光を求めて(3394文字)

 こんなところから抜け出して美味いものでも食いに行こうよ、とでも言いたげな須藤の顔を無視して俺は懐中電灯の明かりを消す。背の高い木々に囲まれて月明かりも届かないため何も見えなくなる。 
 一般的に幽霊は夜に現れるとされる。しかし暗闇の中では存在を認識しようがない。声が聞こえるとか寒気がするとか、そういう能力を持っている幽霊もあるのかもしれない。まだ須藤は死んでから間もないからか、俺に付いて回ることしかできないらしく、光に触れると透けた体が浮かび上がる。立体映像みたいだ。
 夜明けは来ない。何度目か分からないため息を吐いて、ようやく俺は手がかりを調べてみることにした。
  立て札には頂上へと向かう道と下山する道とが矢印で示されている。長い年月、登山者を導く役割をしていたからか、立て札は古びて文字は掠れている。
  どちらへ進むべきか。立て札に距離は示されていない。道らしい道が続いているなら足下に注意しながら進むうちに目的地へ到着できるだろう。
  明かりを点けると虫みたいに須藤が割り込んでくる。表情は明らかに帰りたそうだ。そりゃあ命を落とすくらい酷い目に遭ったら帰りたいと思うだろう。でも帰ったって居場所はない。存在に気付いてくれる人さえいない。
  須藤とは暗闇の中で出会った。懐中電灯やナイフなどの詰まった鞄を持っていた。便利な道具を俺に残して須藤は谷底に落ちた。たぶん生きてはいない。
  俺は立て札を見なかったことにする。存在しなかったことにする。須藤の鞄を漁って使えそうなものを探してライターと水筒を見つけた。水筒に入っている可燃性の液体を立て札にかけて火を付ける。火は周囲の草木に燃え移る。炎に包まれて闇に隠れていたものが照らされる。
  そうすれば俺は下山する理由ができる。焼かれるくらいなら街灯の下で幽霊でも見ていた方がまし。
  須藤は人造人間だったから燃料を水筒に入れて持ち運んでいた。生みの親の博士が不慮の事故で亡くなった息子を思いながら開発したから人間臭い性格になっていて死んだ後も幽霊として出てくる。いろいろと無理があるな。
 懐中電灯の他にランタンを須藤は持っていた。明かりを点けて意味もなく掲げる。立て札の文字と須藤の顔とがボンヤリと浮かび上がる。
 「俺に付いてくるなよ」
 言葉は通じないらしく、須藤は不思議そうな顔をする。あほ面だ。人造人間にしては間が抜けてる。平凡というより平凡以下だ。
  明かりを消せば何も見えない。好きなだけ空想に耽ることができる。時計の針が何度回っても空腹は感じなかった。夜明けも来なかった。疲れも感じていない。
  実は下山する道も頂上へ向かう道も何度か挑戦している。その度に立て札の場所へ戻ってしまう。座標を示すものは立て札しかない。戻っていることを知らなければ、いつまでも進んでいる気でいられる。
  立て札は頑丈な作りのようで、壊すには何らかの道具が必要。須藤の残した水筒に入っている液体は温かいお茶で、引火する液体じゃない。お茶はいつまでも冷めないし、何杯飲んでも減らない。
  須藤が落ちた谷底のことを考える。立て札と違って一度きりしか谷は見ていない。俺が荷物を持っているときに落ちたにしても、腕時計までこちらの手元に残っているのはどういうことか。
  頂上にあるもの。それは達成感。おそらく谷底に落ちるのとは真逆の感情。須藤は頂上を目指して谷底に落ちた。でもそれは分かりやすく終わりがあって悪くない。生きているか死んでいるか分からなくなるよりも。
 「もう一度、谷へ行ってみよう。お前の道具もみんな返してやる。だから成仏してくれ」
  今度は言葉が通じたらしく、須藤は小さく頷いた。
  谷は頂上へ向かう道の途中にある。道沿いに進むとグラグラ揺れる大きな橋があって、床板が腐って体重を支えきれない場所がいくつかある。
  思った通りに俺は谷へとたどり着く。目標を設定することが目標を達成する第一条件となる。懐中電灯で辺りを照らして須藤を捜す。声を出して呼びかける。しかし須藤は現れない。
  付いてこなかったのか。到着したことで成仏したのか。分からない。とにかく鬱陶しいのがいなくなった。このまま橋を渡って歩き続ければ頂上まで行ける。
