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天景 /10首

 天景

小島、あるいは筏のようにレジャーシートの浮かぶ草原

中腰に追いかけるときマルチーズだったろう伊勢丹のビニール

お喋りの代わりにしゃぼんだまができる 風に向かって走れば多く

ドラクエ3みたいですね、って言いかけて……おもいだせないのが思い出に

ちいさいほど赤くおおきいほど淡いしゃぼんだまにすこしは映ってる

写りこむ私の背中が全員のしあわせの一部であるように

恋人の子どもの親の友人の知らないひとの写真が増える

棒を投げて棒を拾いにゆくことで進む機構  それを眺めている木陰から

今日ここで撮られただろうそのうちの1枚くらいがいつか遺影に

風がぜんぶ連れ去っていく そのなかを追う 袋がぜんぶになってゆく




 5月に有志でおこなった、新宿御苑吟行での10首。新宿御苑というのは、新宿にあるすごく大きな公園です。春と秋には必ず訪れたい、都心屈指の緑地。植物園, 温室もあるよ!
 東京は緑が無い、と時々謗られるけどそれはかなりの誤謬で、実際のところは23区内だけでも新宿上野新橋吉祥寺などの大きな公園のほか、埼玉/神奈川との県境の川辺など、整備された都市緑地には困らない。"緑"がいわゆる"野山"という意味であれば確かに乏しいが、西へ電車で1, 2時間も行けば奥多摩や高野山といった"自然"に接することはできる。日常的に草木虫鳥と遊べるかというと否だけど、ほんとうにみんな日常的にその環境でありたいのだろうか。
 ずいぶんと東京の肩を持つようだが、ぼく自身は大阪生まれ大阪育ちで、別に味方したい縁もゆかりも無い。東京で生活するようになってこの8月で6年目になるけれど、暮らした3つの町それぞれに愛着と感謝はあれど"東京"に恩義があるわけでもない。ただ、所与のなかでたのしく暮らすほかになく、そしてそれは悪くない出来になっているから反発したいだけだ。別に相手が誰というわけでもないのに。

 気づいたらもう月が変わってしまっていたが、7月は月詠原稿の到着が間に合わなかったので掲載が無いため、代わりに上記のとおり吟行で作ったものの公開の予定もつもりもなかった10首を置くことにした。
 塔の月詠(毎月提出する原稿)の提出方法は郵送のみで、今回は郵便配達が土日祝に止まるようになった影響を受けたのか〆切の翌日の到着になったようだった。毎月頑張って出すぞ、と思っていたので悲しいが仕方ない。この子たちを公開する良い言い訳になったと思うようにする。

 この「天景」というタイトルは個人的にとても思い入れの強いもので、ここで使うことにはかなり迷ったが、現時点でより適切な語を見つけられなかった。(連作中の歌から一節を抜き取るやつ、キマればめちゃかっこいいのだけど自分で上手にできた試しがない)
 「天景」は、萩原朔太郎の同名詩から知った、というか採った。ほんとうに良い詩なので是非読んでもらいたい。

 ときどき書いたり話したりしているが、ぼくと短歌定型の出会いはこの詩の良さ、特にその韻律にある。高校生のころ、受験勉強用問題集にこの詩を取り上げたテキストが掲載されていて、解答もそこそこにこの詩の良さばかりが頭を占めた。なぜこの詩がこれほどいいのか、を考えると、その七五調とs, k, i音のリズム、そしてそれらが内容と相関していることなんだと気づく。大学生になって短歌会に入り、初めて"韻律"という語を知るのは、そこから2年ほど後のことになる。

 そういうわけで、萩原朔太郎という大詩人の語を拝借することに加えて個人的な事情も相まってそれなりのハードルがあるのだけど、この10首、これがいまのぼくにとっての天景なのだと、朔太郎の「天景」に感じ入る明るさや諦念はこれなんだよと納得するので、つかう。まあ将来的にまた異なるタイトルに改めている可能性もあるけれど……いまはこれだとおもう。

 新宿御苑は新宿の端にあって、ひろびろとしたくさはらの向こうに高層ビル群が見える。箱庭だな、と思う。でもぼくたちは箱庭を出てそのビル群に立ち入ることもできるし、ビルの明かりのひとつになるし、どこまでもつながりそうな線路や道路に乗って遠ざかることも再訪することもできる。
 来たり去ったり、いたりいなくなったりしながら、たまたまここにいる。

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