藤原道長「望月の歌」に関する私見

藤原道長といえば

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

いわゆる「望月の歌」が有名です。

この歌は、当時権力の絶頂にあった藤原道長が自らの栄華を誇らしげに詠んだものであるとされています。が、道長自身はこの歌を、実は闇に葬りたかったのではないかと思われるのです。

日記に記されなかった望月の歌

その根拠として挙げられるのが、藤原道長が遺した『御堂関白記』と呼ばれる日記です。

道長は20年以上に渡って日記を書き残しています。
政治に関する覚書や各種行事の進行に始まり、天皇が言うこと聞かないムカつくとか、孫が生まれたヒャッホウとか、日々の記録が事細かに記されています。
道長が筆まめだったというのももちろんありますが、当時の日記は業務記録のような側面も持っていました。自分自身や子孫が

「次の○○って儀式、どんな服装で行けばいいんだっけ?」

となった時、過去の記録を確認できるようにするためのものです。

が、望月の歌が詠まれたとされる日の記述を見ると、単に一言「歌を詠んだ」とあるだけで、「望月の歌」そのものは載っていないのです。

誰が望月の歌を伝えられたのか?

望月の歌は、藤原実資(さねすけ)という貴族の日記『小右記』に記されています。
実資は当時最高レベルの知識人であり、道長の権力におもねることなく自らを貫き通した人物でした。
そう、ロバート秋山です。

彼は望月の歌だけでなく、歌が詠まれた経緯までも事細かに記しています。実資の人柄と彼の日記の内容を考慮すると、望月の歌に関する意外な解釈が見えてきます。

妄想再現ドラマ・望月の歌

1018年11月23日、宴会の席で酔っぱらった道長は、実資を捕まえて言いました。

「実資さん、今ちょっと歌を思いついたんだけど、聞いて返歌(誰かの歌に対して答える歌)もらえない?」
「え? いいですけど」
「ほんとに即興だから、推敲も十分じゃないからクオリティは期待しないで欲しいんだけどね」
「分かりましたから。どんな歌ですか?」
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
「……(うわ、何言ってんだこのオッサン)」
「ど、どうかな?」
「……(ないわー。マジないわー)」
「あの、実資さん?」
「あ、失礼。あまりの見事な歌に感動して言葉を失っていました」
「え、なんで目が冷たいの? なんでセリフ棒読みなの?」
「いや見事です。完璧な出来すぎて、返歌なんてできません。そうだ、皆で唱和しましょう!」
「え、え、どゆこと?」
「さあ皆さんご一緒に!」
(一同合唱)「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
「なにこれ恥ずかしい! やーめーてー!」

消せない過去

普通、人は自らの恥ずかしい過去を知られたくありません。

道長としては記録としては残しておきたかったけれど、さすがに詳細に記すのは恥ずかしすぎる。そこで自分だけは読み返した時に分かるよう「歌を詠んだ」とだけ書いておいた。
が、道長のことをあんまり良く思っていなかった実資が、嫌がらせの意味でバッチリ記録していた。

これが道長の『御堂関白記』ではなく実資の『小右記』に「望月の歌」が載っていた真相ではないかと思うのです。
さて、大河ドラマ『光る君へ』ではどのように描かれるか。
それ以前に道長と実資はどんな絡みを見せてくれるのか。
今から楽しみです。

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