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COVID-19(新型コロナウイルス)禍を振り返る(2020年1月~4月)

記憶が残っている間に、COVID-19(新型コロナウイルス)が流行し始めた2020年1月から4月にかけての状況を振り返ってみる。


2020年1月:自粛開始

2019年末に中国湖北省で発生した新型コロナウイルスは、翌年20年1月14日に日本に上陸した。
当時の私は大学3年で、1月は秋学期の期末試験が行われている時期だった。

日本、しかも私の住む神奈川で初の感染者が確認されたと知り、私は個人的に非常事態宣言を出した。
流石に期末試験を受けることは避けられないので、電車内ではマスクを着用し(コロナ前から冬季はマスクをしていたので、特に変わらないのだが)、試験が終わったらすぐ家に帰るという生活をしていた。
(こちらも、コロナ前と全く変わらない)

生活そのものはコロナ前とほぼ変わらなかったのであるが、警戒感は凄まじく強かった。
私は昔から感染症に対して人一倍敏感で、かつて新型インフルエンザが発生した際にはAmazonでN95マスクを購入したし、東京でデング熱が流行った際には東京に行く学校行事の参加を本気で取りやめようと画策した。

そんな私が、今回の新型コロナウイルスに警戒しないはずがない。
感染者が増えればマスクの入手も困難になるだろうと考え、スーパーやドラッグストアで少しずつマスクを買い集め、備蓄を増やしていった。

自粛に伴い、当然ながら一日中インターネットをする日々が続いた。
以前はYouTubeなどの動画サイトや2chなどを見ることが多かったが、この頃からニコニコ生放送(ニコ生)を見る時間が格段に増えた。

いわゆる雑談系歯医者や、車載配信者の配信を中心に見ていた。
友達のいない私にとって、配信者というのはいわばバーチャル友人のようなもので、しかもコメントが盛り上がっていると視聴者も自分の仲間のように感じられた。
ある数人の配信者が、深夜に心霊スポットに訪れるというライブ配信を見ていたら、寝るのが惜しくなってしまい朝まで見続けたことも何回かあった。

そういえば、大学生だった頃は何となく眠たくならないので、意味もなく朝まで起きているということが結構あった。
しかし、大学を卒業してからは1回もない。
一応仕事をしているから、したくてもできないという事情もある。

2020年2月:トイレットペーパー買い占めを予見

期末試験が終わり、春休みとなった2月以降は、基本的に都内などには出かけず、近所で完結するような生活を送っていた。

もともと引きこもり気質の人間で、かつ友達が1人もいないので、このような生活は特に苦痛ではなかった。
しかしながら、暇を持て余すような日々になってしまったため、とりあえずブログを書いてみたり、ネットでできる仕事を探してみたりと(当時の経験や情報収集が、今の仕事に活きている)WordPressに挑戦したりしていた。
独自ドメインを取得してWordPressでウェブサイトを開設し、そのサイトは今も運営し続けているが、最近はやる気がなくほとんど更新していない。

コロナの感染拡大が続き、「スーパーに行くだけでも感染リスクがある」ことが分かってきたので、買い物の回数を減らすとともに、ネットスーパーや通販を利用することも検討し始めた。
(結局、ネットスーパーは送料がかかる、感染拡大の影響で注文が集中していて利用できないという問題があったので、1回も使わなかった。)

Amazonで食べ物を購入した時、私は一緒にトイレットペーパーも注文していた。
当時、シンガポールでデマが流れ、トイレットペーパーの買い占めが起きているというニュースを見て、不安になって買ったのである。
結果として、3月以降日本でもトイレットペーパーの買い占めが起きたので、あらかじめ買っておいて良かったと安堵したことを覚えている。

コロナ禍ではトイレットペーパーだけでなく、マスクの買い占めもあったが、前述の通り1月から少しずつマスクを備蓄していたため、私自身は特に困ることはなかった。

2020年3月:引き籠り子ども科学電話相談を聴く日々

3月になると、引きこもりの長期化から私のメンタルが悪化し始めていた。
何となく周囲の物音が気になるようになったり、理由もなく憂鬱な気分に襲われたりすることが増えた。

少しでも気分転換をしようと、私は色々なことを考えた。
まずは、「らじるらじる」を使ってNHKラジオを受信し、「子ども科学電話相談」を毎日聴いていた。

コロナの影響で選抜高校野球が中止になったことに伴い、「春スペシャル」と題して放送されていた。
私は特段子どもが好きというわけではなく、そして科学に興味があるというわけでもないが、とりあえず何となく気分を明るくしたいという一心であった。

それから、ベランダで日光浴をするという試みも始まった。
3月になると市中感染が始まり、首都圏ではいつどこで感染してもおかしくない状況になったため、外に出ることを控えることが増えた。
すると日の光に当たる時間が短くなるため、セロトニン不足で気分が悪くなりやすくなる。

家にいながらにして、セロトニンを体に取り入れるために、ベランダで日光浴をするというアイデアを思い付いた。
首都圏の3月はもはや春も同然なので、ベランダに居ても全く寒くはなく、日光が当たっている感じはあったのだが、あまり効果はなかった。

フードデリバリーのウーバーイーツを初めて利用したのもこの時期である。
初回限定クーポンが発行されていて、安く食べられるから利用した。
マクドナルドのハンバーガーを何個も注文し、大食いをしたような記憶がある。
ハンバーガーという食べ物は腹持ちがかなり良いもので、夕方食べたのにもかかわらず、深夜になっても満腹感が続いていた。

プログラミングの勉強もこの時に始めた。
Atcoderという競技プログラミングのサイトに登録し、C++を基礎から勉強した。
その他にも、GithubやUnity、Kaggleなど、プログラミングに関連する色々なサービスに手を出し、新しいスキルを獲得しようと頑張っていた。

