迷子のキリン(3446文字)

 キャラクターとして成功しやすい動物はネコウサギネズミあたりが主であるけど逆にキャラクターとして成功しにくい動物は何かと考えた結果に挙げられたのがキリン。
 キリンは高い場所に生えている木々の葉を食べるために首がとても長く背が高いため視点も高く足下は見えていないけれど遠くまで見渡せるし円の中心から弧を描いた範囲なら地面に生えた背の低い草なども食べられる。
 キリンの特性をキャラクターとしてデフォルメした場合とても長い首と高い身長ゆえに他のキャラクターと別格になりやすい。ネコならばネズミに強くイヌに弱いなど他のキャラクターとの掛け合いにより自身だけでなく周囲のキャラクターも引き立てやすい特性を持つ。キリンの外敵は肉食獣であるがキリンは直ちに逃げ出せるよう立ったまま眠る。長い足で走るとそこそこ速く長い足で蹴られた場合の肉食獣は無事では済まない。そのため肉食獣に狙われるキリンは子供である場合が多い。
 もしキリンが主人公の物語を設定するなら子供のキリンを主人公にするのが良いだろう。キリンはサバンナを少数の群で生活しているが、本作の主人公は群から外れた子供のキリンである。名前をコンパスにしよう。コンパスは人里に迷い込み金持ちの娘エリーと出会う。エリーと使用人によってコンパスは育てられるが成長して大きくなりすぎたコンパスは町で飼い続けるのは難しいため野生に戻さなくてはならなくなる。コンパスと離れる覚悟を決めたエリーは大自然の中で生き残るための訓練をコンパスに受けさせる。一方その頃、エリーの住む町の姉妹都市として交友関係にある町では動物園の人気者だったキリンが老衰により命を落とした。

