わないけれど、遊佐未森については音程が外れることは許されなかったんよ。

@tpopsreryo:
まあかの香織もピッチは外れているんですがw

@junnovi:
ズレてるよね、かの香織もw

@tpopsreryo:
ソロになってからはポップスの歌い方してるしね、ショコラータ時代は若さでごまかしてたw

@junnovi:
ズレるのをずーっとやられるとツラいんよ。
そう言うふうに歌う人、そこで自分を出すわけではない人って分かって聴く分には良いんだけど、「売りにしてるのに何ですかそれ?」となると厳しい目を向けてしまう。

@tpopsreryo:
遊佐が売りにしてたのは歌ではなくてファンタジックな世界観だったと思うけどなあ。強いていえば声質かな。まあワタシは歌は下手な方が好きという文字通りズレた嗜好なので、参考にはなさらないでw

@junnovi:
誤った情報であれこれ批判するのは良くないので、お詫びします。すみません。
ただ現実としてこの30年ほど、ずっとそれと思って彼女を見て来たから、もう取り返しがつかないw

@tpopsreryo:
それでいいと思うよw
雰囲気で勝負していることには間違いないですし。
とにもかくにも彼女はスタッフには恵まれていたと思うよ。福岡智彦に拾われたことも良かったし、外間隆史に方向性を見いだしてもらえたこともよかった。そして何よりこの2人の人脈で優秀なミュージシャン達をバックに歌えたことが実に幸せだったのではと。

@junnovi:
もうそういう視点で聞き直すことはしないけれど『ハルモニオデオン』の「僕の森」、『HOPE』の「野の花」、『空耳の丘』の「星屑の停留所」「地図をください」あたりは本当によく聴いていた。センセよりも明らかに外間隆史のコンセプトを否定していながら、しっかりメジャーな曲を受け入れているという・・・。

@tpopsreryo:
「星屑の停留所」は良い曲でしたね。でもサビが高音過ぎて聴いている方が苦しかった思い出もw
「僕の森」は土屋昌巳が参加していたといういやらしい理由から好きでしたね。その印象しかないほど既に『ハルモニオデオン』の頃は「飽きていた」んです。
「野の花」はワタシも『HOPE』の中では唯一好きな曲でした。大団円によく似合う曲ですよね。
『モザイク』では珍しいロックテイストな「WILL」とイントロが人力テクノっぽい「だいじょうぶ」ですかね。
数曲は好きな曲があるんだけど、アルバム全体ではピンと来なくなっていましたね。
古賀森男とのクリスマスソング「Silent Bells」は好きでしたわw

@junnovi:
「星屑の停留所」は確かに「極限まで高音を出してみないか?」みたいな曲やね。その後、華原朋美が「save your dream, save your love 」っていうものすごくヘンテコで大好きな曲があるけど、その布石だったのかなぁ。霞み消えていくような声だったね。「♪はぁタバコ~は~目に染みるよねぇ~」が余りにアラホロヒレハレと落ちていくような歌声でしたね。
「僕の森」はヌルッとした芳醇なギターサウンドが、ハーモニックスも的確に決まってて、実に印象的。中間で暗い響きを帯びるけれども、最後はこの曲のビデオみたいに、青空か何か遠いどこかに消えていくようなギターソロが美しい。

@tpopsreryo:
まあ何にしても外間プロデュースは『HOPE』で終わって、『モザイク』から遊佐セルフプロデュースになったんだけど、それが1991年。4年で5枚のアルバムというハイペースで駆け抜けたという感じだったんですね。
で、1992年にベストアルバム『桃と耳』で一区切りして、さあ新展開へ!といったタイミングでリリースされたのが、今回の本題『momoism』になります。

@junnovi:
「野の花」は、最近まで最も愛聴した曲だったと思う。なんか「僕の森」と間違いそうになるところがあるのだけど、曲の規模、伸びやかな遊佐未森の中高域の声が心地良く、その世界観もこれぞ外間隆史が追求してきたことの完成形と言って良いと思う。
この頃になると、ソラミミ楽団の頃と違ってかなりおとぎ話の度合いは後退していて、極めて良質なポップスを気宇大に歌っているということで、絶賛の言葉しか思いつきません。

またもや他のアルバムに脱線…。
すみません。自己弁護みたいなこと書いてしまうけど、上では声楽科出てるのにという前提で色々批判しましたが、「野の花」でも書いたとおり、外間の手の中で大事に大事に守られて、馥郁たる音楽の香華に包まれて、独り立ちの時を待って親の元を離れていく、そんな思いを抱きますね。

@tpopsreryo:
なるほど、「野の花」は旅立ちの曲。卒業ソングですね。この(外間の)支配からの…w
この曲はホントアウトロの繰り返しフレーズ一発だと思うのよね。あのメロディを思いついた時点で大勝利ってヤツですわ。

@junnovi:
えへへ。尾崎豊みたいな、今の自分や置かれた状況の否定、世の中に対する激しい憎悪に満ちた「卒業」ではなく、今までの自分自分育ててくれたことへの感謝と、今まで守ってくれた繭を破って自分の力で大空に飛び立つことを描いたような曲。一生でたった一度限りの、生まれ育った場所からの旅立ちの曲。

@tpopsreryo:
そうかもしれないね。それが鳥とか蝶とか蠅とか平易な喩えではなく、野の花というのが遊佐のコンセプトを大事にしていて良いのよね。

@junnovi:
当時「野の花」のプロモーションビデオを何度も観た。ここでも、まばたきを忘れた黒い瞳がこっちをジーッと見てた。薄曇りの空の下で、お得意のくらげの舞いをしてた。そしてとても丁寧に歌っていた。
けれど何かが違う。センセの言う印象的なアウトロになってから、急に画面は劇的に動き出す。そして遊佐未森は高い断崖の近くの野草の茂みの中で歌っていたことが分かる。ああ!まさに新たなステージへの飛翔の曲。親からの自立には、これから開かれる世界への希望と、親との別れのかなしみとが入り混じって、自分の中でその思いをどうやって処理したらいいのか戸惑い悩むことがあるけれど、この曲ではその過程を経て、決然と旅立ちを始める覚悟が伝わってくる、そんな感じ。
親離れの祝福と悲哀とを伝えた曲やったんやなぁ。素晴らしいわ。実に素晴らしい。

あ、何か「野の花」レビューをしてしまった…。
あのプロモーションビデオは本当に素晴らしいものだったとどうしても言いたくて。もうこれくらいにするね。
なんかやっぱり、あんだけ文句書いておきながら、実は好きなんかもね、取り繕う訳ではないけれど。

@tpopsreryo:
「野の花」のレビューで上手くまとまったところで次に行けそうな気がするので、このスレはここまでやね。『モザイク』はほっといてw
続きは『momoism』の項で。

@junnovi:
冗長なことになりました。すいません。私はやはり遊佐未森を話すにはこの「野の花」について触れないわけにはいかなくて。付き合ってくれてありがとうございました。
センセ、私はかなり言ったけど、センセはもういいの?

