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「人間五十年」は「人の一生は50年」という意味ではないんですよという話

「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

歴史好きなら一度は聞いたことがあると思います。
織田信長が好んだとして有名な『敦盛(あつもり)』の一節です。

この「人間五十年」、「人の一生は50年」という意味ではないってご存じでしたか?

敦盛ってなに?

種明かしをする前に、そもそも『敦盛』がどういうものかをご紹介しましょう。

『敦盛』は能の原型と言われる幸若舞(こうわかまい)の演目のひとつ。
源平合戦の頃、源氏軍の熊谷直実(くまがいなおざね)という歴戦の勇士が平敦盛という平氏軍の将を一騎打ちで破ります。

「さて首を取って手柄に……むむっ、まだ子供ではないか」

この時、敦盛は若干15歳の若者。
直実には同じ年頃の息子がいて、この戦いで戦死したばかりでした(史実では重傷を負ったものの生き延びています)。
敦盛の中に亡き息子の面影を見た直実は、敦盛にとどめを刺すことを躊躇います。

「殺すには忍びない。ここは見逃すから逃げない?」
「バカなことを言うな。さっさと首を取れ。私は割と有名人だから手柄になるぞ」

とかなんとかやっているうちに、源氏軍の兵たちが集まってきます。

「おいあれ、熊谷殿じゃねえか。なんで敵にとどめ刺さずに固まってるんだ?」
「もしかして裏切った?」
「まとめてやっちまいますか?」

などと物騒なことを言い始めたので、やむなく直実は敦盛の首を落とします。

「なんだかこう、すごく虚しい気分」

敦盛を殺したことを気に病み続けた直実は、世をはかなんで出家してしまいます。

「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

は出家した直実の科白というか述懐の一部です。

人間五十年の意味

そしてその意味ですが、まず人間(じんかん/にんげん)とはhumanではなく「人の世」や「人間界」という意味。
(余談ですが「人間」という単語がhumanという意味で使われるようになるのは江戸時代以降です)

下天は「天上界」の中の一番下の階層を指し、そこでの1日は人間界での50年に相当するそうです(重力がめちゃくちゃ強いのかもしれない)。
つまり「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」とは

「人間界でどれほどがんばって50年生きても、下天では1日にしかならない。人の一生なんて儚いものなんだなあ」

という意味なのです。寿命は関係ない。
なので

「人間五十年と謡っていた信長は、その目前である49歳で命を落とした」

みたいな解釈は的外れ。
強いて言えば

「下天換算だと1日も生きられませんでしたね」

くらいでしょうか。

まあそんなわけで、皆さまにも

「あー、また勘違いしてる人がいる。けどいちいち指摘するのも角が立つ……けど言いたい!」

ってなる気持ちをお裾分けです。


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