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コミュニュケーションスキル

 私が1番無敵のスキルだと考えるのが、コミュニュケーションスキル。会話力。
これさえあれば、どこでだって生きていけるし、生きていく上で心強い味方、最強の能力だと思う。
友達と呼べる人はそんなに多くはいらないとは思うけれど、初対面の人や仕事関係、子供を通して出会う母親同士のつながり。
ふとしたタイミングで出会う方と上手に世間話をしたり、和やかに話せる方を見ると心の底から尊敬する。

小さな頃から人見知りする子であった私は40を過ぎても、人と話すのが苦手である。
それでも今まで、何もしなかった訳では無い。なぜ上手くいかないのか原因を探ったり、コミュニュケーション力をあげるため、試行錯誤してみた。そして、今よくわからなくなっている。

コミュニュケーションスキルは努力でどうにかなるのか?

そもそもコミュニュケーション能力って、生まれつきに持った能力というか才能のような気がする。人たらしと言う言葉もあるくらい人と話すことを得意とする人というのは、いるのだと思う。
そして、1番は人(他人)に興味があるか否か
私はあまり人(他人)に興味がないのだと思う。
気の合う友達は多くはなくとも数人いるし、家族のことは大切に思っているけれど、
それ以外の人に対してさして興味を持てない。
自己中心的な性格なのかもしれない。
こう書くとずいぶんと偉そうに感じるけれど、
そもそもの気質であったり、性格からくるものだと思う。
私の妹はコミュニュケーション力が高く、それを活かした仕事についていたし、その妹から生まれた子供がまだ幼い頃、アイスクリーム屋でアイスクリームを食べていた知らない人に、それ美味しい?とたずねるという衝撃的な場面を目撃した。
そんなことと思うかもしれないが、私からしたら相当に難しいことである。
まだ4つか5つの子にその能力を抜かされていると本気で感じた出来事だった。
ちなみにこんな私から生まれた我が子は、やはり今のところコミュニュケーション能力はあまり高くなさそう。
それでも、そもそも私と妹は同じ父母から生まれてきたのだから、遺伝や環境だけでは無いことを願いたい。

コミュニュケーションスキルをあげるためには、努力以外に我慢が必要なのか?

もし、巷にたくさんある“会話力”とか“雑談のノウハウ”みたいな本を実践して努力するとして、
(実際少し実践してみたのだが)
一言で言うと苦痛だったのだ。
私が考えるコミュニュケーション能力とは、まずは聞く力、そして話を広げる力。
お互い仲が良く、興味がある相手であればそれほど難しくないのであるが、ことさら興味があまりない相手、もしくは初対面となるとなかなかの苦痛。
そして、私のもうひとつの特徴が、社交辞令が言えないといいますか、思ってもないことは言えないという性格であります。
喧嘩して興奮して口にしてしまったことを
“あの時は思ってもないことを言ってしまった”
などと言う人がいますけど、あれは思っていたが心の底に閉じ込めていた思いが、溢れ出てしまったということだと思う。

“うんうんそうだよね”と相槌をうったり、本当にそう思っているのか?と思うようなことを言い合うことが果てしなく苦痛で仕方ない。

コミュニュケーションスキルを習得したいのか?

そうして結局たどり着いたのは、苦痛を感じてまでコミュニュケーションを取ろうとするのはどうなのか?ということ。
それでも、こんな自己中心的な私にもにこやかに話しかけてくれる方などに接する度に、情けなく不甲斐なさを感じるのは本当で。
もう少し内なる世界から、視界を外側に向けていけたら何かが変わるのかもしれないと思ってはいるが、いまだに自分の殻の中でジタバタしている思春期のような私は、幼いということなのだろうか。

私が憧れる人はこちら。

“世之介に出会えて得した”というセリフがあるのだけれど、その人が居るだけで、その人を思い出すだけで幸せな気持ちになる。そんな人に出会えるだけでも、幸運だろうなと思う。

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