見出し画像

君に会いに行く / スラーターニー(2)

2003/07/26

手元に数枚のスナップ写真があった。

まっすぐに伸びる線路の上でふと後ろを振り返る小さな女の子。今にも弾けそうな笑顔をこちらに向けている。水を張った大きな洗面器の中で遊ぶ赤ん坊の男の子。斜めに切り取られた朝の光が優しく降り注いでいる。

そんな弟を抱きしめる女の子の姿や、母にもたれかかって目を閉じるふたりの姿が、温かな目線で何枚も収められていた。

写真はどれも子供たちと同じ高さで撮られていた。地面に膝をつき、時には両肘までついて、笑顔を浮かべながらシャッターを切ったことが容易に伝わるものばかりだった。

写真には英文の手紙が添えられていた。送り主はあの二十歳の日本人の青年だ。そして今ぼくは彼に託された写真と手紙をこの子供たちのもとへ届けに行こうとしていた。

青年と最初に出会ったのはマレーシアのマラッカだった。大阪港から新鑑真号に乗って旅を始めてすでに三ヶ月。若さの中に包み込むような優しさと強さがあった。写真を撮りため、文章を書きためていた。そこにはいつも街の息遣いが溢れていた。

彼は時計回りにマレー半島を巡り、このまま北を目指すと言った。ぼくとは反対のルートだった。この時点でぼくにタイを回る予定はなく、ペナン島からフェリーでインドネシアのスマトラ島へ渡ることばかりを考えていた。

二度目に出会ったのはバンコクの雑踏の中だった。約束したわけではなかったが、偶然の重なりの中で再び言葉を交わすことができた。まるで昨日の続きみたいに。

そして彼の想いを届けに南を目指すことにした。写真の中の子供たちはスラーターニーという街にいる。それだけを胸にこの街を目指した。

鉄道駅近くのゲストハウスと教わっていたが、チュンポーンを発ったミニバスが向かったのは町の中心にあるバスターミナルだった。親切なレセプションの女性に改めて駅までの道のりを訊ねると、ここから十キロほど離れた場所にあるとのことだった。

翌朝スラーターニー駅へ向かう路線バスに乗った。運賃は僅かに10バーツ(約32円)だった。開け放した窓から埃っぽい、けれどもじっとりと重く湿った熱風が吹き込んでいた。肌に残るざらついた感触に耐えながら、しばらく窓の外を眺めて過ごした。

文字も言葉も分からない土地でこんな役目を買って出たのは、タイという国の素朴な優しさにぼくも気付き始めていたからだった。

路線バスは閑散とした駅前で停まった。乗客はもうぼくしか残っていなかった。運転手に礼を告げて降り立つと、最初に目に飛び込んだのは「Welcome to Suratthani」と英語が併記された小さなモニュメントだった。

コンクリートのメッセージボードは全部で三枚あって、ぐるりと見て回ると残りの二枚はそれぞれ「Have a good trip」と「Hope to see you again」になっていた。どうしてこの二枚が駅からは見えない位置にあるのか、その理由が分かった気がした。

出会いを喜ぶ言葉よりも彼らはこの街を離れていく誰かの未来を願っていた。たとえもう会えなくても、それでもいつか再会できると信じながら。

あの日本人の青年もこの文字を見てから北へ向かったのかもしれない。そしてバンコクで再会したぼくに写真と手紙を託し、こんなかたちの未来を胸に描いたのかもしれない。

日用品を扱う店や小さな食堂に立ち寄り、子供たちの写真を見せて回った。誰もが笑顔で応じてくれた。言われるままに訪ねた「SABAI SABAI」というゲストハウスには確かに写真の中の子供たちがいた。その愛らしい姿に思わず頬を緩めた。

青年から託された数枚の写真を母親に手渡し、彼の自筆の手紙を広げて見せた。「バンコクで出会ってここまで届けに来たんです」と。

母親は驚いたように歓声をあげてくしゃくしゃの笑顔を見せた。写真立てを買いにいかなきゃとまで言った。この突然の出来事を心から喜んでくれた。

「いつもニコニコしてて。そうそう、何枚も写真を撮ってくれてたの。本当に、本当に優しい男の子だった」

母親は流暢な英語でそう言ってまた大きな笑顔を見せた。愛しそうに写真を見つめる彼女の瞳には、母としてこの人生を肯定する強さと美しさが溢れていた。

傍らにいた上の女の子を抱き上げ、君に会いに来たんだよ、と日本語で言った。小さな手をぼくの頬に伸ばし、彼女もまたにっこりと笑った。想いを繋げられたことが自分のことのように嬉しかった。

その夜、山ほど持参していた抗うつ剤すべてにハサミを入れた。勝手な判断で服用を止めていいかは分からなかったが、今のぼくにはもう不要だということだけは明らかだった。

ぼくに必要なのは薬ではなく未来だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?