見出し画像

鳥取県の伯耆富士、大山登山と下山してからの年末の過ごし方

ちょっと寄り道

 大晦日3日前の朝、名阪~阪神高速環状線を経て但馬播磨道で車を走らせる。途中、西紀SAの出石蕎麦で早めのお昼の後、春日JCT~北近畿豊岡道の八鹿氷ノ山ICで高速を降りて、新温泉町浜坂に到着、これまで5時間30分。すこし遠回りになるが、前から行ってみたかった「加藤文太郎記念図書館」があるのだが・・・
「ショック!」この日はなんと休館日。気を取り直し、山陰道で西に向かう。

アクセス

 山陰道大山ICをおりて裾野のブナ林を上ると程なく、雪雲の下にだいせんホワイトリゾートが現われた。そのはずれにある「南光河原駐車場」で今夜は車中泊。

8合目付近の木道

車中泊、寝ながら今年を振り返る

 到着時10℃を越えていた外気温は、日が暮れると0℃をきってきたがシュラフの中は暖かい。じっとしていると、この一年をふりかえってしまう、今年は新型コロナ、虫垂炎など患って大変な一年だった。数年来からの母の介護(といっても大した事してないが)で自分を追い込んでいたところへ、自身も病を患ってヘロヘロになってた。しかも今思えば家族が協力してくれてることに気づかずひとりで焦っていた。
 山で頭を冷やしてすっきりしたいと今回の山行を計画した。車中泊の車内、悶々としているうちに4時間、5時間と時間が過ぎていく。「おい、自分!しっかりしろ!」そう思い目をつぶる。

8合目付近

 車中泊しているクルマの屋根に何かやわらかいものが、ぽつぽつとあたる音がする。上半身をおこして車外を見ると、外では霙(みぞれ)が降っている。明日は登頂予定だが、天気ばかりはどうにもしようがない。そう考えながら眠りに入った。

8合目あたりから見えた剣ヶ峰

夏山登山口~草鳴社ケルンまでの急坂

 翌朝、6時前にシュラフからごそごそ起きだして、昨日Aコープで買っておいた山賊焼き弁当を食べて用意をはじめる。天気は予報よりぐずついていて、霧の向こうに稜線が見えたり隠れたりしているのが見える。7時30分に出発。駐車場のすぐ横の登山口から、幅の広い石段を登り7時45分に1合目。このへんからブナの原生林で登山道らしくなってくる。

剣ヶ峰に続く稜線

 2合目8時5分、3合目8時23分、4合目8時37分、5合目8時50分と順調に高度を稼いでいき、6合目避難小屋に9時10分に到着。これまで1時間40分、樹林帯を抜けて、ここから視界が開けてきた。小屋からは、弥山~剣ヶ峰の稜線が見えたが、稜線はその両側とも相当に崩壊が進んでいる。こちらから見えるのは北壁で、かなりの急斜面なのだが雪を纏った白銀に輝いて見える。

6合目避難小屋

 7合目の少し上に巨大な電柱のようなものが雪に覆われているのが見えた。この丸木柱は「草鳴社ケルン」で昭和12年に草鳴社のパーティ4人のうち3人が亡くなった遭難碑である。

頂上避難小屋

なだらかな8合目~山頂

 急登が終わり風が強くなってきた。8合目に到着し、今まで脱いでいたヤッケを着て寒さをしのぎ、整備された木道のゆるい登りを歩いていく。木道は完全に雪に埋まって確認しにくいが、外れると足を踏みはずして雪に足を取られてしまうので注意しながら登っていく。自然のハイマツや標識看板などの人工物には、樹氷のように雪が凍り付いて不思議な形をしている。雪に埋もれかけた山頂避難小屋を通過し、10時5分に山頂に到着した。 

大山頂上(弥山)1,709m

 山頂から剣が峰に続く急峻な稜線は、残念ながら見ることができないので、避難小屋のかげで風をよけながらもってきたパンをかじって霧が晴れるのを待ったが、寒くてしょうがないので諦めて10時25分に下山を始めた。

山頂は霧の中だったけど

 下山している足元の方向には、山麓の牧場やゴルフ場が見える。こちらは真っ白い雪がふかふかに降り積もった、急な斜面をトラバースして歩いているので、まるで雲(雪だが)の上から下界を眺めているような錯覚を感じる。

草鳴社ケルンから

 10時40分に8合目を通過すると、急登を登ってくる大勢の登山者に道を譲りつつゆっくり下ると、下り坂の下にいくつかのスキー場が見える。大山は中国山地からはずれた沖積平野において、日本海に裾野を広げてそびえる独立峰だ。同じ独立峰の富士山に比較すると急峻で空に突き出すような山容のせいか、まるで空の上に浮いた雲に乗って眺めているような景色が楽しめた。最後に長い長い石段を下り12時5分に駐車場に戻ってきた。

9合目付近の案内板

下山してから‥‥‥年末年始の過ごし方

 下山後、直行した御来屋漁港でカニを2杯買ってから、おにぎりをかじりながら山陰道で帰路についた。途中、琴浦の道の駅でカレイの煮つけをおいしくいただいた。ごはんとみそ汁をつけると定食にできたのだが、おにぎりを食べた後だったのでこれだけで満腹し、その日のうちに帰宅した。

道の駅琴浦にて

 帰宅した翌日は大晦日の前日だったので、母が住む実家の窓ふきと墓掃除をすることができた。掃除をしていると近所の人が声をかけてくれる。なかには、介護のことで相談しにくる兄やんや、母親は感謝してるんだよと言ってくれる姉さんもいる。こんな自分でも役に立ててたのかということと、介護は孤独ではないんじゃないかということに気づかされて、はじめて救われた気持ちになった。昨日買ってきたカニは母親や家族と一緒においしく食べた。
 なんか、山の記録か介護の記録か、わけのわからないものになって申し訳ないが、最後の最後に肩の荷がすこし楽になって一年を締めくくることができた。
 皆様も、よいお年をお迎えください。2023年の大晦日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?