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ガーナの海辺で感じた無力感

二カ月ほど前、ガーナのケープコーストという町の海辺に居た。

ここには奴隷貿易で使われていたお城があり、観光地になっている。
砲台が海に面して並んでおり、海を眺めていた。

すると少年たちが海から石が投げてきた。
石には紙が巻いてあり、紙には「学校に行きたいからお金をちょうだい」と書かれていた。

海と少年達


観光地のお城

見ての通り城の壁は高く、僕ら外国人とガーナの物乞いの少年達を隔てていた。

この感覚はドバイでも感じた。海を見ると綺麗なイルミネーションや観覧車(外国人観光客が好きそうな風景)が見えるが、反対の砂浜を見るとゴミ掃除や警備員などの外国人労働者で溢れていた。
彼らが不幸だ、かわいそうと言いたいわけではない。外国人労働者は治安が良くて給料が良いドバイで働けて、もしかしたら恋人もドバイで作ったりして、それは幸せかもしれない。

ガーナの話に戻る。
彼らが居る海側に行ってみたいと思い、海に向かった。
到着すると彼らが寄ってきてお金をせがんできた。

うーんどうしようと悩み、「海沿いの漁港を案内してくれたらその対価としてお金をあげる」ということにした。

我ながら良い作戦だと思った。
その漁港はなんだか不気味で不潔で僕らだけで歩くのは怖かった。
それに、価値の提供の対価としてお金があることを彼らに学んでもらえると思った。

不気味な漁村

漁村を歩いているとゴミだらけ。
なぜか豚も居た。

取られた魚


過酷そうだ

この不衛生な環境とか、大変そうな労働環境とか、物乞いの少年達とか、目に見えてる範囲でもかなりの問題が起きてるようだ。
そしてこのような人々や環境は世界中にある。ありふれてる。

この状況を見て自分の無力さを感じた。
この人達を助けることは僕にはできない。
お金を渡してもそれは一時的なもの。

自分はこの世界の一つの分子に過ぎない。
世界を変えるとか、世界を救うヒーローって漫画の世界だけだ。
僕は分子だから、分子なりに周りの人との関係を大切にしたいと思った。
周りの人、ご縁がある人を幸せにしたい。
そして「周り」を少しずつ広げていきたい。

雨の中、なぜか外でサッカーのボードゲームをする子供たち

後から知ったことだが、ガーナの学校は無償化されているのでこれはウソだ。「学校に行けないかわいそうな子供たち」といったイメージを外国人は持っているだろう、という予想に元づいた嘘だ。頭良い!

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