@tpopsreryo:
イントロダクションでこれ以上長くても…本題があるからね。そちらに注力したいね。野見祐二とかねw

@junnovi:
了解ですw



▪️『momoism』について


@tpopsreryo:
さて、それでは本編の『momoism』に話を移していきましょう。

『momoism』は1993年リリースの遊佐未森の6枚目のアルバムですよね。90年の4th『HOPE』で一応外間隆史ワールドから卒業して、91年の5th『モザイク』ではアレンジャーに中原信雄を迎えたのですが、そもそも中原は外間のフィルムス時代の同僚なので、まだ外間の影響力が保たれていたと思います。それゆえにジャケットデザインも含めて、新境地というまでにはいかなかったという印象なのですが、92年にベストアルバム『桃と耳』がリリースされて本当の一区切りがついたということで、ようやく遊佐の新しい挑戦が始まるということになります。

この『momoism』の新しい挑戦は、92年のシングル「GRACE」「東京の空の下」が収録されなかったことからも、アルバムとしてのコンセプトを大事にした作品が期待されていたわけですが、まずジャケットの緑色と新しいアレンジャー兼サウンドプロデューサーの起用に驚かされたわけです。
それが恐らく本企画の実質的なメインになるであろう野見祐二です。

彼が託された命題は「ドラムレス」。遊佐が書く楽曲をドラムを使用せずに桃のような柔らかさをバンド演奏ではなくシンセサイザーによる電子音中心で表現すること。この実験的でチャレンジングな命題を解決する最適解の人物として白羽の矢が立ったのが野見祐二だったのでした。
この大胆な起用も含めて、この『momoism』に関しては当初どのような印象を持たれましたか?

@junnovi:
発売された当時、私は国内よりも海外(米英)の音楽やワールドミュージックに傾倒しつつありました。80年代の音が明確に変化していく中で、今まで好んで聴いてきてアーティストの新譜をこの時期に軒並み聴かなくなりました。
確かに洋楽も面白い時期は過ぎていたのですが、落穂拾いのように後追いで聴いていたのです。華々しいセールスを出した人たちの次の一手をリアルタイムで感じる、そんなタイミングでした。だから、巷でも80年代の情報や機運、アーティストたちに寄せる眼差しや熱度はよく分かりました。そのため今まで愛聴した国内のアーティストがこぞって面白さがなくなっていくのを気長に待つことはしなかった。
当時はワールドミュージックも盛んでした。耳馴染みのない音色、声質、リズム、コード進行。新鮮さと違和感で目が離せなくなりました。その最高位にあるのがYoussou N'Dourの『SET』であり、収録曲の「Sinebar」です。

ユッスーが何言ってるか分からないけど鮮烈極まる高音ヴォイス、不思議に思える楽器の組み合わせからくる音の洪水、そして曲の複雑極まるリズムとテンポの速さに圧倒され、内省的になっていく国内の音楽への関心は急速に聴かなくなりました。

90年代前半といえば、マイケル(Michael Jackson)が『Dangerous』を、Peter Gabrielが『US』を、Glenn Freyが『Strange Weather』を、Aaron Nevilleが『Warm Your Heart』を、U2はシングル「One」を、ホイットニー(Whitney Houston)が「♪エンダーーーーーイ‼️」と歌い上げながらKevin Costnerと私情挟みまくりな映画と歌を世に放ち、ウーピー(Whoopi Goldberg)が『天使にラブソングを』でゴスペルの面白さを教えてくれた、そんな時期。

けれど一応『momoism』の存在は知ってた。センセが名盤だと、おしゃれテレビが何々、野見祐二が何々、って言うのを聞いても「あ〜、あの声楽やってる割に音程不安定で、お腹のすいた声出す人やろ?『野の花』でええわ…。」みたいな気持ちでしたけど、2000年を過ぎた頃か、ブックオフのワゴンセールで『momoism』がほぼ新品の状態で300円で売られているのを見つけて、センセの絶賛を思い出し、思わず買いました。

けれどもずっと一度も聴くことなく15年くらい放置していたと思う。そして今(2021年!)から1年ほど前に、家で衣替えをしているついでにCDも整理してたらふと目について手に取り「あ~これホンマ聴いてないなぁ~。買ってから長いこと経ってるなぁ~。」と思い再生したら、驚異の音世界が、待っていました。
「こ、これは、何?!」
「何という豊かさ!」
「何という心地よいゆらぎ」
「遊佐未森も楽器演奏もあまりにも呼吸が深い…」
「何と楽しい音楽なんだろう!」
とめどなく豊かで心地よい想念の横溢に圧倒されました。こんな経験は本当に久しぶり。まさにYoussou N'Dourとの出会いに匹敵する強く深い感動でした。

私の知る遊佐未森の音楽とは明らかに違う。ああセンセが言ってた野見祐二って人か!センセが言いたかったことってこれなんやと、初めて分かったよ。
音楽人生を大きく変えるような圧倒的な音楽的感動って何度か経験したけど、そのうちのひとつに今回の遊佐未森『momoism』は当てはまります。

@tpopsreryo:
1993年・・・逆にワタシは全く洋楽とか聴かなくなっていた時期でしたね。まずワールドミュージックなるものには全く興味がありませんでした。まだまだ若い時分なので現在よりももう少し過激派といいますか、国内の音楽も十分に聴き切っていないのに世界の音楽とか聴いているヒマあるかい!という感じだったんですね。そして元来「本物」が性に合わなかったというのもあります。アフリカとか中近東とか中南米とかいうけど、そもそも今のように情報が少なかった時代に本来そこにあったオーディナリーな音楽を目新しさで飛びついているだけで、それは本国では当たり前の音楽ではないかと思っていたのです。当たり前の音楽を聴いて何が楽しいのかと。90年代に入って過剰なエレクトロは影を潜めて、生演奏のようなもの、アコースティックなもの、アンプラグドなものが流行り始めて、クソつまらない世の中になったよな〜と道端に唾を吐きまくってた時代ですよ。いや、若かったからw
ワタシは一貫して世界が上、日本が下という音楽的風潮に反発していましたから、そんなつまらんどこの国かもわからん音楽を聴くよりも、こんなに日本に面白い音楽があるじゃないかと証明するために、さらにいろいろと掘り始めた時期でもありましたね。

で、93年といえば再生YMOがあったり、P-MODELが『Big Body』をリリースしたり、小川美潮が『檸檬の月』、Brain DriveやM-AGEのようなヤンチャな連中が勢いに任せた作品で賑わしたり、GVを脱退した本田恭之が聖飢魔IIのエース清水をプロデュースしたり、まあいろいろありましたけど、その中でキラリと光る作品が『momoism』だったわけですね。