そして2020年3月には、私を含む多くの人に衝撃を与える出来事があった。
コメディアンの志村けんが、新型コロナウイルス感染症によって亡くなったのだ。
「らじるらじる」でラジオを聴いていたら、サイト上に突然ニュース速報が表示され、志村けんが亡くなったことを知る。
速報を見た瞬間、私は世界が止まったような錯覚を覚えた。
おそらく著名人の死で生まれて初めて強いショックを受けた。
ただでさえメンタルの調子があまり良くなかったのに、余計調子が悪くなってしまった。

2020年4月:オンライン授業に歓喜、スーパーで買い占め発生

4月になると、春休みが終わり春学期がスタートする。
新型コロナウイルス感染拡大の波は収まらず、とうとう緊急事態宣言が出されるということになった。
このため、大学では対面授業を行うことができなくなり、授業は全てオンラインで行われることになった。

2年生頃から通っていた大学の学生相談室も、緊急事態宣言によってしばらく使えない状況(あまり覚えていない。もしかしたら電話では相談できたのかもしれない)になり、その旨を伝える電話を私は鶴見川水系のとある川沿いを歩きながら受けていた。

オンライン授業は、私にとって素晴らしい仕組みだった。
わざわざ電車で大学まで通わなくて良い、煩い学生の私語に苛々させられなくて良い、オンライン授業の大半は録画だから、時間を気にせず生活できる。しかも憂鬱だった外国語の授業が一気に楽になる。
正直言って、このまま感染拡大が続く方が心地よい生活を送れるんじゃないか?とすら思った。

ネット上では、徐々に「学生の青春を潰すな!」的な言説が溢れ出してくるのだが、友達のいない私は彼らの気持ちが全く理解できなかった。

一方で、オンライン授業開始に伴い、学生有志による学費減額運動が起き始め、私も署名運動に参加した。
感染対策のためキャンパスには入れず、設備を利用することができない状況が数か月以上続くにも拘わらず、学費が減額されないのはおかしい。

しかしながら、早稲田大学が「減額しません」とはっきりと表明したことを皮切りに、学費減額運動は一気にその勢いを失ってしまった。
学費が安くならなかったことは残念だが、国による学生専用の給付金(特別定額給付金とは別)を貰うことができたのは良かった。

給付金の申請には確かLINEが使われていて、簡単に申請できるようになっていたから、日本政府にしてはよくやるなあと感心した。

緊急事態宣言が発表され、学校が休校になることが宣言されると、スーパーの雰囲気が段々殺伐としてきた。
ある日、自宅から徒歩15分くらいのところにある「ライフ」というスーパーに行ったときのこと。

開店前から店の前には大勢の人が並び、開店と同時に勢いよく客が店内に入り込んだ。
私も負けじとパスタのコーナーに向かうと、客たちは我先にとパスタやパスタソースを奪い合っていた。
他の客なんてクソくらえ、自分が買えればいいんだとばかりに、(実際には1人○個までと制限があった)傍若無人な客どもがパスタをどんどんカゴに放り込んでいく。人間の醜さを垣間見た瞬間であった。

買い占め、そして転売。
さらにはパチンコ店、飲食店バッシングや、県外ナンバーへの攻撃。
この新型コロナウイルス禍は、日本人が内に秘めていた醜い性質が一挙に噴出するきっかけとなった。

確かに私も、緊急事態宣言が出ている中旅行に出かけている配信者には、正直言って辟易とする思いはした。
クラスターを引き起こしている大学生に対しては、日頃からの彼らウェイ系大学生に対する鬱憤も相まって彼らを相当軽蔑したのは否定できないことである。

私には発信力もなければ、特にそういった力を持とうという意志にも乏しい人間であるが、そんな自分も自粛警察やバッシングに一役買ってしまった可能性がある。
今回の新型コロナウイルス禍、とりわけ流行が始まったばかりの2020年における状況を振り返ることで、自分自身のかつての行動や考え方を振り返り、未来に向けて進んでいかなければならないと思う。

さて、私は2020年当時は学生マンションに住んでいたのであるが、そのマンションにも徐々に感染拡大の波が迫り始めていた。
緊急事態宣言を受けて、マンションでは外部から部屋に人を招き入れないよう要請が出て、宅配便などもエントランスで受け取ることになった。
もともと友達がいない私には、全く関係のない話だった。
ただ、宅配便をわざわざ1階まで取りに行くのは、特に重い荷物の場合は大変だった。

ある時、マンション住民からコロナ感染者が確認され(2020年4月頃だったかは失念したが、2020年夏までに感染者が出たことは確かだろう)、共用部には消毒が入った。
エレベーターには、感染者確認を伝える貼り紙が何枚も貼られ、物々しい雰囲気になっていた。

4月は緊急事態宣言によって街は閑散とし、東京都心でもほとんど人を見かけない状況になったという。
しかしながら、私が当時住んでいた川崎市内にある元住吉では、商店街の人出が増えるという異常事態が起きた。

この商店街には私も頻繁に通っていて、便利だとは思ってはいたけれど、自転車が縦横無尽に走り回るので、歩きづらいといつも思っていた。
元住吉の人出が増えているというニュースを見て、「ああやっぱり碌な奴が住んでないんだなあ」とマナーの悪い自転車を思い浮かべながら考えたものである。

ただ実際のところは、元住吉駅の周辺住民に問題があったというよりも、緊急事態宣言によって都内などに出かける人がほとんどいなくなり、その分近所で出歩く人が増えた結果がこの現象だと見て良いだろう。

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