時間配分と付き合う人と住む場所(3354文字)

 父からの電話を無視する。着信履歴に気付いてから、どうせ大した用事ではないと思う。緊急を要するならばメールで何があったか伝えるはずだ。 
 先日、久しぶりに父から電話があって、焼き肉を食べに行かないかと誘われた。僕は実家の近くにあるアパートに住んでいて、普段はあまり良いものを食べているとは言えないので、ご馳走してもらえるなら嬉しいのだけど、用事があって外出中であったために断った。それほど大切な用事というわけではなく、数日前に予定を空けといてくれと頼まれたなら調整できた。
 悪気はないのだろうけど、人の気持ちを考えて行動する気がないらしい。昔は有能な営業マンとして出世したそうだけど、その会社はもうないし、強引なやり方で通用した時代だったのだろう。そういうところは今でも変わってない。
 僕は普段から父に冷たく接しているし、実家暮らしでも通勤可能な仕事をしながら、部屋を借りて1人で暮らしている。家賃の安い部屋を選んだから僕の部屋は線路沿いにある。
 実家に置いてある荷物を取りに行ったとき、母と話していると、父が通勤途中の電車から毎日僕の部屋を観察していることを知った。
「お前のことを心配しているのよ」
 と母は良い話みたいに言う。僕は気持ち悪いからやめろと母に言う。どうして親の気持ちが分からないのと母は言い出す。こんなやりとりも何度目かで、僕は母に関して諦めている。
 数日後に父と顔を合わせる機会があったので、僕は再び気持ち悪いからやめろと注意した。すると父は笑いながら、これじゃあまるでストーカーだよなあ、と情けない調子で言う。
 昔に比べれば父は丸くなった。以前の父は絶対の権力を持っているように感じられた。通いたい学校には通わせてもらえなかったし、1人暮らしする金があるなら学費を返せと言うこともあった。
 父から1人暮らしを認められなかったのは僕ではなくて兄で、兄は兄なりに実家にいたらダメになると考えて自立をしようとしたのだ。それを父が許さなかった結果、兄は10年ひきこもることになる。
 その頃から僕は父に反発するようになり、大学へ通わなくなっていたが、父はこれまでと違った方法で僕を大学へ通うように促した。
 強かった父が弱さを見せ始めたのだ。お前は優秀だから大学を出たほうがいい。そうすれば良い会社に入れて必ず報われる。この家を継ぐのはお前だ。お前だけが頼りだ。
 なぜだか僕は父の期待に応えなければならないと思ってしまって、我慢していれば必ず報われると信じてしまった。
 よく考えてみれば父はかつて有能な営業マンであって、目的を達成するために言葉を繕うのは容易かったかもしれない。まして僕は世間知らずの若造だった。
 僕が新たに家族を支える大黒柱になったなら父の予定通りだったのだろうけど、プレッシャーに潰れた僕は体を壊して会社を辞める。その後、職を転々。体を壊した僕は長いこと実家で療養していたのだけど、父はそれを責めたりしなかった。兄も責められている様子はなかった。
 兄が働くようになったきっかけは、僕から「死にたいなら死んでもいいよ。世の中に迷惑かけない方法で死んでね」と言われたことらしい。
 家族のことで相談できる相手が兄くらいしかいなかったので、兄と居酒屋で話しているときに聞いた。面白い冗談が言える人ではないが、話してみると言うことはまともで、もう後のことはこの人に責任取って貰おうと思った。
 兄のことを憎んでいたこともあったが、それもそうなるように仕組まれていただけで、損な役回りをしていた僕が馬鹿なだけだった。常識でないものに常識で対応してはいけないし、それができないなら離れるしかないと話し合った。
 兄は現在も実家で暮らしていて、働くようになる以前の性格とそれほど変わりなく、家族の調和を保ちながら生活している。
 次に引っ越すときは線路沿いは避けよう。そして実家から離れた場所で暮らしたい。それから仕事も変えたい。
 意外にもしっかりしている兄の様子を知ってから、今の生活を変えたい気持ちが強くなった。