あの時『momoism』をお勧めしたのは、単純に電子音の瑞々しさがハンパなかったから。遊佐未森の新境地というよりも、ほぼサウンドデザイン一択でしたね。こんな繊細な音があるのかと驚かされました。もちろん野見祐二アレンジというのは事前情報にあったので期待していたのですが、期待以上でした。決して多作ではない野見が丹精込めて作り上げたサウンドワールドですから。なので、もっと早く聴いてほしかったw
こういう音は外国人は作れないから。

では本作のサウンドプロデュースを務めた野見祐二について振り返ってみましょう。
野見の最終学歴は中央大学理工学部中退なんですね。彼は音楽系ではなくて理工系なんです。もちろん音楽活動は行っていたのですがもっぱらプログレバンドだったそうです。
そして中央大学在学中に出会ったアーティスト荻原義衛のパフォーマンス用の音楽をシンセプログラミングの多重録音で手掛けた際に、ふとしたきっかけで坂本龍一に気に入られて、そのユニットは「おしゃれテレビ」となりミニアルバムをリリースすることになります。ここでは荻原は作詞とコンセプトワークを担当し、野見はサウンド全般、ボーカルには吉永敬子や尾形由利らを迎えて、シンセポップや組曲風、実験音楽風の楽曲でその才能の片鱗を見せつけます。特に「アジアの恋」という楽曲は坂本が大層お気に入りで、自身のアルバムで「Free Trading」というタイトルでリメイクしているほどです。

こうして坂本に認められた野見は、坂本が手掛けた映画音楽のサポートに引っ張りだこになります。1986年の『子猫物語』では上野耕路や渡辺蕗子(ショコラータ)らと共に参加(あの有名なテーマソングは野見のアレンジ)、1987年のアニメ映画『オネアミスの翼』では上野耕路や窪田晴男と共に参加し数曲を手掛けます。そして極めつけは坂本がアカデミー作曲賞を受賞した『ラストエンペラー』の劇伴で、野見は上野耕路と共に坂本楽曲のアレンジとオーケストレーションを担当、影の立役者として坂本の栄光に多大な貢献を果たしました。

なお、彼の非凡さはオーケストレーションが独学というところにも表れています。坂本や上野がそれぞれ東京藝大作曲科、日大芸術学部作曲科というアカデミックな教育を受けているのに対して、野見は持ち前のセンスだけでオーケストレーションを組み立て、数年でアカデミー賞の片棒を担ぐところまで到達するという、これが才能と言わずして何をか言わんやです。

とはいうものの野見はポップス界においてはめったにアレンジを手掛けておらず、「ぼくの地球を守って」のイメージアルバムを中心的に手掛けた以外は、1992年の上々颱風の3rdアルバムの管弦アレンジをしたくらいでしたので、ほぼその存在を忘れつつあったわけです。

そのような中での遊佐未森『momoism』サウンドプロデュースのニュースが飛び込んできたときは、密かに大喜びいたしまして、あのおしゃれテレビの野見祐二のサウンドが遊佐未森の作品で聴くことができる期待感に溢れていたわけです。そして彼はその期待以上のサウンドデザインで予想の斜め上にクオリティを高めることに成功したわけです。なお、本作後の1995年の宮崎駿ジブリアニメ「耳をすませば」の音楽を担当し、やっと彼の名前が一般に浸透していくことになります。

@junnovi:
わ、センセにしてはとても長いっ!
いつになく熱量が違いますな。

ワールドミュージックについてはセンセの言う通りで、物珍しさで聞いていた節が多分にあって「こんなの聴いて何が楽しいの?何かバカにしてないか、私らだけでなく、彼らも。」って思うことが多かった。梅田茶屋町 LOFTのWAVEや阪神百貨店のBREEZEは良心的な情報提供の場になっていて、何度も何度も通ったものでした。結局、ワールドミュージックとか言っても私の場合、その入口がPeter Gabrielだったから、ほぼリアルワールドからの作品ばかりでした。それ以外は単なる物珍しさだけの確率が高く、購入前に試聴もできないし、情報も極めて限られているし、学生身分には博打みたいなものだったから、保守的になってしまった。そんなリアルワールドレーベルでは、何作か愛聴する作品と出会えました。
Nusrat Fateh Ali Khan & Michael Brook『Night Song』、Shiela Chandra『ABoneCroneDrone』、Afro Celt Sound System『Release』とか。どれも西洋音楽のロジックと、各地の音楽との融合という着地点を模索する意欲作ばかりで、聴いて楽しかった。また、シンガポップで有名なDick Leeも『The Mad Chinaman』で知ったけれど、日本で売れる前の曲の方が好きになったりと、音楽を聴き続けることはやめていませんでした。

ワールドミュージックの珍奇さと先進性、オリジナリティやクリエイティビティ、これはワールドミュージックを語る上では看過できないポイントで、批判的な視点は保つべきだと思う。実際、自分の中にある音楽とかけ離れていて、受け入れられないものも多かった。上に挙げた作品はどれも西洋音楽に阿りすぎだという批判も当時からよく指摘されていた。
当時、識者と名乗る色んな人たちが、御託を並べて自説の正当性をまくしたてたり、ワールドミュージックの普遍性を講釈垂れてたけど、結局定着せず、一時期のブームでしかなく、一部の律儀なファンがお金を落とすことで食い繋ぐという有様になった。

私はPeter Gabriel『Passion』で強く惹きつけられたけど、私自身も結局はそこから先には進めなかった。

さて話が大きく逸れてしまったけど、野見祐二については意識して聴いたことがなくて、1曲目「オルガン」がそれとはなしに終わって始まった2曲目「ロンド」のオープニングで「え?何?」ってなり、流れ落ちるようにAメロに繋がり、豊穣で柔和な音世界が心地良く展開していくのを、ただ呆然と聴くしかなかった。「センセが言ってたのはこれなんか?」ってね。

@tpopsreryo:
茶屋町LOFTの梅田WAVEはワタシも大変お世話になりました。ただワールドミュージックのイメージは全くなくて、めちゃくちゃ渋谷系推しだったような・・かと思えば小西健司の4-Dが陳列されてたりとか、オカノフリークのカセットテープが売っていたりとか、関西ニューウェーブにやたら強かった。ナイスミュージックの2ndが渋谷系に分類されていたのもWAVEでしたw

WAVEといえば心斎橋WAVEも非常に活気があって、トランソニックとかとれまあたりのジャパニーズテクノ系はあそこで試聴したなあという思い出がありますね。
ワールドミュージックに強かったのは心斎橋のタワーレコードだったかな。ワールドミュージックには関係ないんだけど、90年代後半にはあそこでジェリーフィッシュ(女の子三人組テクノポップ)を見つけて、阪神BREEZEで2ndを買いました。ここではどうでも良い話ですが、ワタシにとっては現在につながるいろいろな思い出です。だって20年後そのジェリーフィッシュのメインボーカルのトモコさんとお友達になるわけですから。

ちなみに遠藤裕文さんのスノーモービルズを見つけたのはHEPの梅田ヴァージンメガストアでした。

まあ、外資系CDショップの思い出はそれくらいにして・・・あれ?HMVは?

