毎日書く、を目標に

どうにも毎日続ける、というのは難しい。noteも気づけば1日開き、2日開き、「たまに更新する」ブログになってしまっている。何か1つだけやり続ける、ならいいものの、だいたいなにかをやり続けよう!と思い立った時というのはやる気に溢れていて、1つではなく2つ3つのことを、「今ならやれるはずだ」と新しいことを始めようとする。そして1つ2つと挫折する。「今ならやれる」は正しいが、それが続くとは限らない。なにかを始めるときはなにも始める気が起きない時にこそ始めた方がいいのだろうな、とさえ思う。

辰濃和男著「文章の書き方」という本を読んでいる。その最初の章で、作家の宇野千代が八十代の人形師の「16の年から毎日気を彫り続けてきた。」という言葉を聴いて、毎日書くのだ、と毎日机に向かって言葉を書くことを実行した、という話が出てくる。きっとこの本を読む人は文章を書きたいから読んでいる。だから、その初っ端でこの話を出すのはずるいな、と思う。書きたいけど書けない、とか書き始めたいけど書き方がわからない、と二の足をふむ人間に、とにかく机の前に座って書き始める、それを毎日続けた作家がいた、言わずと知れた宇野千代だ。と示すのだ。
自分もそうでありたい、と思うではないか。おそらく、読む人の大半が。

4月から在宅勤務になった。在宅になったおかげで、思いの外自分の時間が増えた。出社するまでの時間を有効活用していたつもりだったが、平日の夕方18時から一気に解放されて何もかも自分の好きなようにできる、というのは余りにも大きかった。まず、一番に絵を描く時間を増やした。一枚一枚、考える時間が増え、それまでの急いで描いたメモ書きのような落書きだけではなく、一度考えて作品として物を描けるようになった。本を読む量は減った。絵を描く時間に充ててしまった。動画を見る量は増えた。絵を描きながら見られるからだ。気になっていたドラマや映画、アニメを観たりする以外に、ユーチューバーの活発さに元気付けられたりもした。でもまだ、無駄にしている時間は多い。SNSの通知を待っている時間、なんていうのが最たるもので、来ても来ても「また次の通知がくるかも」と画面から離れられないでいる。自分でも無駄な時間だと自覚しつつも離れられないでいるのが現状だ。対策として、1日の使用時間制限を設定したはいいが、結局15分ずつか1時間ずつ延長する機能があるのでチョコチョコみてしまう。なので次に通知が来るのを切った。最初は反応がなにも来なくなるのが少し怖かった。繋がっていないと不安になる、というより、誰にも見つけてもらえないのが不安、という感覚を抱いているのかもしれない。だがそれも、いつも感じているわけではなく、仕事をしていたり絵を描いたり本を読んだり映画を見たりしている間は感じておらず、手持ち無沙汰になった瞬間にその雑念が頭を過ぎるのだと気がついた。
だからその、手持ち無沙汰になってSNSを何となく眺めたり、どうでもいいことを呟いたりしている時間をこうして文章を書く時間に当ててみよう。

何か大儀なことを書こうとしたりしないで、思いつくままの日記を毎日、できるだけ毎日続けてみよう。
短い日も、長い日もあるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします。

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