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機械翻訳ポストエディット(PE)のディスカウントは合理的か

※はじめに、僕はポストエディットをやったことがありますし、ポストエディット自体にはきわめて肯定的です。精神的負担がなく、なおかつ時間単価が極端に低くなければ、何も問題ないと思います。

機械翻訳ポストエディットについて

機械翻訳のポストエディットは、機械翻訳ままの訳文をprefillした状態で翻訳者に渡して、それを適宜編集(エディット)してもらう業務フローのことです。普通は、人間による翻訳(human translation, HT)とは明確に区別されます。

で、HT の7掛け5掛けの値段でディスカウントをすることが国内外のエージェントで割と浸透しつつあるのですが、これは合理的な処置と言えるのでしょうか。今回はこの辺の話をしたいと思います。

結論:ケースバイケース

ディスカウントが合理的とみなせるかどうかの基準は、作業負担が増えるか減るかという点だけである、と考えてよいと思います。つまり、「HTと比較した場合で、PEを採用した結果作業負担がこれくらい減りました」、という事実があるのであれば、それに応じてディスカウントすることができます。

そして、逆のパターン、つまり、PEを導入したら負荷が増えて結果的にかかる時間が増えた、ということも考えられます。この場合も同じ基準で考えて、HTと比較した場合でどの程度負担が増えたかを考慮し、PEの単価を増額すべきです。そうしなければフェアじゃないです。

ここでの作業が増える、というのは具体的には、機械翻訳ままの訳文を読む作業や原文と突き合わせて正誤を確認する作業など、HTの場合は絶対に発生しない作業のことです。これを十分に埋め合わせできるほどの精度でprefillされているのなら結果的に全体としての作業負担は減るでしょうが、そうでなければ作業負担は増えるはずです。

LQAの考え方と似てる

LQAをやったことがある人なら、一度は「めちゃくちゃ」な下訳のチェックに割り当てられたという経験があるはずです。すべてのストリングに手直しが入る、偶然の域をはるかに超えたタイポがある、スタイルの不統一がひどいなどのことで、その場合、自分でゼロから訳出したほうが手間がかからない、と思うことでしょう。

PEもこれと似ていて、手直しが少なければ快適に作業できます。手直しが多い、あるいは手直しが入るところしかないという悲惨な事態になると、冒頭で述べたような精神的苦痛が入ります。

PEもLQAも、渡された下訳の精度でその後の作業負担が大きく左右されます。一部の翻訳者がLQA自体を嫌がるのは多分、そのような運要素が大きくてめんどくさいからだと思いますが、似たようなことがPEにも言えると思います。

まとめ

ディスカウントが合理的であるかどうかは、作業負担がどれくらい減ったかという事実情報の存在に大きく依存すると思います。PEだから安くする、という理屈はちょっとずれてて、「この分野のこのドキュメントの場合、PEでこれくらい負担を減らせている(または増えている)という事実があるから、ディスカウント(または増額)します」という理屈がもっとも自然です。

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