機械少年 (6354文字)

 機械には感情がある。機嫌が良ければ文句も言わずに働いてくれるし、調子の悪いときは頑なに動いてくれないこともある。
 決められた仕事の他に余計なことをせず、例えばダイエット中の人間にお菓子をプレゼントするようなことがない。
 しかしジョージ・フランクリンの開発した改造バーコード読み取りマシンは違った。真夜中に甲高い機械音を鳴らし続けフランクリン一家全員を目覚めさせた。長男のゴードンは怒りのあまり、弟の発明品を叩き壊してしまった。ジョージは悲しさのあまり泣きながら朝を迎えた。彼が深く傷ついた理由は、兄からきつく叱られたことでも発明品を破壊されたことでもなかった。
 改造バーコード読み取りマシンが読み取った事実が残酷すぎたのである。

 ジョージは学校でそこそこ人気があった。成績優秀であるが気取ることもないところをクラスメイトたちは気に入っていた。気弱な性格であるが、兄のゴードンが伝説として語り継がれる不良少年だったことから、荒くれ者達からも一目置かれていた。
 そんな彼が教室にいない。それほど目立つ存在でもないジョージだったが、それぞれの生徒が自分の席に戻り出席を取れば空席と不在が確認されてしまう。

 昼休みに教室でお弁当を食べながらジョージの話をしている男女がいた。スドウとミーサだ。彼らはジョージの友達である。
「昨日ジョージからとんでもない発明品を見せてもらったんだ」
「またなにか発明したの?」
「ああ。今回のはすごいぞ。パッと見はレジによくある片手で持ってバーコードを読み取るアレ。でも改造されててすごいんだ」
「さすがは天才少年ね。私たちより5年も遅く生まれたのに、同じ学年なんだもの」
 ミーサは少し不機嫌そうに答えた。
「君はジョージの発明に興味ないのかい?」
「ええ。彼は良い人だけど、特別扱いしてはいけないわ。彼が将来偉い人になろうと、今は同じ学年ですもの」
「彼を特別扱いしておけば、憧れの人に近付けるかもしれないよ」
「私にとって特別な人は、ジョージのお兄様だけよ」
「そうだね。あの事件でゴードンさんの世話になってから、君はあの人のことばかり考えている」
「あの時、私は運命の人を知ったの。今まで15年間生きてきて、あんなに好きになった人はいないわ」
 恍惚とした表情でゴードンについて語るミーサは可愛かった。スドウはゴードンについての悪い噂をいくつか知っていた。乱暴者であること。付き合った女はすぐに彼と別れてしまうこと。ミーサも噂は知っている。ゴードンは硬派な男なんだと語る。スドウは恋敵のゴードンを嫌いになれなかった。彼の残した数々の武勇伝が人々の心を掴んだのは、少しだらしない彼のキャラクターに好感が持てたからだろう。
 ゴードン・フランクリンが執筆した自叙伝は全米でベストセラーとなり、発売から数年たった現在も地元では根強い人気で支持されている。
「ねえミーサ。僕も15年生きてきて、1人だけ運命の人に出会っているんだ。その人は目の前に自分を愛してくれる人がいるのに、いつまでも憧れを追い続けてる。どうしたら振り向いてもらえると思う?」
「そうね。15年生きてきて運命の人に出会えたなら、あと15年生きればもう1人、運命の人と出会える計算ね」
 それじゃあ2人はすれ違ってしまう。スドウは30歳の自分とミーサを思い浮かべた。ミーサはゴードンではない誰かを愛し、スドウはミーサではない誰かを愛している。
 ミーサはゴードンと結ばれないことを薄々と感じているから、わざとイジワルなことを言ったのではないか。それともただの気まぐれか。スドウにとって確かなことは、今こうしてミーサと一緒にお弁当を食べていることだった。
 もはや彼らはジョージの話をしていなかった。ジョージの不在により微妙な人間関係が揺らぎ、他人から見たら興味深い方向に進展していた。教室のクラスメートや通りかかった教師が彼らの姿を見て、思い思いの感想を持ったように。