 出身が田舎なら都会に出て行き仕事を探せばいいのだろうけど、東京出身の僕が当てもなく田舎へ行っても適応できるか分からない。
 東京も広いのだから実家から離れていれば問題はないはずだけど、どうせならもっと遠くへ行きたいような。
 以前勤めていたところの同期が警察官に転職したのを知って興味を持った。これまで荒っぽい人間の多い場所で働いてきて度胸は付いているほうだし、規律の厳しい組織ならば心を入れ替えて生きて行ける。東京から離れても生活の基盤は保証されそうだ。
 試験は年に2回あり、僕は既に3回試験を受けている。筆記試験は通るのだが、毎回面接で落とされる。2回目の段階で気付いていたが、警察は採用試験の際に本人だけでなく家族の経歴や所属団体などを調べると噂されていて、問題があれば警察官の適性がないと判断されるらしい。
 3回目の試験を受けたことは父にも母にも報告していなくて、受かればそれで良かったし、落とされたならば確信を得られると思っていた。
 もう僕は誰も憎まずに生きていたい。人生に関する何らかの数値を示すグラフを下方修正することでバランスを取って。
 今やってる仕事は頑張っていた時期もあったけど急にやる気がなくなって、仕事をするふりだけで給料を貰ってるのだけど、さすがにそんな態度だと扱いも悪くなる一方で、別にいつ辞めてもいいような状態になっている。
 そういえばここ数年旅行に行ってない。旅に出なくても日本で最大の都市で暮らしているし、せっかく家賃を払っているのに宿代を払うのはもったいないし。
 限られた生活圏で必要なものだけ手にして暮らすのは悪くない。東京での生活しか知らない僕が旅行によって東京以上のものを手にできるのか。
 そう考えていたけど、旅行する人は以上でも以下でもなくて特別を求めている。いつからか僕は心を動かされることが減っていて、規則的に日々の暮らしを遂行していた。
 たぶん不規則な何かがないと今の暮らしからは抜け出せない。夏休みは旅行へ行こう。何の計画性もなく、行き当たりばったりでいいから。
 なんとなく向かった北の方角にある街は東京よりもずっと小さくて、高い建物の展望台から眺めれば街の規模に明確な限りが見える。
 どんな場所に住むにしても必要なものが揃っていたら過ごしやすいだろう。東京で暮らしていても足りないものはあるし、必ずなくてはならないものなんて、特別である必要はない。
 それでも特別が求められるのが不思議で、それは自己肯定感と繋がっている気がして、例えば文化財に指定された建築物が保存される理由は、関わった人や歴史を意味があるものとして語り継ぐためで、見学する人は自分もそうでありたいと感じている。
 でも後世に価値があると認められそうな生き方をしてる人は少ないし、そこまで考えて日々を暮らしているわけでもない。
 日常生活から数日間抜け出すだけでも人は特別を感じることができる。それこそ文化財を見学してるだけでも。
 時間配分に慣れてしまった日常生活では腕時計を使うこともなかったけど、旅行中は時間を気にするので役立っていた。
 時間には余裕を持って行動していたつもりでも東京の電車に慣れてしまった僕は乗り換える電車を2時間待たなければいけないと知らされる。
 このままではホテルのチェックインに間に合わない。ここ数日まともな寝床で寝てないから体力を回復させようと予約したのに。
 ホテルに電話をかけた後、父に電話を折り返すか考えて折り返さない。父にとって数日間アパートの僕の部屋から明かりが見えないのは電話をかける理由になるのだろう。
 電話をかけたなら父は僕がどこで何をしているか聞いて、僕はそれに答えたくなくて、何度もそんなことを繰り返してるから口論にさえならなくて、ただ寂しい気分になる。
 駅の待合室にも飽きて外を歩いてみる。小雨が降っている。移動中に見えた昼間の田園風景も夜の明かりがほとんどない風景も、変化が少なくて宇宙空間でも旅してるみたいだ。
 周囲には立ち寄れそうな場所は何もなくて、いくつかある外灯の下でクワガタを見つけて、それが僕の心を少し慰める。

投げ銭が貰えるとやる気が出ます。