馬込文士村は、現代のラビリンス? 迷いつつも、見つけた喜び!

画像1 大田区にある「馬込文士村」を訪ねたよ。ずっと行きたいと思ってたけど、ゆかりの場所が広範囲に点在してて、一人じゃ絶対に無理。地元のお友達を誘ったら、下調べして巡回コースまで考えてくれたよ。ありがたいっ。そこが、ここ。JR大森駅西口からスタートです。
画像2 天祖神社への階段は、けっこう急で、年季の入ったレリーフを右手に見つつ上ってくよ。顔だらけ。文士村は、大正末期から昭和初期にかけ、自然発生的に多くの文士、芸術家が住んでいたエリア。坂が多いけど、きっと仲間が引っ越したから、憧れの文士が住んでるから、と集まって来た感じ? そして、その本人も後に立派な文士となっていったんだね。この人数が、それを物語ってる。
画像3 室生犀星、萩原朔太郎の顔が見えるね。朔太郎、お得意の憂いに満ちた横顔で登場です。一人一人をじっくり見ていくのも楽しいけど、他のレリーフはグループごとになってたりもするから、その交友関係も色々あったことが推測されるね。人間が集まれば、文士と言えど(文士だからこそ?)色々人間関係が複雑に絡み合っていそうです。
画像4 宇野千代と尾崎士郎は、特別枠。夫婦だったし、二人の家に沢山の人が集まっていたことも、きっと文士村の繁栄に貢献してたんだろう。漱石の家にもたくさんの作家や書生が集まってたもんね。その中に潜り込んで、話してるのをこっそり聞いてみたかったな。
画像5 室生犀星と萩原朔太郎のグループも、別括り。こちらは、入口とは違うアングルの顔。二人は、生涯の友だったとのことだけど、二人を中心にして、また沢山の文士たちが集まって来たんだね。志高い故に、時に熱い討論になったりもしただろう。時代的にもそんな激しさや、わくわくさせる雰囲気も確かにあったと思われる。羨ましい。こっちにも、ちょこんと座って無言参加してみたい。
画像6 文士たちが住んでた家が現存してるわけではないので、目印は解説板。坂を上り下りして、探していく。まずは、お友達の生涯の憧れの人、稲垣足穂。ここに住んでたけど、元は神戸の同級生の衣巻省三のおうちみたいだね。その後も、周辺を転々として、またこの馬込に戻って来たと書いてある。馬込には、磁場のようなものがあるのかも。他にも川端龍子、尾崎士郎記念館、馬込文士村資料展示室など、見るべき所満載で一日ではとてもまわりきれない。
画像7 ということで、再訪を約束をして、どうしても訪れたい朔太郎の解説板を探しに。これが一番の難局。全然見つからない。仕方なく家の周りを掃除していたおじさんに尋ねる。ご親切にも、どなたかに電話してまで探してくれる「萩原さんのは、どこだっけ? あー、あっちか」と話す声。「萩原さん」。まるで親戚みたいに、親しみを込めて。昭和17年没だから、触れ合ったわけではないと思うけど、地元だけにリスペクトしてるんだな、という感じが伝わってきます。
画像8 「このあたり、とにかくたくさんあるから案内しますよ」と、電話を切ったおじさんは、わざわざ相当歩いて朔太郎のボードまで連れて行ってくれた。え、ここ? さっきウロウロしてたとことのすぐ近く。ニアミスしてたのか。親切なおじさんに沢山お礼を言ってお別れ。けっこう歩いたし、お腹も減ったのできょうはここでおしまい。おまけのレリーフは、女性の時代の足音が聞こえてきそうな一枚。何かが大きく変わる、そんな時代だったんだな、と改めて。ああ、楽しかった。

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