その人に初めて会ったのはうちの会社のビル、丸の内の本社ビルの25階の狭い部屋、わたしが採用の時に配属された制作チームをはじめ、他部署からこのプロジェクトのために集められたメンバー、他社のクリエイティブたちから成るプロジェクトメンバー、わが社のお偉いさんたち、他社のお偉いさんたち、webメディアの人が大勢とたまにマスコミの人たち、わが社と他社の広報担当者、などなど、総勢50人が一堂に会するには十分狭すぎる部屋だ。何もかもが始まったその日の午後に、わたしたちはその部屋に集められて説明を受け、待機し、また説明を受けては待機した。顔合わせも兼ね、名刺交換とか、要は顔を売ったり買ったりするための場だ。誰もがここが正念場とわかっているようなわかりきっているような場所で、ここぞとばかりに張り切ってみせるような元気はもちろんわたしにはなかったけれど、それでも純粋に新しい人たちと話したくて、わたしはできるだけ顔面をにこやかに保っていた。誰かと話せないより話せるほうが楽しいことはわかりきっているし、偉い人に嫌われたくないし。おじさんは面倒くさいけど、嫌われるともっと面倒だ。入社前からの夢だった、新しい企画を立ち上げてコンペでプレゼンして、自分の企画を通せるかもしれないチャンスが、こんなにも入社早々に巡ってくるというのだから、入ったばかりの新卒とはいえ油断ができない。まるで予約がとれない三ツ星レストランに電話をかけるように、まるで取れないチケットを求めてリダイヤルしまくる人のように、めぼしい人脈をできるだけ早い段階で押さえておかなくてはならないという焦りもあった。どのような小さなチャンスも逃さず拾っていれば、今回はだめでも、そのうちひとつくらいは当たるのではないか、そのためにも今のうちに、ひとつでも多くの球を打ち、受け止め、どうにかこうにかボートを漕ぎ始めなくてはいけないと本能的に思っていた。そのためにはもちろん、狭い会議室で目を凝らすことだって必要になってくる。会議室には有能そうなマックブックと革製のシステム手帳がぞろぞろと散らばっていて、わたしの好奇心をくすぐった。さあ、一体どんな柔らかい頭がわたしのアイデアを具現化してくれるのかな。
 卒業して、就職して、それまでの人間関係がゆるやかに行き詰まりを迎えていたので、新しい人と出会えるのが嬉しかった。まだ自分が何者になるのか、何者になりうるのかはわからなかったけれど、できるだけ嘘なく、しかしそれでいて人好きのする存在でいたいと漠然と思っていた。正確に言えば、その二つが両立しうると固く信じていた。わたしがわたしであり、それと同時になんとか融通のきかない組織の一員たりうるということ、個人であることと集団の構成員であることとの間に矛盾をきたさなくていいということを、わたしはすでに知っていた。だから自分とは違う種類の人間だなと思う人に会っても構えたりしなかったし、自分と似たような匂いを感じても全く新しい存在として接した。少なくともそうするよう心がけていたと思う。無防備な始まりだった。でも、これはすごくフラットな始まりだと、少なくとも自分ではそう思っていた。
 わたしには作りたい広告があって、それは多分、新幹線の広告でなくてはならなかった。他の商品でもいいにはいいのかもしれない、ひょっとしたらカステラとか、電動歯ブラシとか、認知症専用保険とかの広告でも、別に結局は同じということになるのかもしれない。そのへんは実はまだよくわからない。でも、今のわたしには、どうしても新幹線でないといけないような気がするから、この会社に入った。受けたくもない面接を何度も受けに行って、そのたびに交通費と待機で入る喫茶店のコーヒー代を自分で負担して、特に興味もない似たような広告の会社を受けたりして、本当に広告に興味があるのだというふりをして。本当に広告じゃなきゃだめなのか、親にも友達にも先輩にも御社や弊社にも聞かれまくったけれど、そのたびごとになんとかうまい理屈をつけて自分を納得させてきたけれど、今、思う、広告じゃないといけない理由とかは、別にない。ただ、最初にやりたかったことが、ある日をきっかけにどうしてもやりたいと願うようになったことが、たまたま広告だったというだけのことだ。それでいいじゃないか。メンヘラ彼女じゃないんだから、いちいち「わたしじゃないと駄目な理由は?」とか聞いてこないでほしい。煩わしいから。
 弊社は20年前に大当たりした鉄道会社とのコラボレーションがきっかけで、ずいぶん大きく業績を伸ばした代理店だ。わたしは基本的に、大企業とか日系企業とか就活生人気企業ランキングとか、マイナビとかリクルートとか就活予備校とか、興味がないし、できればそういう騒がしいものとは距離を置いて静かな人生を歩いていく予定だった。だからたまたま合格した、比較的名のある大学の経済学部を蹴って、山奥の小さな大学の法学部に進み、6年かけて司法試験の勉強をして弁護士になろうと思っていた。でも残念ながらわたしはあまり長く続く地道な試験勉強に向いている体質ではなかったし、中学高校とビーチバレー部で柔らかいボールをひたすら追いかけて育ったせいで、あんまり法律とかを入れるのに適さない脳味噌になってしまっていたらしく、一限から出席しては最前列で寝まくり、単位を落としまくり、なんとかすれすれで進級しても司法試験どころではないことが判明した学部3年の4月に、泣く泣く就活を始めることになったのだった。
 
 そんなわたしにも、これはありがたいことにと言うべきだと思う、忘れられない風景があった。往生際が悪いから忘れられないのか、それとも本当に好きで愛しているからなのか、それとも何の意味もないただの燃えていく記憶なのか、わからないけれど、その風景は今もわたしの中にある。毎朝目が覚めて、はやる動悸を抑えながら鏡の中の自分に向かって出社の意味を問いかける時、いつも決まって思い浮かべる風景が。上司になめられたり、逆にしれっと買いかぶられたりして、胸糞悪い悪夢にうなされながら思い浮かべる、変わることのないセピア色の景色が。自分の身体の中の芯みたいな一本の線を、目を閉じて大きく息を吸い込みながら意識してみた時に、自然と心に上ってくる何かが。