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【就活】余は如何にして内定ゼロとなりしか

今年の3月で、大学を卒業してから2年が経った。
大学を卒業した人のほとんどは、進学もしくは就職をすることになるが、私はいずれにも該当せず、卒業と同時に無職になることになった。

大学ではゼミに所属せず、お金もない(既に奨学金を数百万円抱えている)私は、到底大学院に行くべき人間ではないことはしっかり分かっていた。
そのため、大学院への進学は最初から考えず、就職を目指すことになった。

私にはASD(自閉スペクトラム症)という障害があり、コミュニケーション能力等が普通の人間と比べて著しく劣っているという特徴がある。
それゆえ、就職活動では苦戦が予想されていたため、学生相談室などからの勧めもあり、障害者雇用をメインで就職活動をすることにした。

しかしながら、以前の記事でも申し上げた通り、新卒の障害者雇用は一般枠とほとんど変わらない性質のものなので、ASDの私はかなり厳しい条件での戦いを強いられた。

2021年の3月頃から、就活が本格的にスタートする。
それ以前は、2019年頃に某運輸系企業のインターンシップ(一般枠)に参加したことがあることがあるくらいで、ほとんど経験がなかった。
なお、2019年には障害者向けのインターンにもいくつかエントリーしていたが、残念ながら全て不採用になった。
このことからも、障害者枠が如何に厳しいものなのかを窺い知ることができる。

2021年3月、私は東京新宿で行われた、障害者向けの面接会というイベントに参加した。
新卒を中心に、障害者を積極的に採用している企業が数十社集まるイベントで、企業の担当者から直接話を聞いたり、自分の履歴書を見て貰ったりすることができる。

そこでは4~5社の担当者のもとへ行き、履歴書を見せて自分を売り込むことに努めた。
実際の企業名を挙げることはできないが、誰でも知っている超有名企業や、特例子会社(障害者を採用するために作られた子会社)など、色々なタイプの企業から話を聞いた。
特例子会社では、「支援機関とか利用してますか?」と聞かれ、「してません」と言うと、「ああ、そういう人はちょっとね・・」みたいな対応をされてしまった。
まあ、こちらとしても初任給が激安な特例子会社に世話になるつもりはほとんどなかったが、そんな企業にも拒否されるとは少しショックだった。

現場はスーツを着た学生らしき人がほとんどで、彼らがどういった障害を持っているのかはよく分からなかったが、私のようなASDだけでなく、身体障害者の人も時折見かけた。

面接会が終わると、その後は多数の企業にエントリーをする作業が始まる。
障害者採用をしている企業を中心に、30社ほどエントリーをした結果、その大半は書類選考で落とされた。

面接に進んだのは5~6社ほどで、そのうち1社は最終面接まで進むことができた。
全て障害者枠だったせいか、圧迫面接のようなものに遭遇することはなかったが、某特例子会社の面接では、私の表情が乏しいことを指摘され、「友達とかいます?」などと言われたので、かなりイラついた。

ASDの私にとって、面接は非常に厳しいものであったが、当時はコロナ禍のためオンライン面接が主流だったのと、ハローワークや大学で面接練習をしていたから、それほど苦手には感じていなかった。

ハローワーク(東京西新宿にある新卒応援ハローワーク)には、21年3月上旬頃から通い始め、最終的に首都圏を出て行く22年3月頃まで通った。
私を担当してくれた方はかなり親切な女性の人で、話しやすい印象だった。

新卒応援ハローワークは名前の通り若者向けのハローワークであるため、学生らしき人が多かった。
予約した時間が来るまで待機している間、周りの人の様子を窺ってみることがあったが、男性は私と同じような覇気のない人が多く、女性は概して普通そうな見た目の人ばかりだった。
何となく、現代の男女格差の一端を垣間見た気分であった。

大学では、就職課がES(エントリーシート)の添削や、面接練習を行っていた。
私の大学は残念ながら、「発達障害の人の就活のことはよく分からない」と担当者に言わしめるほど障害者枠に無知な大学だったので、正直言ってあまり当てにはしていなかった。
とはいえ、ES添削や面接練習は健常者、障害者問わず重要になってくるので、オンライン形式で何回か私の話しぶりを見てもらい、評価してもらっていた。
最終面接が終わったタイミングで就職課を利用することはなくなり、それ以降の相談はハローワークとサポートステーションが中心になっていった。

その他には、障害者向けのエージェントを利用したこともあった。
こちらは求人を紹介してもらうなどして支援していただいたが、結果的には役立つことはなく、担当者が変わるタイミングで利用をやめた。

最終面接は、5月中旬に行われた。
ある程度手ごたえのある面接であったが、いつまで経っても結果は来ず、2週間ほど経過してからようやく不採用のメールが届いた。

あの時はかなり残念に思ったが、今から思えばまぐれで入れたとしても、仕事についていけなかったと思うので、採用されなくて良かったと思う。

最終面接のタイミングまでは、「何とかして内定を得なければ」と常日頃考え、内定を手に入れるまでは遊んではいけないと自分を戒めていた。
しかし、最終面接に落ちてからはそんな気持ちも薄れ、惰性で就活を続けるようになった。

民間企業だけでなく、市役所の障害者枠にも申し込み、ほんの少しだけ公務員試験の勉強もした。
ところが、どうも公務員という職がしっくりこなかったので、試験を受けに行くことはなかった。

6月下旬になると、ハローワーク主催の障害者雇用就職面接会に参加する機会をいただいた。
3,4社の面接を受け、履歴書を会社の担当者に提出して様子を見たが、残念ながら全て不採用に終わった。

ハローワークの面接会が終わった段階で、私は就活に対するやる気をほぼ失っていて、あとはやってる振りを続けるだけに終始した。
ASDでまともなコミュニケーション能力も協調性もない自分が、就職をするなんて無理なことだと分かったので、無駄な努力をやめ、残りの大学生活を自分なりに楽しむという方向にシフトした。

一人カラオケをしたり、愛知や福岡、広島に旅行に行ったり、サポートステーション(21年冬から通い始めた支援機関)に行くついでに横浜散策をしたりと、春から無職になることも忘れて好き勝手に過ごした。
21年の年末年始には、江の島や神田明神、川崎大師に出かけてカップルに嫉妬したり、台東区吉原や川崎市堀之内といった風俗街に出かけたり、ネット上で女性と出会ってやり取りをしたりというくだらないこともしていた。
(結局その女性とは諸事情で付き合いを続けることができず、徐々に会話することが少なくなり、半年も経たずに縁を切ることになった。)

そして、2022年の3月、大学卒業の時を迎えた。
ハローワークやエージェント、大学、そしてサポートステーションの方々には何度もお世話になった。
彼らとの関わりは卒業と引っ越しによって全て絶たれることになってしまい、私は縁もゆかりもない札幌へと一人で旅立った。

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