  手摺りの代わりに張られたロープを片手に床板が崩れ落ちないか気を付けながら渡る。足下から軋む音が聞こえる。以前にこの橋を渡ろうとしたときは須藤が床板を踏み抜いて谷底へと落ちた。そのはずなのに俺は自分が谷底へ落ちていく感覚を思い出していた。バリバリと音を立てて足裏が腐った床板を突き破り宙へ放り出される。暗闇の中へ落ちていく途中、握りしめたままの懐中電灯の光は何も捉えることができない。あれから怖くて谷へ行こうとしなかった。
  心の奥底で分かっていた。見なければならないものを見て見ぬ振りしていた。覚悟が決まったからここへ来た。俺は同じことを繰り返さないよう足下に注意しながら橋を渡りきった。
  一息入れる間もなく犬の吠える声が聞こえてくる。敵ではないと分かる懐かしいような声。ゆっくりと近付いてくる。
 「バロン!」
  白くてデカい犬は俺の目の前で立ち止まり「ワン!」と吠えた。老犬らしく息が上がっていて動きも鈍かった。
  俺は嬉しくなってバロンに抱きついた。するとバロンは面倒くさそうに後ずさり、緩やかに俺を振り払おうと首を動かす。俺の腕から逃れたバロンは少しだけ距離を置いて、吠えるでもなく抗議の視線で俺を見た。
  バロンとはこれまでどこかで出会っている。俺はバロンの飼い主じゃなかった。誰かの家で飼われていて、仲良くなった気がする。
  しかしバロンのほうでは少し違った様子だ。飼い主の友達だから愛想を振りまいていたが、正直なところ好きでも嫌いでもない。好きでもない奴にでも抱きつかれてみろよ。たとえ悪意がなくたって困るだろうよ。その辺の距離感はちゃんとしてくれ。
  冷たい視線に俺の自尊心は傷付いた。せっかく出会えた仲間から拒絶されるなんて。
  俺の悲しそうな表情を見てバロンは顔を背けた。残念なのはこっちも同じだよ。動物に無償の愛を求めるなよと言わんばかりに。
 「とにかくお前も頂上を目指すなら一緒に行こう」
  バロンは賢い犬のようで「ワン!」と同意らしき吠え方をした。
  既に懐中電灯の電池は切れていたのでランタンを片手に道を進んだ。これまでに便利な道具は必要なものを残して捨ててしまった。山道は険しく荷物は少しでも軽い方が良かった。
  足下ばかりを見ていて、空が見えることに気付かなかった。雲に覆われていて星は見えない。月は出ていないらしく、遠くを見ても明かりのようなものは見えない。
  そもそも自然に囲まれているのに、生命の気配が感じられない。静かすぎる。時間が止まっているか、何もかも死んでいるよう
  俺は立ち止まりバロンの頭を撫でる。体温を感じる。複雑な表情でバロンは俺を見る。振り払おうとはしない。
  パートナーに甘えすぎてはいけない。俺は気を持ち直して、再び歩き始める。
  バロンの飼い主について思い出せなかった。でもそれは俺にとっても大切な人だったのは覚えている。この世界で俺に残された目的はバロンと同じみたいだ。立て札を壊して明かりを消して曖昧な世界を作り出しても、いつまでも変わらないままいられるわけじゃない。自分を誤魔化すのはウンザリだ。
 へとへとに疲れている。頂上はもうすぐだ。距離を示すものなどないのに、もうすぐ終わりが来るような気がした。体力の限界ギリギリに設定されているかのように。
  気が付けば開けた場所にいた。それ以上歩こうとは思わなかった。バロンも動こうとしない。
  ここが頂上なんだな。目印など何もないのに確信した。夜は深まり気温が下がっている。これから雨も降るだろう。近くにあった屋根付きのベンチに俺とバロンは逃げ込んだ。
  目的があったとすれば頂上まで登ること。目的を達するまで下山はできない。俺の荷物や体力は消耗するようになった。何かを失うことでここまで来ることができた。
  ランタンの明かりが消える。何も見えなくなる。それでもバロンが近くにいてくれて心強い。あと少しで夜が明ける。強烈な睡魔に襲われながらも夜明けを見届けるまで眠りたくなかった。

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