「ウォルト、僕だよジョージだ。急に電話かけて、久しぶりなのに頼み事で申し訳ないんだけど、今日だけラボを貸してくれないかな」
 できることならジョージに手を貸したくない。そう思いながらウォルトは頼み事に承諾した。発明品の設計図を譲ってもらうことを条件に。
 
 ウォルトはかつて子供発明王と呼ばれていた。生活に役立つちょっとしたアイテムや品の良いジョークグッズなどを発明し、新聞の紙面に載ったりテレビで紹介されたこともある。子供ながら特許による収入もあり、彼は天狗になっていた。ウォルトの住むニューハンプシャー州の田舎町に子供天才科学者が現れるまでは。
 5年前、町に凶暴なグリズリーが現れ、学校から帰宅中の少女を襲おうとした。当時はまだ警察官として活躍していたゴードン・フランクリンは熱線銃でグリズリーを撃退し、少女は無傷のまま助かった。法律で許可されていない武器を所持していたとして、ゴードンは警察官を辞職することになるのだが、この熱線銃を開発した当時5才のジョージ・フランクリンに注目が浴びせられた。
 左翼新聞は警察の無能さを告発し、少女を救ったフランクリン兄弟を英雄として讃えた。兄は伝説の無頼漢、弟は天才科学者。ゴードンが発言した「フランクリン兄弟に不可能はない」の言葉はこの年の流行語となった。
 当然、ウォルトは危機感を覚えた。もう13才になる子供発明王と5才の天才科学者が近所に住んでいるのはよろしくない。確実に比較対象とされ、自分はできの悪い方との認識が町中に広まってしまう。
 決してバカではないウォルトは来る日も来る日も睡眠時間を削って勉学に励みジョージにも引けを取らない科学者になるべく努力を重ねた。ウォルトがジョージをライバル視していることは町中の噂になり、過去の栄光を引きずる子供発明王が年下の天才科学者に嫉妬している、という構図が出来上がっていた。
 予想通りの展開であったが、ウォルトは確実に実力と自信を身に付けていた。自分はもう、天狗になっていた子供発明王ではなく、天才科学者の1人だ。
 ウォルトはジョージと連絡を取り、正々堂々と勝負する約束をした。
 それが「天才子供科学者VS元子供発明王」となり、田舎町に観光客を呼び込む人気イベントとして毎年開催されることになる。
 ジョージとウォルトによる科学バトルの面白さは、科学技術そのものより彼らのキャラクターにあった。自分より8歳も年下の男の子に手加減容赦なく全力で勝負を挑むウォルトに対し、控えめな性格のジョージは素人目では手を抜いているようにさえ見えるのである。
 毎年毎年勝負は良い戦だった。ジョージが勝つこともあればウォルトが勝つこともあった。ジョージは本気を出していないとの印象が強く、世間の評価は天才ジョージと秀才ウォルトといったところだった。
 事実その通りだ。ウォルトはジョージとの歴戦を繰り返してきて、ジョージの科学力は現代の人類を超えていると確信している。
 しかし悪いことばかりじゃない。世間には物好きな人がいるらしく、頑張り続けるウォルトにファンレターを送ってくれる女の子もいるのだ。去年はジョージとの戦いに気合を入れすぎてしまったせいで、今は浪人生の身分だけど、今年だって手加減をしてやるつもりはない。

「遅い昼食とコーヒーをご馳走するぜ。どうせ今からじゃ中途半端な時間だろ。放課後までのんびりしていきな」
 ジョージはウォルトの誘いに乗ることにした。朝の9時から昼過ぎの2時までウォルトの研究室に閉じこもっていたのだ。
「ありがとうウォルト。今日は本当に助かったよ」
「礼には及ばんよ。俺は設計図が欲しかっただけだからさ」
 そう言いながら、ウォルトは自作コーヒーメーカーを起動させた。中にはお気に入りの高級コーヒー豆が入っていて、科学的に考えられる最良の条件でコーヒーを淹れてくれる。
「本当に感謝しているよウォルト。何も聞かずにラボを貸してくれて」
「真面目なお前が学校をサボるくらいだからな」
 オーブンで焼きあがるパンの香ばしい匂いが漂っている。一昨年の戦いで勝敗を決めた全自動ベーコンエピ製造機が役立っているようだ。
 ジョージは昨日から考え続けていることをウォルトに話した。
「ねえウォルト、科学によって人が不幸になったらどうする?」
「科学によって幸せにしてやればいいさ」
「知りたくもないことを知ってしまったらどうする?」
「この世の知るべきことをもっと知ればいいさ」
 ウォルトは受け取った設計図の内容からして、ジョージの考えていること、そして彼の周りで何があったのか、想像することができた。
 
