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お笑いのかっこよさ

最近、布団に潜りながらIPPONグランプリとかを見ている。大喜利で笑いをとるお笑い芸人たちにカッコ良さを感じる。

自分は割と人を笑わせるタイプの人間だと思う。笑いが生まれる「間」や、被せのタイミングを狙って打つ。面白いことを思いついたら、タイミングを合わせれば笑いが起こる。

でもやはり、お笑いのプロは別格だ。その場の正解をズバリと当てて笑いを勝ち取っている。爆笑しながら感心させられる。

お笑いは奥が深い。
(奥が深い、と今俺が思うのは松本人志の功績なんだけど。)
お笑いは時間と場所と発言者によって変化する”生モノ”だ。

芸人が大喜利に回答した時、観客は発見するのではない。納得するのではない。その両方が接続されるような体験をする。

笑いは複雑だ。癒しでありながら、貶しであったりする。権威的でありながら、従属的でもある。笑いは涙よりもハイコンテクストだ。

笑いは涙より更に神々しい、その上更に捉えにくい。

ジョルジュ・バタイユ『聖なる神わが母』

緊張と緩和が重要であるらしい。どういうことか。緊張から緩和されたとき、笑いが生まれる。力みをほどくとき、笑いが生まれる。人間は緊張にこそ惹かれてしまうのかもしれない。恐怖や不安に対峙するとき、人は目の前に集中する。その瞬間に緊張を緩和する安心を提供されると、笑いが溢れる。

恐怖や不安には、ついじっと見惚れてしまうものだ。見惚れた上で、自分が安全な場所にいることを確認して落ち着く。ホラー映画なんかも、恐ろしい映像を安心な自宅でみたりして、自己の安全を再確認しながら楽しんでいるところがある。緊張と緩和でいうところの”緊張”は、そんな怖いものではないと思うけども。

ともかくも、お笑い芸人はかっこいい。
人を笑わせること。
これほど非実用的でありながらも絶対的に必要なものがあるだろうか。

日常の中で常にお笑いを探し、面白さを探求している。
そんな姿が垣間見えるお笑い芸人に、感心し、興奮し、今日も笑う。

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