選択肢を増やせ
今読んでいる本の中に「私たちは選択肢が少ない」というような言葉があって。「なるほど確かに少ないな」と思った。
例えばお昼ごはんに何か食べようと思ったとして。天丼と牛丼が思い浮かんだとする。私たちは、思い浮かんだものの中から次の選択肢を選ぶようになる。だからたぶんその場では、天丼か牛丼、どちらかを選ぶことになると思う。
でも実は私は、天丼や牛丼よりも海鮮丼の方が好きかもしれない。
だけど「海鮮丼」というものを食べたことがなくて存在も知らなくて。その状態で「海鮮丼」という選択肢は出てきようがないのである。
本当は知らないものの中に、もっと好きなものがあるかもしれない。でも私たちは「自分が知っているもの」、もっと言えばその中でも「自分ができると思うもの」の中から次の選択をしている。
おそらくだけど。私も含めてこの社会で普通に成長して生きてきた人って、とても選択肢が少ないことが多いのではなかろうか。
それは意図的に「そうされてきた」面もあって仕方ないところもあるけれど。本当は選択肢って、もっと沢山あるのだと思う。
例えば休日何しようかなーと思ったとして。寝る、家のことをする、散歩する、買い物に行く、とか。パッと思い浮かぶのはそういうことだけど。
「県外に日帰りで行く」も時間的にはやれることだろうし。滝に打たれてみる、100キロのものを持ち上げようとしてみる、車を水玉模様に塗ってみる。そんなこともやろうと思えばできるわけで。実際にその選択をする人もいるわけである。
「選択肢が少ない」って自分の可能性を狭めているということで。楽しい方に行きたいならば、楽しい選択肢を増やしてその中から一番いいと思うものを選べばいい。
例えば最初の海鮮丼なら。
天丼、牛丼、ピンと来ないなーと思った時点で「他の丼ものを調べる」という選択をしてみればいいのだ。そうしたら「海鮮丼」という名前も出てくるだろうし。気になったら更に「食べてみる」という選択をすればいい。
無理にそのお昼の時でなくても、「あの時ちょっと選択肢が少なかったんだよなー。もっと他に美味しそうな丼ものないかなー」って日々生きていれば、何かの拍子に目の前に「海鮮丼」が出てきた時に「これ食べてみよう」って思えるかも。
そこで実はイマイチだとか飽きてるんだよな、って思っているのに「お昼ごはんは天丼か牛丼」って自分を縛っていたり思い込んでいたりしたら、たぶん目の前に「海鮮丼」って文字があっても自分には入ってこない。
「選択肢が少ない」ってそういうことなのかなぁと思った。
別にそのままでも生きてはいけるけど、今まである選択肢を選んできた結果が今なわけで。何か不満だったり満たされなかったりして、それを自分が「楽しくない」と思って「楽しい方がいい」と思うなら。新たな選択肢を増やして選択していくしかないのだと思う。
「何かをやめる」も「選択肢を増やす」だと思うし、必ずしも「やること」をどんどん増やす必要もないと思う。
知らないと選択肢に入りようがないし。もっとアンテナを立てて、いろんなことを知って。自分にとって良い選択をしていけたらなと思う。
「選択肢が少ない」という言葉を見て思ったこと。とりあえずつらつらと書いてみたのだった。
ではまた明日。