で、Dick Leeの話題が出たので付け加えておきますが、彼が94年に日本で公演したミュージカル「ファンテイジア」の音楽監督は野見祐二です。
時期としてはこの『momoism』の直後であって、95年の「耳をすませば」の前ということで、ここで野見ワークスが地続きになるわけですねw

あと野見ワークスとしては96年にかの香織の名曲「ばら色の人生」をアレンジした後は(遊佐の曲については何曲かオマケで後でレビューするんですよね?)、神戸ルミナリエの音楽を担当したり、ドラマや映画音楽の世界で生きていくことになりますが、おまけとして2008年の岩崎宏美「始まりの詩、あなたへ」の編曲を担当します。この曲の作詞作曲は大江千里。平凡な曲ですが。

@junnovi:
ワールドミュージックのニュースソースは、確かに心斎橋はアメリカ村のタワーレコードもありましたが、私は、POP文がどうも苦手で他店舗で買ってました。それでも2000年頃にはアメリカ村のタワーレコードによく通ってました。ついでに近くにあるKing Kongっていうお店にも立ち寄ってた。私にはほぼ何も得るものはなかったけど。
アメリカ村のタワーレコードは、ワールドミュージックよりもクラシックの方が優れていて必ずフロアを2つ上がり、クラシックのところで時間を忘れて試聴したり陳列棚を眺めてた。あとクラシックに関してはそれよりも優れた品揃えと質の高い情報提供していたのは、心斎橋OPAにあったHMVでした。逆に全く付き合いがなかったのはヴァージンメガストア。ヴァージンレコードといえば愛聴したSteve Winwood『ROLL WITH IT』とか、それこそPeter Gabriel『Passion』が出たレーベルだし、確かYoussou N'Dourが世にその存在を知らしめた『The Lion』もこのヴァージンだったはずなんだけど(私は世界販売戦略の出世作で大成功を収めたこのアルバムが余り好きじゃない。モッチャリ、ゴモゴモしてて、軽妙洒脱さやキレがなさすぎて・・・)レコード店とは残念ながら縁がなかったです。ヴァージンレーベルといえば浜田麻里もそうだったっけ?「♪ハータンソー!」

そういうことで言えば余りセンセとは話してこなかったけれど、どこのレコード店と関わりを持つかというのはとても重要なファクターやったよね。センセくらいやったら問題ないけど、私をはじめとする音楽にはこだわりはあるけど、何が好きか何が良いと思えるかが自分でもいまいちよく分かっていない人は、実際どれだけお金を使って一喜一憂したことか…

Dick Leeと野見祐二、そんな所で!? ミュージカルが好きなDick Leeは「ナガランド」とかやってて私は「ん~イマイチ。好きじゃないなぁ。」って思い、だから「ファンテイジア」もよく知らないんよ。そうなんや!ビックリ。
私のDick Leeの好きな曲は「Fried Rice Paradise」「Cockatoo」です。どちらも唐突に曲調が変わって何度聴いても楽しいのです。

岩崎宏美はやっぱり「ロマンス」であり「ファンタジー」であり「シンデレラハネムーン」。これ、大江千里の曲なんや。それこそ遊佐明子「グッドモーニング・ミルクハウス」と同じ系譜やね。アレンジも申し訳ないが特段…。てか、そのセンセのものすごいリサーチ力に感服するわ!

@tpopsreryo:
momoism以外の野見祐二の仕事5選を挙げていきましょう。まず、彼のデビューユニットおしゃれテレビの「アジアの恋」。

吉永敬子「子猫物語」。吉永はおしゃれテレビのボーカリストですから、これ半分以上はおしゃれテレビです。坂本龍一との共同アレンジですが、プログラミングはほぼ野見ですので、9割方は野見です。坂本は忙しかったから野見が丁稚奉公のように働いていました。

3つ目はアニメ「オネアミスの翼~王立宇宙軍」のサントラから「歌曲アニャモ」。無国籍風ですが、歌詞は全て造語です。歌は森谷美月。リンク先は坂本となっていますが、この曲は野見作編曲。

4つ目はジブリの「耳をすませば」のメインテーマ「カントリーロード」。歌は主役の声を演じた本名陽子。ジョン・デンバーの名曲のリメイクです。原曲よりもドラマティックなアレンジとコード進行で断然こちらの方が好きですね。

最後はかの香織「ばら色の人生」。及川王子のも名曲ですが、こちらはスゴく死ぬ前感が出ていて棺桶に入れたくなる見事なアレンジ。

電子音のプログラミングとオーケストレーション(特に木管の扱い方が秀逸)に長けた天才編曲家である野見祐二が、恐らく唯一他人のアーティストのアルバムを全面プロデュースしたのがこの『momoism』なのです。彼が紡ぎ出した豊潤な音世界を各曲を聴きながら振り返っていきましょう。

@junnovi:
おしゃれテレビ「アジアの恋」初めて聴きました。琴の音のような分散和音は『momoism』でも「ハープ」でも聴けるね。あとスネアの心地良いキレと、控えめなスラップが私は好き。たまに鳴る拍子木の音もアクセントになってる。歌と同じくらいのボリュームを占めるバイオリン?のソロ。伸びやかな旋律が美しいね。

子猫物語の主題歌。猫が好きじゃないから観なかったけど、ありましたね~。
コレはまた音粒の立った曲ですね。ドラムマシンの音が気持ちいい。カウンターメロディの入れ方やアクセントの付け方とかの鮮やかさや広がりを持たせるあたりは、先の「アジアの恋」でもそうだったけど、私にはどこか遠藤裕文を想起させる。勘違いだったらゴメンです。

@tpopsreryo:
そうそう、分散和音ね。野見祐二は昔からその使い方が上手だった。分散和音をプログラミングで作るセンスに長けていたんですよ。「アジアの恋」は坂本龍一が絶賛して、その後数年は坂本の手足となって働かされると。小室哲哉と浅倉大介みたいなアレですw
おしゃれテレビの音から遠藤裕文を思い出してくれたら、遠藤さんは大喜びしてくれると思いますよw

@junnovi:
そうなの?ちょっと的外れだったらどうしようと恐る恐る書いたのだけど…

@tpopsreryo:
おしゃれテレビっていわゆるMIDIレコードの音なんよ。坂本龍一や鈴木さえ子、大貫妙子、EPO、つまり清水信之系とも言えるのね。遠藤さんは明らかにその辺から影響受けてるから。まあ無果汁団もそうなんだけど…w

@junnovi:
フォーライフな無果汁団?w

@tpopsreryo:
それそれw
あの人たちはテッチー世代だから。

@junnovi:
なるほどね。私は坂本龍一が苦手だけど、清水信之とか重要な才能が集まってたんやね。

歌曲「アニャモ」。これは劇中歌のソレだなと思いました。そのためオーケストレーションは、いささか安易なユニゾンが多く、響らしいところは余りなくて、悪いけどこれは単独の曲としてはあんましかなぁ。もうちょっとなんかできたんではないかなぁとは思うけど、アタックを全面に出すことを狙ってであればこういうアプローチになるんかなぁ。