 自分のことしか考えてない人が勝手に死ぬ人を悪く言うのもどうかと思うよね。
 ここは東京都内最西端の山奥。都心から1時間ちょっと。熊出没注意。名前の知らない木々。名前の知らない草花。名前の知らない虫。時折すれ違い挨拶を交わす名も知らぬ人。姿の見えない鳥のさえずり。
 私は15歳の高校生。私は20歳の大学生。私は25歳の社会人。私は男性。私は女性。年齢は曖昧なままで女性ということにしておこう。朝の連続テレビ小説は若い女性が主人公であるのが常だし読者の興味関心を維持できそうだから。
 かれこれ1時間は人とすれ違っていない。マイナーな登山コースを選んだよう。平日なのも影響してるかも。
 ヘビやらハチやらツキノワグマやら危険な動物に出会うことを考える。この場合、普段から山に生息している動物にしてみれば、人間がこの土地に何の用だよ、と思うかもしれない。
 用というものはないのですが、気分を変えたくてここへ来たんです。ええ、行く場所はここでなくてもよかった。でもここに来ちゃいけない理由もないでしょう。ヘビにもハチにもツキノワグマにも迷惑なことかもしれませんが、あなたたちは人間じゃない。苦情を聞いてくれる役所も喋る言葉もないでしょう。同情はされたとしても、私を傷つけたら完全に悪役だ。世間体など気にせずに襲いかかるならば、こちらも全力で抵抗させて頂きます。ただ生きることに退屈していたところなんです。
 幸か不幸か危険な動物とは遭遇していない。でも1時間前にすれ違ったオジサンは近い存在だったかもしれない。いかにも「若い女性が1人で何故こんなところに?」という表情をしていた。私は山で人と出会った時のマナーで「こんにちは」と声をかけ向こうも「こんにちは」と返した。
 そうです。なんでこんなところにいるんでしょうね。青春の無駄遣いですね。でも1人になりたかったんですよ。人間関係が面倒なんですよ。野生動物みたいに生きていたいけど、私は野良猫みたいに中途半端で、人間様と共存しながら生きたほうが楽なのを知っている。
 もう疲れた。ケーブルカーを使って途中まで登ったから主に足下は下り斜面であるのだけど、勾配は緩やかで何割かは上り坂になる部分もあって、看板には麓まで距離が示されているけど、歩けども歩けども、さっきから距離が縮んでいない。アスファルトで舗装された道と違って歩き難いのだ。明らかに人が通る道でない急勾配の崖みたいなところに飛び込めば近道になるか。とても危険だし遭難する可能性が高い。湧き水が流れ出る岩場は水の音が涼しげだけど蚊が群生していて立ち止まる気になれなかった。
 近所の踏切に若い女の子が飛び込んだのは先週のこと。最近流行っているようで、都内で似たような事件が繰り返されている。「まだ若いのに」とか「何も死ななくても」なんてテレビのコメンテイターが当たり障りのないことを喋って視聴者のみなさんも当たり障りなく共感している。 
 生き続けるより死んだほうが楽であるかもね。世界は広いけど希望に満ち溢れているわけではなくて、どうやら広い世界を渡り歩くのは手続きが煩雑であるし疲れてしまう。しっかりと居場所を手に入れた人々は良いけれど、出口のない迷路で疲弊するくらいなら死んだほうが楽かも。
 楽だけど、人が死ぬのは悲しい。生きてることを否定されたみたいで。でもそれもこれも仕方ない気がするのは、世の中が自分のことばかり考えて見たいものだけ見るのが当然みたいな雰囲気だから、そりゃあ勝手に死を選ぶ人もいると思う。彼女らは死を見せつけたかったのではなく、自分が死ぬことによる周囲への影響や責任を見たくなかった。
 私もこの山で死んで発見されたら話題になるだろうか。わざわざ山に登って死ぬ人の話はあまり聞かない。そこそこ元気がないと山には登れないし、体を動かしていると気分が変わるし。どうでもいいようなコンビニおにぎりが美味しい。摂取カロリーが少ないし、これだけ歩いてるから体重減ったかな。先月美味しいもの食べ過ぎて太ったんだよね。
 先ほどまで私が目指していたのは、戦国時代まで城があったという跡地。こんな山奥に建っていたなら、城と言うより見張り台みたいなものかと思う。さすがに住むには不便すぎるだろう。城は敵に襲われて陥落して城の主は脱出して味方の城へ落ち延びたけれど居たたまれなかったのか自害して滅亡したとのこと。現在跡地に残っているのは経緯を記した看板と石垣らしき残骸のみ。私がこの場所を目指していたのは時間の都合で日が暮れる前に帰れるコースを計算したから。そう、私は生きて帰る気でいる。晩ご飯は外食にしようと思っている。
 かつて戦のあった城の跡地で私は休憩した。説明文が書かれた看板の縁には10年前ここにたどり着いた人がその事実を記録している。別に特別なことじゃないし、それ落書きだから。けれど誰も見ていない。書いた本人も忘れてる。
 私は財布の中に入っていた梟の湯ステッカーを看板の裏側にでも貼りたい気持ちになる。梟の湯は私が住む町で唯一営業している銭湯。利用したことはないけれど、先日、壁絵の富士山を塗り替える作業を公開するイベントがやっていて、その時にクジの景品でもらったのが梟の湯ステッカー。フクロウのデザインが可愛い。壁絵の富士山もそうだけど、意外と銭湯は美術系の要素があるのかも。私がここへ来た痕跡を残すなら、このステッカーを貼るだろう。名前や日付を残す意味はない。私は落書きされた名前や日付に興味はないけれど、フクロウのデザインには興味を持つ。次にここへ来る人が同じように思うとは限らないし、もったいないから貼らないけど。
 カラビナに鍵を通して、背負ったカバンに引っかける。自宅の鍵と実家の鍵と自転車の鍵と男の子からもらった鍵。金属と金属が触れ合って、歩く度にジャラジャラ音が鳴る。
 これが熊避けになるはずで、効果はどうだろう。私はこれらの鍵を使用する場所へ向かうしかないのだろうけど、まあ現在も役に立ってる気はする。
 楽しいことを考えよう。父親の仕事の都合で世界中を飛び回ってる友達のこと。彼女の名はエリー。ケニア滞在中に人里へ迷い込んだ子供のキリンと出会い保護する。キリンの名はコンパス。成長したコンパスを野生に戻す訓練が始まった頃、日本に住む親友(私だ!)から手紙が届き、コンパスは日本の動物園に引き取られることになる。
 そんな友達はいないのだけど、誰もが協力し合って、キリンを輸送するための車両を特注したり、キリンを輸送するための道路を探したり、キリン輸送に使用する道路の許可を取ったりする、心温まるドキュメンタリーを観たい。
 世界はきっと美しい。そうでない部分は省略してしまって構わない。

投げ銭が貰えるとやる気が出ます。