ガラス瓶の中に森(2321文字)

 東の森を抜けた先には別の町がある。年に一度の夏祭りにだけ行商がやってきて、ガラス細工の置物や綺麗な景色が描かれた絵を売っていた。とても値段が高く手が届かないにしても、見ているだけで外の世界と繋がっている気がした。
 いつからか行商は来なくなった。そういえば行商から商品を購入した人を知らない。貧しい人ばかりの町で行商は商売などする気はなく、集めた宝物を見せびらかしたかったのかもしれない。
 日々の生活は忙しく、人々は外の世界など忘れて暮らしていた。それぞれ守る物があって、そのために生きていたように思う。
 その娘は両親を亡くして親戚に引き取られた。親戚は悪い人間ではなかったが、良い人間でもなかった。家族一人分の出費が余計に嵩むようになって、生活は楽ではないようだった。
 ここから出ていきます。これまでお世話になりました。ありがとうございました。
 家出娘の残した置き手紙を親戚は喜びも悲しみもしないだろう。年下の甥でさえ良い物を食べる権利は自分にある、と考えていた。分かってるよね、好きにはさせてやれないよ。言われなくても伝わっていた。
 
 家出娘にとって東の森は、君にとって西の森だった。森を抜けた先にこれまでよりましな生活を期待しているのは同じだった。君たちは逆の方角に向かっていても、、、背中を向けているわけではなかったから、互いの姿を見つけることができた。
「魔法使いの子だね」
「なんのこと?」
 君は家出娘の赤い髪を見て出自を見破った。とぼけても無駄だった。不思議な力は役に立つことがあっても人には話さず隠しておこう。それならまずは髪を染めなければいけないと君は教えた。
 君の目的地は家出娘の故郷で、家出娘の目的地は君の故郷らしかった。なにしにいくの。魔法を習いたい。余所者には冷たいよ。頑張ればいつか認めてくれるよ。
 そんなわけない。魔力は生まれつき決まっている。君には基本的な知識が足りていない。家出娘も人のことを言えるほどではなく、誰も知らない土地で静かに暮らすことくらい、魔法の力を使えば容易いだろうと考えていた。
 森に入ってどれくらい経っただろうか。君は分からないと言った。森に入る前から時間がおかしくなっているよね、と家出娘は言い、それに気付いている人に出会ったのは初めてだ、と君は言った。
 森の中は想像したより居心地が良く、周囲に人がいなければ同じことを繰り返すのも苦ではなかった。行商が来なくなったのは夏祭りが行われないからで、夏祭りが行われないのは季節が変わることなく永遠に続いているから。そのほうが都合の良い人がいるのだろう。
 そういう魔法があるに違いない、と君は考えていた。たぶん違う。外の世界まで影響を与えるほど強力な魔法が使える者なんていなかった。それほど人口の多い町ではない。
 期待するような場所ではないよ。家出娘が言うと、君も同じことを言った。君の故郷は貧富の差が激しく、生まれたときに後の人生は決められていて、努力しても報われるとは限らない。
 なんだ同じじゃないか。でも君にとっては素晴らしい場所かもしれないよ。
 そうかな。そうだよ。
 まだ見ぬ土地に期待をするのは見慣れた地獄に希望を見出すより簡単だ。それでも君と家出娘は落胆を隠せなくて数日間は歩みを止めた。
 僅かに残っていた食料を分け合って食べた。時間が歪んでいるから、食事を取らなくても空腹を感じることはなく、体が動かなくなることもない。まるで覚めない悪夢のようだ。森に入る前からそう思っていた。このまま森の中でじっとしていたほうがいいのだろうか。
 君は故郷で出会った魔法使いの話をした。シルクハットからウサギを取り出したり、何重にも鍵の掛かった箱から脱出したり。それは魔法じゃなくて手品よ。家出娘は笑った。君は少しムッとして、手品じゃなかった本当に種も仕掛けもなかったんだ、と言った。
 手品師を目指していた君は養成所で本物の魔法使いと出会って故郷のことを聞き出した。素質があれば誰でも魔法は覚えられる。君ならば大丈夫だろう。その気になったらあの森を抜けた先へ行くといい。
 君は手品師になって、魔法使いは手品師にはならずにどこかへ行ってしまった。安定することのない生活に退屈さと窮屈さを感じると、君は魔法使いの故郷について思い出した。
 話を聞いて、なかなかいいかげんな魔法使いだな、と家出娘は思った。手品師の仕事を真面目に取り組むでもなく、故郷の現状について誤解を生むような話し方をしたりと。
 君も手品師を目指すならここへ行くといい。そう言って君は名刺をくれた。ばかな人だ。手品師を続けていた方が幸せだったに違いない。森は深くそう簡単には行き来できない。
「最後に魔法を見せてほしい」
「そうね、それなら」
 キイキイ、と家出娘は甲高い音を発した。するとどこからか一匹の栗鼠が現れ、家出娘の伸ばした腕に飛び乗った。
「こいつは今日から君の僕でいいよ」
 手のひらに乗った栗鼠を君の肩に乗せた。
「あんまり魔法っぽくないね」
「そういうものだよ」

 君の言う通り、家出娘のたどり着いた場所は期待に応えてはくれなかった。手品師にならなかった魔法使いや森の中へ飛び込んだ君の気持ちも分かる。
 でもそうするしかなかったのはお互い様だろう。森の中も故郷も退屈で窮屈で、いつまでもそこにいたいとは思わなかった。
 君にとっては素晴らしい場所かもしれないよ。あの言葉が本心だったとしたら、君たちはどうして数日間歩みを止めたのか。
 かつて家出娘だった女は考えた。世の中は悪いことばかりじゃない。例えばあの時、励まし合った記憶は悪くなかった。
 君にとっては素晴らしい場所かもしれないよ。そうかな。そうだよ。

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