「カントリーロード」。この曲は以前センセから紹介を受けていたから知ってるよ。
コレはね、ホンマにセンセには申し訳ないんやけど、このジブリチックな小芝居じみた明るさとおひさまサンサン感に違和感と反発とひがみを覚えてしまう。けれど中間奏からは急に後ろの音楽が豊かになる。これは遊佐未森後年の「ピクルス」にも通じるヘブンリーさがあって、歌曲「アニャモ」とは違い、とても軽やかで魅力的なフレーズが沢山出てくるし、それが絡み合って複雑な響きも生み出している。なのですごくもったいなくて。
小鳥たちのさえずり、高い空に消えていくさま、そういうとても自然な発露がこの曲の後半のアレンジには施されていて、しかもそれがちゃんと伝わってくる。素晴らしいと思う歌以外は。なんか腹立つw。

@tpopsreryo:
「アニャモ」はまさしく劇中歌なので、それくらいの引っ掛かりのなさでちょうどよいかと。この『オネアミスの翼』は坂本龍一がオファーされた仕事で、彼ができないタイプの曲を野見が任されているのね。そこでああいう中世ぽいヤツとか讃美歌風とかそういうのは野見仕事になると。彼のその後のサントラ仕事に繋がる重要な仕事がこの作品なので挙げました。

カントリーロードは単純に原曲をここまでドラマティックにできるのはアレンジャーとしての力量だと思うので。ジブリはそれまで久石譲だったのに、あえて野見というのがポイントかと。
歌?特にいつも気にしないからわからないねw どんなふうに歌おうが関係ないので。極論を言えば、この曲を高木淳也が歌ったとしても評価は変わらないですw
それでも歌モノしか聴かないのですがw
歌を音色としか聴いてないからかも。歌い手のキャラとかバックボーンとかそういうのは曲に関係ないというか…強いて言えば歌詞も重視しないので…。あ、本名陽子も下手やな~とは思うけど毛嫌いすることもないです。特に何も思うことはないだけ。たまたまその歌があてがわれた以外何物でもない。

@junnovi:
確かにジブリはひたすら久石譲やから、その観点からこの曲を見た時、面白いね。野見祐二って、ものすごい有名なアレンジャーではないけれど、それはやはり手がけた作品数が少ないからで、けれどもそのとても少ない作品数であったとしても、必ずと言って良いほどプロの誰かに相当高い評価を受けているんやなぁって思いますね。

かの香織の「ばら色の人生」。コレはまたもう…。
実は私には中古の安物カゴて入手したまま一度も聴いていない作品が『momoism』以外にもう一つあって、それがこの『Oh Là Là』です。100円で買ったんです、まずまずのコンディションの中古品を。そして今もまだ一度も聴いてない。コレもセンセからは名盤だと何度も聞いていながら、聞いてない。
なので初めて聴きました「ばら色の人生」。まずは3回通しました。

@tpopsreryo:
『Oh Là Là』は名盤やね。全曲アレンジャーが違うの。
羽毛田丈史、CHOKKAKU、菊地成孔、鴨宮諒、鈴木智文、上野耕路、三谷泰弘、門倉聡、そして野見祐二。
実はスタレビ三谷のアレンジ曲が良かったりする。実は彼、福岡ユタカと窪田晴男と一緒のバンドだったらしい。人種熱という…。

@junnovi:
人種熱w
全ての曲のアレンジャーが違うって中々のこだわりやね。

@tpopsreryo:
90年代ソニーガールズポップ四天王。かの香織、小川美潮、鈴木祥子、遊佐未森。今決めたw

@junnovi:
そやね、気持ちとして、種ともこ入れたいけど、良いのは80年代だから。。。

@tpopsreryo:
種は80'sで終わりました。飯島真理にしろ八神純子にしろ外国人が絡むと、落ちるね。

@junnovi:
で肝心の「ばら色の人生」。
何と美しいアンビエントシーケンス。どこまでも柔和に何もかもを包み込むように広がっていく。
ハープ系とストリングス系との見事な融合。とにかく、あらゆる音色の的確な選択が素晴らしい。中間奏からはオーボエ系の音も合わさり、さらに豊かさが増していく。掛け合うような旋律の綾が見事なタペストリーのように構築していく。
メロディがまたとても美しい。想念の溢れ漲る表出がサビ部分で現れる。2番からはさらにピロピロ音が彩を添えて盛り上げていく。
美しい。とても美しい曲。

かの香織の歌唱法は『fine』の頃よりさらに個性が強くなり、聴きづらい面もあるけど、こういう大局的なものであるときは、むしろ誰彼問わず受け入れられるような物ではない方が伝えたいことが伝わるような気がする。

このオーボエ系の音の掛け合うような旋律同士の絡み合いは、どうも複音楽を思わせるねん。バッハね。
なんか野見祐二はバッハのことがとても好きみたいで、その想いがこういうクリエイティブなところで、取ってつけたような不自然さは全くなく、響き合い、融合することに成功してる。

ただ唯一難点があるねん。多分センセはわかってると思う。
これから私が言うこと、多分感づいてると思う。

@tpopsreryo:
大丈夫です。全くわかりません。言われたらああ~というレベルだと思いますので解答をどうぞw

@junnovi:
それでは。唯一の難点、それは、オープニングとエンディングにある、時を刻むコチコチという音。これ、大江千里の、絶望的に陰鬱でおぞましい「♮」のオープニングとエンディングを想起してしまうのです!

@tpopsreryo:
そこかw
かの香織と大江千里のコチコチの違いは明らかですよね。
前者は幸せな人生だったんですよ。納得のいく全てをやり切った、信頼できる家族や友達に看取られる、まさにばら色の人生。
後者は女にフラれて絶望と孤独に苛まれて自死する女々しくも最悪の最期。一緒にしないでほしいw

@junnovi:
だって!w
そう。制作者がリスナーに伝えようと思っていることの中身も、スケールの大きさも深さも、その意味も確かに違いすぎるの。一緒にしちゃいけないの。けれど想起させるねん。それくらい大江千里の「♮」のおぞましい磁場の強さと暗さに吸い寄せられてしまう。助けて!!


