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【旅行記1-5】春の北東北旅〜最終日〜

朝のドライブ

5時すぎに目が覚めるとそこは快活CLUBであった。車中泊を企てて失敗した果てに逃げ込んできたのである。意外と時間が迫っていたのですぐに快活CLUBを後にする。

朝のドライブはなぜか気持ちいい。交通量をそこまで多くはなく、起きたばかりで全身の感覚が冴え渡っている。涼しい風が気持ちよく、むしろ寒いくらいだ。立ち並ぶ風車を横目に浜沿いの県道を北上して向かった先は、船越ー天王間の八郎川橋梁。男鹿線随一の撮影地で、ここでは朝にキハ40系の5両編成が撮影できる。

撮影地に到着。土手沿いに車を止めるとすでに4人ほどの同業者が集まっていた。男鹿行きの列車を1本見送ると、徒歩で来る人、車で来る人が次々と押し寄せて、最終的には20人ほどが集結した。さすがに引退直前というのもあり、かなり人がいるようだ。

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無事に撮影には成功。国鉄型気動車が令和のこの世に5両繋いで走っているのは壮観である。

撮影後はすぐに撤収。撮影地から次々と人がいなくなっていくなか、ナビを設定して、車中泊に失敗した道の駅秋田港に戻ることにした。

車を走らせて道の駅秋田港に到着した。次に狙うのは秋田臨海鉄道。こちらも3月に事業を廃止するとのことで、廃止直前に訪れた。秋田港駅から発車して対岸の向浜への貨物輸送を撮影する。道の駅から南に歩き、大きな通り沿いの道に出たところの踏切で、列車を待っていた。遠くの方から汽笛が聞こえてくる。いよいよ姿を現すと思いカメラを構えると……

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ヘッドマーク付きで登場した。まさかの収穫に驚きだった。どうやらこの日から「惜別」のヘッドマークを掲示し始めたようだった。光線状態は残念だが、背後のセリオンタワーと絡めて、いい一枚に仕上がった。

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少し引いて撮影。コキが3両繋がっているのがわかる。

向浜に向かった列車は、次に秋田港へ戻ってくる。戻ってくるまでには少し時間があるので、秋田港駅に行ってみることにした。秋田港駅は道の駅からすぐのところにある。

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道路からヤードの様子が窺える。右側に停まっているのはかつて寝台特急「あけぼの」に使用された24系客車である。

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ちょうど入れ替え作業中だった。

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少し西側に回ると、ホームが見える。秋田港に寄港するクルーズ船の乗客を鉄道で輸送しているようだが、コロナの影響からか昨年は秋田臨海鉄道の一般公開で使用されただけのようだ。

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しっかり駅名標まで備えられている。

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ヤードの反対側に回ってみる。

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6年前に秋田に搬入されたようだが、外壁はかなり錆びてきている印象。

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DE10形とDD56形。かつてはDD562の運用も見られたようだが、現在ではDE10形の増備により見られなくなっているようだ。

秋田港駅を見学して再び道の駅に戻る。道の駅にはNHKの番組で取り上げられた話題になった、うどんそばの自販機がある。早速食べてみようと思って、自販機を見にいくと……

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まさかの完売。と思いきや、まだ営業していないようだ。営業時間は9時からのようで、9時になったら行ってみることにした。

さてそろそろ向浜から列車が帰ってくる時間である。道の駅を出て雄物川橋梁のポイントまで車で向かったが、すでに10人ほど集まっていた。

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完全に出遅れたものの、一応撮影には成功。「惜別」ヘッドマークをつけて雄物川を渡る姿が新鮮に見える。

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今度は車で再び秋田港駅に向かい、秋田港に戻ってきた列車を撮影。これで秋田臨海鉄道の記録は終了。時刻は9時少し前であった。

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三度道の駅に戻り、うどんそばの自販機の前で待っていると、おじさんがうどんとそばが入った容器を持ってきた。この自販機を管理している人のようだ。

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手慣れた様子で、うどんとそばの容器を次々と自販機に入れていく。

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容器がセットされた模様。容器が左側から右側に移り、右側のスペースでつゆを注いで提供されるようだ。

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準備ができたようなので早速いただいてみる。まあ、ただの天ぷらそばなのだが、自販機から出てきたそばは少し趣が違う気がする。

何度も訪れた道の駅を後にして、車を返しに秋田駅に向かった。途中で道に迷ったり、雪に降られたり、右折する時に左側から来る車を見落としてクラクションを鳴らされたりと散々だったが、なんとか無事に秋田駅に戻ってくることができた。

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秋田駅に入ると、大きな秋田犬が出迎えてくれた。写真ではそのスケールが伝わらないが、とにかく大きかった。

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青春18きっぷを1回分使用して、新庄行きの列車に乗車。701系の秋田色である。撮影はここで終了。

後はどのように帰ったかというと、新庄から山形、米沢、福島と奥羽本線を順調に南下し、郡山、新白河、黒磯、宇都宮と東北本線を南下した。宇都宮からは上野行き列車に乗り継いで、終点の上野から京浜東北線で東京、東京から最終の東海道線で横浜まで乗り継いだ。このとき時刻は24時半。丸一日電車を乗り継いでからは、横浜から予約していた夜行バスに乗って、一路大阪まで戻り、翌朝阪急電車で神戸に帰ってきた。こうして、4泊6日に及ぶ旅(というより限界移動)が終了した。

旅の後はバイトがつきものである。夕方からいつものように出勤するのだが、当然疲れているのでパフォーマンスはいつもの70%。旅とはそういうものだ。日頃の疲れを癒すために旅をして、なおさらに疲れて帰ってくる。そしてその疲労の蓄積を返済しきらないうちに、また新たな旅に出て、新たに疲労を蓄積する。疲労の債務超過とはこのことである

ということで、青森、岩手、秋田の3県を巡った旅の旅行記をお届けした。読者の皆さんの旅の一助になることはまずないだろうが、「こういう楽しみ方もあるんだな」と感じていただけたら幸いである。

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