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黙れ。

10月の入りあたりから、抱えているものが多くなり、余裕のない日々が続いている。そんな状態の中、ストレスFULLなタスク(大学の課題)が積み重なっていくわけで、時に正常な精神ではいられなくなる。

自覚は無いが、私は酔ったとき「なんもわからん」が口癖になるらしい。その場での話題や、質問に対して「なんもわからん」と答えるようになるそうだ。実際、酔って気持ちよくなると何も考えたくなくなるし、心地が良くてその発言をしているんだと思う。

最近、また新たに酔った時の口癖が増えた。

黙れ

私は事あるごとに「黙れ」と発するようになった(実際には心で唱えることも多い)。基本的に"今自分が投げ出したいもの"を対象としている。言葉を発さないものに対しても使う。「黙れ」という言葉のわりに、感情は完全な「怒り」ではない。半分くらいは笑いながら言っている。

これがほんの僅かな快感であることに気が付いた。自分を不快にさせる対象を意識下で無力化してくれるのだ。自分が支配されそうになった時、この言葉はその支配から解放してくれる。

自分に自信が持てないとき、他人の視線・言動が気になって動けないとき、批判にさらされ落ち込んだとき。そんなときでも「黙れ」は自分の味方になってくれる。「黙れ」は万能なのかもしれない。私はそう感じ始めた。

しかしながら、この言葉は私にとって解放的すぎるがゆえに、本来感じるべきプレッシャーさえも溶かしてしまうのだった。伸ばされ続けたバネが弾力を失うのと同じように、私も外部からの刺激に対して鈍感になった。

それに気づいてからは、この言葉の扱いには慎重になった。健全に生きるためには、ある程度のストレスを浴びておくことは必要なことだ。「黙れ」によって獲得した強い自己だって、それは誤魔化しであると気が付いた。

この一連の流れ(そんな大層なものじゃないが)で気が付いた最も重要なことは、自分には抑圧された弱さがあるということだった。

弱さ、甘えとも言えるかもしれない。不快な対象に対して「黙れ」と言えてしまうこの自分はむしろ強いのだと思っていた。しかし、自分の本性をじっと見つめ続けた時、内側に残るのは弱さであり甘えであった。

不快なものを黙らせることなんて出来ないのに、黙らせようとしてきた。他者はコントロール下におけない。本来、他者とは黙らせるものではなく、勝手に黙っていくものなのだ。自然と消えてゆくものもあれば、自分の意識に現れなくなるものもある。

黙らせたいものが過ぎ去った時にようやく、

ああ黙ったな

と言えるようになれば、すかっとした余裕なのだと思う。

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