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回帰する核家族の未来 5.2 血縁集団の有利性(2)

より続く)

家族という血縁集団と利他

ところで、家族は言うまでもなく血縁集団であり、血縁淘汰がはたらく。親が身を挺して子を捕食者から守るなどといった行動はその典型であり、多くの動物に見受けられる。一つの家族を構成する個体どうしは、同じ遺伝子を多く共有する血縁集団であるがゆえに、自然の法則からしても互いに利他的であり、互いに助け合うのだ。

このことは、家族が実行主体となるプロジェクトは、それがどんな内容であったとしても拡大しやすい、ということを意味している。ドーキンスとアクセルロッドは、ともにプロジェクトを開始し拡大するには血縁集団が有利であることを強調しているが、したがってこれは家族形態における「革新」や「反動」において最も直接的に作用するはずなのだ。

それゆえ、アクセルロッドによる反復囚人のジレンマの分析結果から示されるのは、もしもこれが多くの野生の動物や植物が陥っているジレンマであるというドーキンスを初めとした生物学者の前提が正しいなら、形式的な側面からトッドの言う家族形態の変遷の動因を説明したものだ、という点である。反復囚人のジレンマの研究は、トッドの家族論に形式的な骨組みを与えている、と言えるのだ。

ただし、注意しなければならないのは、囚人のジレンマのゲームを構成する条件に適うなら、プロジェクトの内容が何であるかは問われない、という点だ。家族形態など家族のあり方に直接的に関わるようなものでなくても良い。たとえば菜食主義運動でも新商品開発でも、何でも良いのだ。条件は、こうしたプロジェクトの内容が、非ゼロサムゲームで、両者が「協調」した場合の合計点が片方が「裏切り」を出した場合の合計点を上回るなどといった囚人のジレンマのゲームを構成する条件に適うか否か、それだけである。

また、アクセルロッドの証明した定理は、プロジェクトを推進する上での家族など血縁集団の有利性を証明しただけで、必ずしも家族でなければならないと言っているわけではない、という点も重要である。家族でなくても、利他的集団であれば全然構わないのだ。この点は、トッドの言う未分化のアルカイックな家族形態とも同じである。これらの家族形態は、「血縁係数」のような概念に対する拘りが薄いからだ。これは、たとえば自分の息子と甥や姪との血縁的な隔たりに比較的無頓着であることを意味している。血縁淘汰は血縁係数に従って、つまり血縁的な隔たりの大小に従って作用するのが原則だが、未分化のアルカイックな核家族と親族ネットワークにおいては、それは原則としての力を有するだけに留まるのである。

革新や反動を通じて家族が生き延びてきた理由の一つ

革新や反動の開始と拡大について、家族をはじめとした血縁集団が有利だという事実は、革新左翼にとっては受け入れ難いかもしれない。だが、自然と社会との境界において、革新や反動を通じて家族が生き延びてきた理由の一つは、ここにあるとは言えるだろう。それは同時に、家族をはじめとした血縁集団が、自然や社会に対して変化をもたらす中核としての有利性を保持してきた、ということでもある。

実際、トッドはグローバルな社会に対する革新は民主主義からもたらされやすいが、これは本来的にナショナルなものだからだ、と言う。そして同時に、それは、先祖の影響を廃する自由と独立のイデオロギーを家族形態が育んできたアングロサクソンから始まりやすい、と言って国際政治動向を予言している。トッドはこれに加えて、革新は右派から始まる、とさえ言っているのだ。

(続く)
筆・田辺龍二郎


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