「性的搾取」とは

公共の場において性的な要素を含むコンテンツを掲示することについて、Twitterにおいてしばしば批判の声が上がることがある。
例えば以下のような例がある。(日付はいずれもTwitter上で批判が観測され始めた時期。)

・2019年10月、日本赤十字社の献血ポスターに漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」の絵が採用されたが、胸の描き方等が過度に性的だと批判された
・2020年2月、JAなんすんの西浦みかん大使ポスターとして「ラブライブ!サンシャイン!!」の絵が採用されたが、スカートの描き方が透けているように見え、性的で不適切だと批判された
・2020年10月、新橋駅前に掲示されたくまクッキング氏がモデルとなったED治療の宣伝ポスターが、胸を性的に強調する広告だと批判された

批判の声を上げるのはフェミニズムを標榜する人たちがほとんどで、その掲示物の撤去を求めるケースが多く、掲示している企業や団体へのクレームや抗議署名活動などに発展することもある。彼らフェミニストと表現の自由を守ろうとするアンチフェミニストの間では、結論の出ない論争(と罵倒)が延々と続いている。

フェミニズムを標榜する人たちは、性的要素を含むコンテンツが公共の場に露出していると、「性的搾取だ」「性的消費だ」といった言葉を用いて非難することが多い。
「性的搾取」とは主に子供に対する行為に対して使われることが多い言葉で、警察庁小西康弘氏の資料「児童の性的搾取等の現状と対策について」によると、児童の性的搾取とは

自己の性的好奇心を満たす目的又は自己若しくは第三者の利益を図る目的で、「児童買春、児童ポルノの製造その他の児童に性的な被害を与える犯罪行為をすること」及び「児童の性に着目した形態の営業を行うことにより児童福祉法第 60 条に該当する行為をすること」並びに「これらに類する行為をすること」
https://www.npa.go.jp/safetylife/syonen/no_cp/cp-taisaku/symposium7/pdf/discussion1.pdf

と定義されている。
この定義には明に記されていないが、

・児童は大人に対して抗う術を持たないことが多く、本意でない行為を強制されがちであること
・児童は性的行為が自分に対して不当に行われていることを察知できない場合が多いこと

などが暗黙の前提にあると考えるのが妥当だろう。
この定義は概ね分かりやすい。「同意を得ていない児童に対して」「犯罪行為を行う」という事がはっきりしている。

しかし、先に挙げた「宇崎ちゃんは遊びたい!」「ラブライブ!サンシャイン!!」やくまクッキング氏のポスターの例に対して「性的搾取」という言葉を適用するのはどうだろう。

まず「誰に対する搾取なのか」が分からない。「宇崎ちゃんは遊びたい!」「ラブライブ!サンシャイン!!」は漫画あるいはアニメである。そこに描かれているキャラクターは実在の人物ではないし、キャラクターを生み出した著作者の許可は当然得ている。くまクッキング氏の場合も、ご自身が宣伝ポスターに使用されることを納得した上で被写体になっている。つまり、いずれも騙されたり強制されたりしているわけではない。
性的要素を含むポスターに対して被害を訴えているのは「ポスターを見た人」である。その人が何らかの精神的苦痛を受けたのが事実だとしても、それを「搾取」と表現するのは全く実態と合致しないのではないか。

「性的消費」という言葉の使い方にも疑問を感じる。「人が欲望を満たすために財貨・サービスを使うこと」を「消費する」と表現するのは確かであるから、ポスターの掲示がある種のサービスであると考えれば、消費ということもできよう。
しかし、それの何が問題なのか。
消費そのものは悪ではない。同意を得ずに勝手に消費するのが問題なのであって、ポスターの掲示というサービスを「消費」することに問題があるとは考えられない。ましてや、ポスターというサービスの提供に何ら関与していない一般女性を「性的消費」していると言い表すのは、言葉の使い方として誤っていると言わざるを得ない。

「性的搾取」「性的消費」といった言葉は、フェミニズムを標榜する人々が自身の被害感情を権威付けするためだけに用いられている大変空虚な言葉である。
少数派が受ける苦痛や被害に関して多数派の譲歩を望むのであれば、共感と理解を求めることが必要不可欠であるのに、こんな実態と乖離した言葉で説明した気になっていては議論を迷走させるばかりで、多数派の理解を得ることなど到底不可能だろう。


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