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かんがえこと-10 11.11

11.5(月)

なんとなく気分がおもたいのは、便秘のせいなのだろうか。便秘。これまであまりなやんだことはないベンピ。なにか目に見えないところになかなか頑固で取れないものが溜まっているような、体にも心にも。


11.6(火)雨

「すべて真夜中の恋人たち」を読み終えて、嗚咽している。

レビューを見てみると、反応はばらばらであまり理解されないもののほうが多く見えた。主人公にいらいらする、とか、「人と交われない」「アル中の」「挙動不審な」などとヤユするようなそういう読み方の人は ”真夜中に光るもの” に心ふるえたりしない感性の人なのだろう。

どうしようもなく胸からこぼれ、ただすぐに消えてゆくしかなかった言葉よりももっとつよいかたまりを、わたしは三束さんにむけて放っていた。

自分のことばを自分のことばとして放つのがどれだけ勇気のいることか、その怖さとか、そういうのに感じ入ない人は、それを受け止めてくれる人がいるという、衝撃、のようなものも知りえない。

私はいつだって「光が吸収しないのこりの部分」、三束さんでいえばかばんのほつれたところとか、そういうところばかりに目がいってしまうところがあって。

朝や昼間のおおきな光のなかをゆくときは今も世界のどこかにある真夜中を思い、そこを過ごす人たちのことを思った。 ひとりきりの夜を、ひとりきりの真夜中を過ごす人たちのことを思った。


ストーリーの夏から真冬への大きい流れの中で、冬になりその光はより冬子の中に強く輝く。流れているのは、真夜中の、真夜中に光るものの美しさ。それを見つけた人だけが感じる、苦しさ。


11.7(水)

身近なひとがこの日記をよんで好意的な意見をくれたと妄想して、私は「思ったこと書いてるだけだよ」と返すのを妄想する。

「思ってないことを書いたもの」があるとしたらどこにあるだろうか。

マンションの9階から上くらいにはありそうかな、と妄想してみる。


イベントの参加申し込みページをなんども開いては申し込まず、参加者数がどのくらいまで増えるのか確認する、というのを、ここ何日か、くりかえしている。


11.8(木)

夜7時を過ぎたころ、売場が突然停電した。

なんとか10分くらいで復旧できたけれど、その間に来た何名かの人にはご不便をさせてしまった。

復旧後に来た人はあたりまえだけれど普通で、ほんの数分前にあんなことがあったなど、なにも知らないんだと思うと不思議で、その瞬間だれも売場にいなかったのが奇跡、その間に来てしまった人も奇跡、復旧したのも、すべてが奇跡。


花屋さんで働いている人の日記をよむ。

花屋さんは本屋と似ているところがあるような気がする。ものが動くところにこんなに人の想いが作用している場は、他にない。自分の見たい景色が鮮明になって、もう自信をもって言えるような、気がした。


noteで交換日記のようなことをしてみたいなと思う。


11.9(金)

覚え書き:

相手が話しているときは、かばんに物をしまったり袋をかさこそしたりしない。

本業以外の名刺もいつも持ち歩くべし。


私が怖いのは、「はやし」で行くことが怖いんだ。どこへいくにも。自信がないから。そして誤変換して気づいた。問題は自信より「自身」がないこと。

普段の仕事は平気なのに、それはまぁ、私ではなくてもいい仕事なのかもしれない。


11.10(土)晴

出勤。思いがけず犬を感じられて、幸せな気分になる。


犬は、ただそこにいてくれる。

人も、そこにいてくれるだけで良いのに、人は、待てない。待たない。客も、待たない。

私はだから何も求めない。

だけど人は、いつも何かを求められたがっている。

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