改めて歌詞を読んでみた。
かの香織は、出逢ったことをはじめ、別れすら赦しにも似た思いで優しく手放し、そして何物にも変えがたい出来事も全てを受け入れて、心から感謝の念を抱き、まさに人生の総仕上げに思いを馳せて作られた曲。その生きてきた実感を確かめるように心臓の鼓動が響くのだろうね。私は生きている。私は生きて来たと。何と感動的な歌詞だろう!!
対して大江千里の「♮」で描かれている世界は、残念ながらとてもまずしい。色々と書いているけれど、つまりは「自分が幸せでなきゃ話にならない」「自分が幸せでないこんな関係は無意味。こんな世の中も存在意義なし」としか書いていない。老いたから何なのか。「老い」の何を知っているというのか。彼女とのすれ違いを、しみったれた生活と老いていく時間とに重ねて、「ボクって不幸でしょ?」と構って欲しいフラグがあちこちに立ってる。こんな何の価値もない人生には終止符を打つのだと持ち出された心臓の鼓動。青春の時は確かに短い。上手くやりおおせず、何もかもが通り過ぎていき、喪失感ばかりが募る。けれどもそれを自分にではなく愛情の対象に疑問としてぶつけてどうする?何の権利があってそんなことができるのか。何と残忍で愛情のかけらもないことであることか。

嗚呼すみません。かなり没入してしまいました。
センセの指摘通り、話にならないほど違いのある2曲なので、引き合いに出すこと自体が間近っているのだろうけど、どうしても想起してしまって…。

@tpopsreryo:
だって2人の死に顔を比べてごらん。かのさんは幸せそうに微笑んでいるだろう?かたやワクチンで死にかけたジャズピアニストを見てみろよ。痩せこけて目が窪んだ死相丸出しの断末魔の顔で怨嗟の言葉を呟きながら手首から血を流して事切れているんだぜ。比べてやるなよ。生きてきた徳の数が違うよw

@junnovi:
なぜそこにアナフィラキシーのことがw
まぁあまりに対比が楽しくて、散々こき下ろしちゃったけれど、ああいった表現者も居たって良いわけで、銀色夏生しかり、先例のないプライオリティもあったし、あの時代の要請にも合致していたしね。これがもっと普遍性を帯びることができたなら…。

大江千里の姿勢は、ポップスをしてようと、ジャズに転向しようとも、日本にアナフィラキシーショック帰国してようと、一貫していて、どこまでも自分の幸福の追求なんよね。音楽の素材も、他者の存在も、活躍する場も、全て自分を盛り立てるものであるか否か、その一点に収斂される。コロナワクチンも「生還」などと言いながら、ネタとしてしっかりと「回収」できたろうし、まぁ相当な厚かましさと、周囲への感謝とか誠実さが希薄なのだろうなと想像できる。それでも私は当時の彼の音楽を心から愛するし、これからも何度となく聴き、口ずさむことだろうと思うわ。

かの香織の楽曲の類い稀な包容力には、感服するほかないですね。1曲ずつアレンジャーを変えた覚悟や目論みが見事に結実したのがこなアルバムだったんやね。そして中でも野見祐二と共に作った「ばら色の人生」は大団円に相応しいまさに至上にthanksgivingな曲になったんだね。今回、遊佐未森の『momoism』を取り上げて、センセと野見祐二について掘り下げて辿り着けたよ。感謝です。
バラードが苦手なセンセが絶賛するなんて結構珍しいよね。

@tpopsreryo:
大丈夫。大江千里はそういうアーティストだからあれで良いのです。それにしても心音を刻むような時計の音で対照的な2曲を楽しめて、なかなか興味深かったです。

バラードは苦手だけど、サウンド面で工夫があれば良いのです。情景描写豊かに音像を作り出してくれれば。歌や言葉が主役になるのが嫌なのです。そしてその情景描写のためにはエレクトリックに加工して立体的に構築した音像が欠かせないわけです。そこで物語に色がつくのですよ。ピアノやギターの弾き語りの限界を超えるのです。

@junnovi:
大江千里はミーイズムの最先端にいたのだろうし、それが彼の生きるスタイルなんやろね。

ところでこの『momoism』のアートデザインに触れたいんだけど、まずジャケット。遊佐未森の衣装はやはりヒツジ?それともカットのやり過ぎた洋犬?まぁ似合ってるけどね。
あとこのジャケットについては、遊佐未森の足元あたりに三白眼の目が見えるねん。それが気味が悪くてね。単なる見間違いなんやけど、私の目にはそれが足や裾よりも先に入ってくるねん。だからいつもジャケットは見ないようにしてる。こわくて。アホやろ?

↑これが三白眼?

で、ブックレットの中身やけど、中央に観音開きでしつらえた写真があるねんけど、ここでもお得意のクラゲ踊りのオンパレード。表紙と同じ白い衣装と冷たく青ざめたトーンがまさに北の海漂うクラゲそのものに見えてしまう。この仕草、今もしてるのかなぁ。キツいなぁ…。あと観音開きの左扉にあるこっち見てる写真も正直苦手で、なので結局この辺りは飛ばしてしまうのです。

それ以外の装丁は一貫したテーマがあって、手に取って開くことの喜びを感じることができる。遊佐未森自身の言葉があり、白いページ、桃色のページ、黒の文字、白抜きの文字、桃色の文字。優しい柔らかさに満ちている。裏ジャケはもちろん、CD盤面のデザインも一貫しているし、とても好感が持てるよね。それで心の準備ができて、再生したらまさに柔らかく豊かな音世界が始まるのだから、素晴らしいよね。

@tpopsreryo:
遊佐未森のアートディレクションといえば、デビューから一貫して石川絢士が手掛けていて、そのジャケットデザインの完成度だけは好きでしたね。そしてそのデザインに音楽が追いついていなかったように思いますね。なお、石川絢士のジャケデザインは鈴木祥子の『風の扉』や『Long Long Way Home』、小川美潮のEPIC3部作、土屋昌巳『Horizon』、くじら『メロン』やドラゴンオーケストラの2枚、ソフトバレエの1stも彼の仕事です。これ、絶対福岡智彦の手引きがあるよねw

で、『momoism』からは石川絢士の手から離れて、ロンドンのアート集団Stylorougeが手掛けているということで、アートディレクションの観点からも新機軸の意味合いが強いと思うのです。音もデザインも一新、オーガニック性が滲み出ているんですが、何よりもカラーが良い。桃なのにピンクじゃなくてグリーンなのがよい。この芳醇なサウンドを表現するにふさわしい色だと思うのです。このあたりが岡村靖幸との違いです。彼はピーチタイムとか言って靖幸マークみたいなの作って3rdアルバムをピンクにしてスベってたわけだから。やはりジャケットデザインと実際のサウンドとの関係性も、作品を評価する上で重要なポイントの1つであるように考えています。あ、三白眼の目は偶然の模様でしょうw

