母だから

夫がお昼ご飯にネギトロを買ってきてくれた。たまに突然お刺身系のものを買ってきてくれる夫だけれども(私の大好物)今日は一体どうしたのだろうか。

「どうしたん?何かあったん?」

とりあえず聞いてみたら

「今日は母の日だから」

との答え。

母の日なのは知っていたし、自分の母に対しては服を買ったりしたものの。まさか私に何かあるとは思わなかった。母の日と自分が全く結びついていなかった。

ネギトロはもちろん、ありがたく美味しくいただくけれども。それはそれとして、自分が母の日に何かしてもらうってとても変な感じがした。

だって私は。「母として」日々特別何かをしているつもりがほとんど無いのである。


私は息子の母である。息子を産んだし、一緒に暮らしているし。「私と息子が親子だ」という事実は確かにある。

ただ、「母だから」息子と関わり今まで育ててきたのかと言うと、それは違う気がする。私と息子の間に「母子」という関係がなくても、赤ちゃんと一緒に住むことになれば元気に育つようにお世話をすると思うし。生活する上でいろんなことを助けるだろう。それは「母という存在だから」義務でやっているわけではなくて、「目の前にそういう存在がいるから」自然とやっている部分が大きいと思う。

今の世の中、「子どもを産んだ人物がその子どもと一緒に住んで育てる」のが当たり前で、何もしなければ産んだ子どもとは自動的に一緒に暮らすことになるので、一緒に暮らすこと自体の前提に「母子」という関係はあるのだけれども。

だから義務で「母」をやっているのかと言えば、そんなことはない気がする。

自分が「母だから」あれをしなきゃ、これをしなきゃ、じゃない。一緒に暮らしていて、息子という存在が身近にいて。たまたま手を差し伸べられる位置にいるから、息子だけではどうしようもないことを助けているにすぎない。

それは義務ではなくて、目の前の状況を見て自分が「こうした方がいいかな」と思ってやっているだけで。「母だから」やっているわけではないのである。


身近にいる人に感謝する、それ自体は良いことだと思うし。「母の日」というものがあることによって、日頃お世話になっていることに思いを馳せたり、そんなキッカケになる部分はあると思うので、悪いことだとは思わないけれども。

普段「母として」意識して何かをやっているわけではない私は、「母という立場だからその日にお礼を言われること」に対して何か違和感があるなーと。そんなことを思ったのだった。

母だろうとなんだろうと、どんな日だろうと。身近な人に感謝して更に伝えることもできれば、それが一番いいのだろうな。



ではまた明日。