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足利義稙がおもしろい

戦国時代の始まりって、最近は「応仁の乱」じゃないらしいですよ。

私と同世代の皆さんは「応仁の乱をきっかけに戦国時代が始まった」って習ったと思うんですが、近年では「明応の政変」説が有力になっているそうです。

「明応の政変」とは、室町幕府の10代将軍・足利義稙(よしたね)が部下のクーデターによって失脚させられた事件。これをきっかけに幕府・将軍の権威が低下し、下剋上の風潮が広まりました。

背景や経緯はいろいろあるんですが、中心人物である足利義稙の生涯がとにかくすごい。

  • 8代将軍義政の弟であり、その後継者とされていた義視(よしみ)の息子として誕生

  • 「応仁の乱」の結果、京を追われた父・義視とともに美濃(岐阜県)へ

  • 9代将軍義尚(義政の息子)が跡継ぎのないまま没したため、将軍位が回ってくる

  • 求心力を高めるべく諸大名を率いて積極的に軍事行動を起こすが、やり過ぎて諸大名の間に不満が広がる

  • 幕府最大の実力者・細川政元に謀反を起こされ失脚、幽閉される(明応の政変)

  • 幽閉先から脱出し、北陸地方を拠点に味方を募って京都奪還を目指すが失敗

  • 周防(山口県)に逃れて雌伏。細川政元の暗殺によって生じた混乱に乗じて再挙兵し、京を奪還(失脚から15年後)

  • 史上唯一、征夷大将軍に二度就任した人物となる

  • が、また部下によって京都を追われ、再起を図るも56歳で死去(病没?)

というわけで、ライフラインチャートの乱高下が凄まじい。
どういうメンタルしてれば15年間諦めずに京都奪還を狙い続けることができるんだろう?

毒を盛られて死にかけるが生還する、刺客に襲われるが自力で撃退するなど肉体的にも逞しい人物で、もうあと少し長生きしていたら三度目の征夷大将軍もあり得たんじゃなかろうかと思わされます。

足利将軍の中でも知名度は低く、かくいう私も最近まで知らなかったのですが、もっと知られても良いんじゃないかなあ。

「父・義視が病気で寝ていた時、うっかり大きな音を出した部下を"父上の安眠を邪魔するな!"って叱り飛ばしたら、目を覚ました義視に"おまえの声がうるさい"と怒られた」

なんておもしろエピソードも遺っているおちゃめな将軍さまです。
足利義稙について詳しく知りたいという方は、こちらがお勧め。予備知識なしでも読みやすい一冊です。


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