@junnovi:
石川絢士といえばこないだの福岡智彦のサイトの記事にも出てたね。福岡の手引きがあったのではないかというのは私もそう思うし、どうも社員だったみたいだし、そりゃ使うよね。
並べられたアルバムタイトルを見てどれも印象強いものばかりだから、俄ファンではないけど、彼のサイトがあるので見てみた。
うわぁ、美里かあ…。まりやかあ…。とても有名なタイトルもあるね。
ただどちらも鼻持ちならないほどに自意識全開なフレーバーがデザインから迸っていてしんどい。美里は顔中心で円形や弧。まりやは体全体で縦の線。彼女ら2人のジャケットを手掛けたことを押し出しているけど、どうなんだろうね…。
それに対して他の作品には、当時何かグッと引き寄せるような興味を抱いたものがいくつもあって、才能を感じた。
種ともこもCBS末期に関わってたんやね。
美里と同じアプローチやけど三白眼な上に狙いすました目つきをする種ともこにはコレはアカンな。
小川美潮epic三部作は実に素晴らしいアートワーク、鈴木祥子『Long Long Way Home』も大好きな装丁、キリングタイムは中身よりデザインの方が気になったくらいだったし、Qujilaも素晴らしかった。土屋昌巳に至っては芸術性を感じるほどだったし、リマスター限定BOXではそれが再現されるのかが私の中では重要なポイントだった。
そして遊佐未森。上質な絵本のような装丁は、他の追随を許さなかったよね。
それだけで惹かれた人は相当数いると思うわ。
今回(注:このトークは2021年夏です)、ようやく『空耳の丘』がリマスターで発売されるよとセンセから教えてもらったけど、当時の装丁が再現されるのか(そうなるとラックに収まりにくくて扱いが…という面もあるのだけれど)とても気になるところ。
遊佐未森のアーティストのイメージを構築する上で石川絢士のデザインは大変重要な役割を果たしたんだと思えるね。

『momoism』の緑は桃の葉やろね。
その奥に遊佐未森がいて桃の実などがたわわに実る音世界が待ってて、彼女はそこでクラゲ踊りをしているのです。

三白眼はね、種ともこだけで良いのにさ、一度そういう風に見えちゃうとそう見ちゃうのが情けない。

@tpopsreryo:
なるほど桃の葉か!でも遊佐は白なんだ。ピンクは中で使ってるのね。

@junnovi:
桃の園なんちゃう?遊佐はその中でユラユラ漂うクラゲ…

@tpopsreryo:
クラゲ関係ないw

@junnovi:
ホンマや!
TVゲーム的なイメージ。桃畑に潜むクラゲに注意して!

石川絢士って本の装丁というか表紙もたくさん手掛けてるね。知らなかった。私的な自分のノスタルジーも加味して、Epic時代の作品に好きな物が多いな。

ところで、冊子の終わりの方には1曲ごとの参加ミュージシャンが載ってるけど、意外と野見祐二が全てをプログラミングするんじゃなくて、必要に応じて招聘してるね。

@tpopsreryo:
梅崎俊春のことやね。恐らく彼はサブだと思うけど、その後エイベックスからHALのメンバーとしてデビューしますね。

@junnovi:
そう。ますば梅崎俊春。野見自身ほぼ全ての曲でcomputer & synthesizer programmingしてるのにわざわざ呼んでしてもらうのは?って思ってん。
何か役割分担あったんやろね、センセは何か分かる?

@tpopsreryo:
梅崎俊春は当時からキャリアを積んだプログラマーで、小林武史の『Testa Rossa』や、フェアチャイルド、パール兄弟の『六本木島』、ヤプーズの『ダイヤルYを廻せ』なんかも彼がプログラミングしている。シンセプログラミングなので、音色作りを野見と一緒にやっていたみたいやね。
20年ぶりくらいにHALの映像見たけど、Roland SYSTEM-700がセットされていて笑っちゃいました。記憶する限りではSYSTEM-700フルセットはP-MODELの小西健司以来。
それで出てくる曲が浜崎あゆみみたいなヤツばかりなんでw

でもシンセにこだわりがあることは伝わったよw
曲がキャバ嬢と同伴でカラオケに行った際に歌われるヤツばかりだもんな…才能の無駄遣いw

@junnovi:
色んな活躍をしてる人なんやね。しかも中々こだわりのある作品で関与してる。ほぼ知らなかったよ。この引き合わせも遊佐未森と共同プロデュースしてる福岡智彦が関与してるのかなぁ?

こういう時、よく思うねん。「この曲には牧歌的な響きが欲しいからリコーダーを入れたい」って、①誰がそう思い、②それを誰に言い、③誰がその思いを実現するために動くのかなって。
恐らくケースバイケース、例えば、①の言い出しっぺは遊佐未森だったり、野見祐二だったり、福岡智彦だったりなんだろうけど、この『momoism』では遊佐未森や野見祐二を入れて総勢20名ものミュージシャンが参加してる。
「今度の木曜日の午後からスタジオに来てくれる?」
「この曲なんだけど演奏してくれる?できる?」
「こういう音が良いんだけど、もう1回音もらえる?」
なんてことを言うのとか大変だろうなぁと思うねん。そう思うとアレンジャーってすごく大変やなぁと思うし、プロデューサーも大変やなぁと思うんです。

@tpopsreryo:
梅崎の起用は福岡さんというよりは野見サイドかなあ。推測なんですが窪田晴男繋がりじゃないかな。野見と窪田はオネアミスの翼を一緒に作ってるので。窪田の紹介かと。戸田誠司ラインはなかったと思うから。その2人と福岡さんとのつながりも不明だしね。

基本的にミュージシャンのスケジュール調整はディレクター、上記の演奏できるかの確認やリテイクもディレクターだね。福岡さんね。
リテイクは野見も関わると。サウンドプロデューサーだからね。
①はトータルプロデュースは遊佐と福岡さんだけど、別にサウンドプロデュース立ててるから、野見も加わるか。
②は福岡さんで③は野見が動く→シンセ音色作りは梅崎と共同でやるってとこやろうね。

@junnovi:
ふぁあ!クレジットひとつでそこまで読み取れるやなんて!

@tpopsreryo:
本来音楽雑誌はこういうことについてアーティストと語ったり解説したりしなければいけないわけで、素顔とかいらないわけ。それはタレントの本分なので。音楽家なら音楽や作品や演奏や活動のことについて話したいだろうし、聞くべきだろうね。

@junnovi:
音を伝える人たちなんだから、それについての説明が聴けるならそれほど楽しいものはないと思うね。
ティーンエイジャーが初めて抱く感情を、自分の語彙力では表現できなくて、代弁者を求めることがままあるから、そういったミュージシャンに答えを求める。

尠ない語彙の中にあっても、言葉と誠実に向き合うこと。それがなかったら誰かに依存したり、権威におもねったり、束縛の強い組織に帰属したり、強弁を振るう人や声の大きな人に盲従したりする。
ミュージシャンの中にはメッセージ性の強いことをウリにしている人は多くいるから、そういった需要の受け皿の役割を果たし、需給バランスが取れていたりする。
言葉にできない蒙昧な感情に言葉と節回しと音像を提供することの直截的な充足感はかなり強烈なものだと思う。
音楽をどう言うふうに聴くのかは人それぞれだけれど、音楽として乗り切らないくらいに情報やら思いを盛り込みすぎるのは、私はもうそれはミュージシャンと言うよりもアジテーターじゃないかなぁと思うので、センセの言う、素顔を暴くとか哲学を語るというのは、あんまし好きなベクトルではないな。
実際ミュージシャンの話の多くは語るに落ちるような内容が結構多いと思うし。

