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血液型と性格事件

こんにちは。

 小さいころから、血液型は4種類しかないと思っていたのですが、実は300種類以上のパターンがあると知って、私も「邪血のおっさん」を名乗れるかもしれないと考えている松下です。

 さて、今日は「血液型と性格事件」(東京地判平成10年10月30日判例タイムズ991号240頁)を紹介したいと思います。

1 どんな事件だったのか

 松田薫さんは、『[血液型と性格]の社会史』という本を出版しました。その後、竹内久美子さんは新潮社から『小さな悪魔の背中の窪みー血液型・病気・恋愛の真実』という本を出版しました。

  松田さんは、竹内さんの著書にある「『血液型の性格』の関係はなぜ“俗説”なのか……そのなかなか単純ではない歴史」という節を読んで、自分の著書が無断で複製あるいは翻案されていると主張しました(ただし、竹内さんは松田さんの著書を参考にしたことを明記していたのですが)。こうして松田さんは、竹内さんと新潮社に対して、著作権侵害を理由に損害賠償を求めました。

2 松田さん側の主張

 「竹内さんは、私の書籍全体を無断で要約しているので、書籍全体についての翻案権を侵害している。また要約引用は、社会的に必要でもないし、一般的に行われてもいない。私の著書を改変して不正確に要約されるのは、多大なる精神的苦痛である。現に竹内氏は他の学者から厳しく批判されている。一般市民のために他人の学問研究の著作物を要約して紹介する意欲に燃えるのであれば、その著作者の許諾を得ればよいはずで、許諾を得られないということは、著作者が竹内氏の力量を信用していないからである。」

3 竹内さん側の主張

 「問題となった箇所は、一つずつが極めて短く、ほとんどが事実の簡潔な記載にとどまっているので、そもそも著作物には当たらないはずです。歴史的事実は、万人の文化的共有財産であり、事実自体に独占権を認めることはできないはずです。また要約引用も認められるべきです。いちいち括弧付きで原文そのものを引用しなげればならないとすれば、引用者としは、極めて煩瑣な作業を要し、読者としても、甚だ読みにくく、被引用者としても、ぶっ切りにより文脈が正確に反映されなくなる。したがって、要約引用することができないとすると、実際上十分な紹介、批評ができなくなると思います。」

4 東京地方裁判所の判決

 著作権法はあくまで表現を保護するものであって、思想や事実そのものを保護するものではないから、誰が表現しても同様のものになるような場合は、その表現には創作性がないものと解すべきである。他人の研究論文等を紹介する部分については、紹介の仕方に極めて独創的なものがあるような場合を除いて、紹介者の創作的表現とはいうことができないものと解すべきである。
 また、他人の言語の著作物の全体あるいは相当広い範囲の趣旨を引用する必要のある場合、それを原文のまま引用するのでは、引用の名の下に他人の著作物の全部又は広範な部分の複製を認めることになり、その著作権者の権利を侵害する程度が大きくたる結果となり、公正な慣行に合致するものとも、正当な範囲内のものともいえなくなるおそれがあること、また、引用される著作物が場合によっては、記述の対象が広範囲にわたっており、引用して利用しようとする者にとっては、一定の観点から要約したものを利用すれば足り、全文を引用するまでの必要はない場合があること、更に、原著作物の趣旨を正確に反映した文章で引用するためには、原文の一部を省略しながら切れ切れに引用することしか認めないよりも、むしろ原文の趣旨に忠実な要約による引用を認める方が妥当であるからである。よって、原告の請求をすべて棄却する。

5 歴史的事実に著作権はない

 今回のケースで裁判所は、誰が表現しても同じようなものになる歴史的事実や思想を表現したものは著作物ではないこと、また要約による引用が一般的に認められること、について述べていました。とはいえ引用をする際には、著作権を侵害しないように正確に引用しておく必要があるでしょうね。

では、今日はこの辺で、また。




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