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1人1票という悪平等選挙制度

悪平等という言葉があります。

本来平等ではないものを平等に扱おうとすることで、かえって不平等になってしまうというもので、たとえば

「がんばって働いてもサボっても、同じ人間だもの。給料も昇格も平等に扱うよ!」

なんて言うようなものです。平等に見えて実は不平等。それが悪平等です。

ところで。

2017年の衆議院議員選挙の年齢別の投票数をグラフ化してみました。年代別の投票率ではなく、実際の投票者数が全体の何パーセントを占めるかというグラフです。なお、モトネタは総務省が公表しているこちらのデータを使用しています。

http://www.soumu.go.jp/senkyo/48sansokuhou/

目盛りが細かくて見づらい上に、80歳以上は丸められてしまっているのでやたら割合が大きくなってしまっていますが、ご年配の方ほどたくさん投票していることが見て取れると思います。

どんなに高い志を抱いている人でも、とにかく当選さえすればこっちのものだと思っている人でも、政治家である以上、この傾向は意識せざるを得ないでしょう。すなわちボリュームゾーンである高齢者に向けてのアピールが、当選への近道である、と。これがシルバー民主主義などと揶揄される一因であると考えられます。

ところで。

選挙において、有権者は1人1票を持っています。

同じ日本国民なんだから、平等に1人1票でいいじゃないかって話だと思うんですが、個人的にはこの考え方、先述の悪平等なのではないかと思うのです。

たとえば、20歳の若者と、90歳の老人。

どちらも現在のこの瞬間に、日本国民として同等の権利を持っていることに異論はありません。

しかし先々を考えた場合、何事もなければ20歳の若者は60年はこの国で生きていくことになりますが、90歳の老人は長くて10年といったところでしょう。このことは、投票するにあたっての判断基準に大きな影響を与えるのではないでしょうか。

もちろん、子や孫のことを考えて行動してくださる90歳の方は少なからずいらっしゃると思いますし、今のことしか考えられない20歳はいくらでもいるでしょう。しかし、集団としての傾向を考えた場合に、「20歳の集団」は間違いなく「90歳の集団」よりも、先々を考えた選択をすると思うのです。

国は永続を前提としています。であるならば、この国でより長い時間を過ごす若者の意見を、より尊重する必要があるのではないでしょうか。であるならば、高齢者の意向が重視されている現状は大いに問題があると考えます。

そこで、唐突に思いついたのがこんな制度です。

1人1票をやめて、1人あたり(100ひく現在の年齢)票にする。

つまり、20歳の人なら100ひく20で80票、90歳の人なら100ひく90で10票となるわけです。名付けて、年齢比例方式。仮に先日の選挙がこの形式で行われたとしたら、年代別の票数はこうなります。

内訳が分からない80歳以上の方はすべて80歳としてカウントしていますので、実際の割合はもっと下がるはずです。これだとよく分からないので、1人1票形式のグラフと重ねてみます。

青が現行の1人1票、赤が年齢比例方式です。若者の意見がより反映された結果になっています。

年齢比例方式のもとでは、20歳の1人から支持を受けることは、80歳の4人から支持を受けるのに匹敵するということになります。当然ながら政治家は若者を向いた政策、つまり未来を向いた政策をより強く打ち出していくことになるはずです。若者も、自分たちの1票がより重みを持つと思えば、より政治に興味を持ち、投票しようという意欲を持つのではないでしょうか。

年齢比例方式が現在の1人1票方式よりも平等だとは言い切れません。どんな「平等」も、角度を変えてみれば不平等、悪平等になる可能性をはらんでいます。要は何を優先し、何を平等にすることを目指すかということです。

若者の政治参加を促し、より未来志向の政策を打ちだすという意味では、年齢比例方式は一考の余地があるのではないでしょうか。

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