 遅い昼食を食べ終え、彼らは語り合った。
「しっかし今回の発明品、とんでもないものを作るな。どういう発想でこんなものが完成するのさ」
「それは企業機密。でも今日は特別に実物を見せてあげるよ。今日はこれを修理していたんだからね」
 ジョージはスポーツバッグから改造バーコード読取マシンを出してウォルトに渡した。
「使ってみてもいいか?」
 ジョージは頷いた。

 彼らは多くのことを話した。
 ジョージは企業機密であるはずのことも喋った。
 ウォルトはこれまでの疑問がいくつも解決し、それを話してくれたジョージとの信頼を深めた。
 気がつくと日が暮れていた。
 家に帰るジョージを見送りながらウォルトは言った。
「じゃあな天才ジョージ君」
「僕は天才なんかじゃないよ」
「いいや俺が秀才なんだから、お前は天才になる」
 誰がなんと決めようともね、とウォルトは付け加えた。
「本当にありがとうウォルト。今度の科学バトルは負けないからね。いつも本気を出してないなんて言われてるけど、あれが僕の本気なんだから」
「ああ。お前は好敵手というやつだからな。今度も手加減しないぞ。楽しみにしてるぜ。じゃあお兄さんによろしくな」

 ゴードンは書斎で自叙伝の続編を執筆していた。
 自叙伝に書かれていることの大半は嘘であるのだが、そこは読者もよく分かっていて、絶妙なバランスがウケているのである。世にありふれた自叙伝であれば自分の体験を脚色して可能な限りカッコイイように描くものだが、ゴードンの場合はわざと自分をカッコ悪く描くところがある。英雄扱いされるのを拒むかのように。
 根っからの体育会系であるはずのゴードンは何故か文才を持っていた。笑いのセンスもあった。彼は本など読まなくても現実で人間たちの物語に何度も介入し、様々なドラマを見てきたのだ。
 人々が語り継ぐゴードンの伝説は既に彼の手から離れた物語として独立しており、ゴードンは他人から見た自分の物語を批評するかの態度でありつつ、ユーモアを交えて肯定的に描いている。
 本当のことばかりを書くことが正しいとは限らない。実際に、この世界は数多くの属性が存在し、それぞれが正しいと思う答えを望んでいるのだ。
 それぞれの正しさを認めてやること。どんな人間も差別なく平等に扱うには、核心に触れず曖昧な態度を取るしかない。
 普通の人間は自分の所属する団体の考え方や行動を疑わずに生きている。そうしなければ、優柔不断で無力な人間にしかなれない。
 本当に強い人間だけがすべてを受け入れ愛することができる。あらゆる意味で人間離れしたゴードンは、それが可能だと思っている。

 ドアをノックする音が聞こえる。
「兄さん。話があるんだ。入れてくれよ」
「入れ」
 ジョージが部屋に入ってきた。今日、学校をサボっていたらしいことは、ゴードンの耳に入っている。彼らの父親はジョージが生まれた年に死んだ。年齢の離れたゴードンはジョージの父親代わりとなっている。
 ゴードンはジョージの目を見て訊いた。
「なぜ今日は学校へ行かなかった?」
「ごめんよ兄さん。どうしてもしなければならない仕事があったんだ」
「自分を特別だと思うな。子供は学校へ行くのが仕事だ」
「子供だけど、僕だって男だ」
「子供は学校へ行かなければならない」
「兄さんが力で僕を押さえつけるなら、僕だって力で対抗する」
 ジョージはスポーツバッグから改造バーコード読取マシンを取り出し、ゴードンに向けてかざした。
 マシンの先端は赤い光がとても早い感覚で点滅している。ゴードンは光を浴びながらもジョージの目を見続けた。10才の少年の目には強い決意が浮かべられ、殺気さえ漂っている。
 ジョージはゆっくりと改造バーコード読取マシンをゴードンに近付け、彼の額に触れさせた。マシンは「ピッ」と短い機械音を鳴らした。ジョージはマシンをゴードンから離して言った。
「兄さんは、人間なんだね」
「意外だったか」
「僕と同じだと思ったのに」
 