まさに東京オリパラの小山田圭吾なんかは、そういった最たる例やんね。

@tpopsreryo:
ミュージシャンは基本芸人なのでああいう風に自分語りする時はキャラクターを作らなければならない。それが仕事だから。
だから小山田も1つのキャラクターだったと思うけど余りにもどぎつかったかなw
今はキャラ変してたんだけどね。
なので別に小山田の素顔がそれではないかもしれない。
あくまで若い頃のキャラとしての…。
小山田は彼なりにキャラとして仕事しただけなのかも。
そういう若い頃の破天荒なキャラを今になって蒸し返されてるだけなのよね。となれば媒体やキャラを通してしか見れていないのに、部外者があそこまで無差別に批判する理由にはならんね。関係者で解決する問題。
キャラは批判されるべきだけど。
住谷がレイザーラモンHGを今になって叩かれてるようなもん。

@junnovi:
小山田圭吾はフリパの海がどーたらとかいうアルバムの頃から音楽も容姿も・・・だったから、その後も聴こうとは思ってなくて分かんない。
ただ今回の障害者虐待については、やらしいことしててんなぁと思うし、時代性を加味しても一線は軽く超えてると思うから、武勇伝として語るには趣味が悪いなと。でも正直言って、別にどうでも良いし、この件についてそういう姿勢を示すことがサイレントマジョリティには当てはまらないと思う。
で、小山田圭吾は音楽的には一貫してこだわり系のポジションに居た気がするけど、終始私には接点はなかったですわ。

今回は野見祐二絡みでかなり話が続いてて、しかも脱線もしてホントに話が尽きないんだけど、まだ続けるで。

センセの説明で制作時の役割分担はすごく良く分かった。制作者たちの思惑が音に落とし込まれ、録音もできたら、それを一つの音楽として合わせるのがミキサーの仕事になるのやね?

@tpopsreryo:
制作者たちが侃侃諤諤して作り上げ演奏者がプレイした音がレコーディングエンジニア(ここでは河合十里ね)によってトラックごとに録音されて、いよいよ音楽的に仕立て上げるのがミキシングエンジニアの仕事やね。
必要なエフェクトであったり音の抜き差しであったり…絶妙なバランス感覚やエフェクトのアイデアが試されるのもエンジニアのセンスや力量が発揮されるのがここですね。
何度も何度も繰り返しミックスダウンが行われて、完成した2ミックスをマスタリングエンジニアが音量音質を整えて完パケするという流れかな。

@junnovi:
今回のエンジニアはNigel Walkerになるってことやね。

あと、このレコーディングエンジニア河合十里と福岡智彦や野見祐二とは作業の時にあれこれやり取りするってことね?

@tpopsreryo:
河合はまあ録りだからね。マイク周りとかアンプ周りとか入出力関係の調整しながらやろね。やはりミキサーのナイジェルとのやりとりが大半でしょうね。
福岡さんとも仲が良いみたいだしw

@junnovi:
なるほど。確かに福岡智彦のあのサイトでもナイジェルのこと書いてたね。
そういえば、あのコムデギャルソンな人は?
何してる人になるの?
何であんなに高評価なの?
何でそのためにQujilaの『たまご』がアナログでリリースされるの?

@tpopsreryo:
あの人(セイゲンオノ)はナイジェルと同じ役割ね。
アイデアとセンスに長けているんでしょう。
糸電話でギター録りするような人だからw

@junnovi:
じゃコムデギャルソンな人も中々重要な仕事してるんやね。なるほど。
センセはコムデギャルソン聴かないの?

@tpopsreryo:
歌モノじゃないのは…歌モノでやりたい放題というのが好きなのでw

@junnovi:
そっか。そやったね。
まぁこれでほぼこの項目で確認したいというかセンセに聞いてみたいこと、私が言っておきたいことは出せたかなと思う。
各曲のクレジットについてはまたそれぞれの曲で必要があれば触れるということで良いのかなと。どない?

@tpopsreryo:
そうですね。各曲があるし総括もあるのでここではこのくらいが良いでしょう。
元からここは野見祐二コーナーにしようと思ってたので。
そのようなわけでいよいよ各曲解説に入っていきましょう。

@junnovi:
野見祐二についてここまでのことをやり取りしたのはなかったね〜
私が今まで全く興味を示さなかったというのが最大の理由やけど、センセはずっと前から評価してきてたんやもんね。

@tpopsreryo:
ワタシにとってはおしゃれテレビの野見祐二がたまたま遊佐のアルバムに抜擢されただけという話で、その組み合わせだけでも飯が食えたわけだからね。

@junnovi:
組み合わせが成した素晴らしい化学反応やったね。なんかまとめみたいなこと書いてるなw

@tpopsreryo:
まあ最後に総括があるので、まとめはそちらに置いといて、各曲の解説を通して化学反応を見ていきましょう。

@junnovi:
ハ〜イ

そういえば、ブックレットにある遊佐未森の文章が1993年早春ってある。
それから28年。過去に書かれているスタッフの山中さんの子も、板野社長の子も、友達のあっこちゃんの子も、もうとっくに成人して、学校も卒業して、働き始めて、好きや嫌いやシモいこととかも覚えたり、やってたりしてるんやろね。何か、時間の流れって何だろうなぁなんて思ったよ。

@tpopsreryo:
コメントが生々しいのは置いといてw
28年経過して、さて本作のクオリティは全く色褪せていないですよね。
28年も音楽を聴き続けていますが、なかなかこの境地に到達できている作品はほんの一握りしかない。

@junnovi:
発売からもう四半世紀越えてる。私はほんの最近だけど、センセは当時からずっと評価し、聴き続けてきた。スゴイことやんね。
私の聴き方は懐古趣味的でなくてね。今の文脈で十二分に満足のいく鑑賞ができるなんてほぼクラシックみたい。けれどクラシックみたいに「ここのフレーズの表情がねぇリパッティの方が冴えてるんよなぁ。」みたいなことは全くなくて、これはこれで完成された世界。
これを令和や2020年代という文脈での新解釈(=作品)が出されらとしたらと想像するのも楽しいね。
でもさセンセ、桃ってやっぱりエロチックやんね?w

それにこの『momoism』は遊佐未森が29歳の時に発売されてる。
冊子の「序詞」に出てくる3人の赤ちゃんももうほぼ同じ年齢。
人生で1つか2つくらい大切な決断をしているだろうなと想像すると、大袈裟なんだけど、音楽と人生とを考えてしまうわ。
その中にはシモいことも入ってるかも知れないけど!w ウホッ!



と、ここまで来ると話は尽きないわけでして、既に31,500字を超えるトークとなってしまいました。実はここまでがイントロダクションということで、次回よりアルバム各曲のクロスレビューに移りたいと思います。
とにかく脱線がヒドい!w
遊佐未森のことなど半分もないのではないでしょうか・・・しかも余り褒めていないのでファンの皆様には本当に申し訳ないのですが、そういう見方もあるということでご容赦いただけますと幸いです。
それではまた次回中編でお会いしましょう!

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