 ジョージの発明した改造バーコード読み取りマシンは、地球上に存在するありとあらゆるものをバーコードなしで読み取り、その正体を分析することができる。
 昨夜、ジョージは自分の正体を読み取ろうとした。しかしエラーを意味する機械音が鳴り響いた。何度も何度も繰り返すうちにゴードンが目を覚まし、改造バーコード読み取りマシンを壊してしまった。
 今朝からジョージはウォルトのラボを借りて改造バーコード読み取りマシンを修理した。そしてウォルトと一緒にもういちど自分の正体を読み取ろうとした。やはり読み取れなかった。修理したばかりで故障はありえない。分かっていたことではあるが、ジョージは自分が地球上に存在するありとあらゆるものから除外されている事実を再確認した。
 
 ジョージはゴードンに詰め寄った。
「兄さん、僕は人間じゃないの?」
 ゴードンは表情を変えずに答えた。
「いいやお前は人間だ。俺がそう決めた」
「でも兄さん、この部屋の本棚に並んでいる超古代文明や地球外生命体に関する本のこと、世間じゃ冗談だと思われてるけど、本当のことも多いよね。僕が現代の人類を超えた科学力を持っているのは、この部屋にあった本のおかげだよ。ねえ兄さん、この部屋の本は誰がどうやって書いたの? 僕の出生と関係があるの?」
「お前は昨日から寝ていないだろう。今日はもう休め」
「兄さん、本当の事を話して」
 ゴードンはジョージに背を向け、本棚の一角に飾ってあったウイスキーのビンを掴んだ。フタを空け、中身の液体を胃に流し込んだ。
「ジョージ、お前の事は俺がどうにかする。いつかすべてを話そうと思う。でも今日はもう寝ろ。いいから寝るんだ」
 ゴードンの背中に視線が注がれていた。
 そうやって明日の朝には何事もなかったようにしてしまうだろう。でもね兄さん、僕は今、本当の事が知りたいんだ。

 ジョージは自分の部屋に戻り、コンピューターの電源を入れた。
 一通のメールが届いていた。
 
 
差出人 スドウ トモロウ
件名  今日はどうした?

やあジョージ。
今日はズル休みだって聞いたよ。
君らしくないことするね。

何があったか知らないけど
僕とミーサは君の味方だ。
明日は学校で会えると信じている。

それから頼みごとがあるんだけど
例の発明品を貸してくれないか?
ミーサには内緒でね。

何に使うかって?

それは秘密と言いたい所だけど
君は僕の親友だから教えてあげよう。
そもそも君の発明品を僕が借りるんだし。

ミーサと僕との関係を読み取って
その正体を突き止めるんだ。
僕とミーサは友達なのかそれ以上なのか。

どんな結果であれ覚悟はできてる。
くよくよするのは良くないよ。
僕は男だ。君だってそうだろう?

ああ今日は君がいなかったせいで
ミーサのことを考えすぎたかもしれない。
僕たちは君がいないと困るんだ。

いつもの時間のいつもの場所で
いつもの三人でお弁当を食べよう。
僕もミーサも君を待っているから。

 ジョージは少し考えて、明日は学校へ行くこと、スドウに改造バーコード読み取りマシンを貸してやらないことを決めた。
 スドウとミーサに会いたくなったから、スドウとミーサの関係は曖昧な方がいいと思ったから、ジョージは学校へ行き、発明品を貸さないと決めた。

投げ銭が貰えるとやる気が出ます。