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侵略。1

 僕、飯田智弘が通う高校の柔道部は、まあ、なんというか一言で言えば詫びしい。それなりに広い道場には、これまでの先輩たちの名前がずらりと並んだ木の名札が色褪せて飾ってありそれなりの伝統というか、歴史のようなものを垣間見ることができる。

しかし、僕は、僕らはその先輩たちの顔を知らない。

自分たちが学年的に同時期にいた二つ上の先輩のことまでしか知らない。

ちょうど僕が入部した年にこの歴史を作り上げた先生が定年退職されて、結局いろいろあったけれど後任の先生というのが見つからなく、今や柔道部とは名ばかりのお遊び部に成り下がってしまったからだ。
今の顧問は柔道をやったことのない女の英語の先生で、おそらくあの人は道場の場所も知らない。

現在柔道部は僕を含めて3人。
2年になる僕と、同い年の武田。そして一つ上の三年生の松本先輩がいるだけだ。僕も武田も、そして松本先輩も実は中学生の頃はそれなりに強かった。武田なんて全中にも出ているほどなのだが、何がどう間違ったのかここにいる。

たまに町道場へ練習にいけば、ちゃんとそれなりに練習している高校生たちに負けたりはしない。

が、この先生の存在しない柔道部において真面目に練習するということはもう無理なのだ。漂う空気が淀んでいるとさえ言える。

今日も、僕らはなんとなく1時間くらいかけて柔道着に着替えると携帯を眺めながら青畳の上に寝転がっていた。

「なんか楽しいことないかなぁ。。」
茶道部よりものんびりとすぎていく午後のアンニュイな時間は、まだ春と言っていい季節にあってどこまでもゆったりと流れていく。

松本先輩がそんなことを言った瞬間だった。

ガラリ・・・と、道場の扉が開いた。
誰が来る予定もないはずなのに開いた扉を、全員がもう体を動かすこともなく目だけで追いかけて見た。

たまにはあの英語教師が気を利かせて差し入れでも持ってきたか、
然もなくば非常に間の悪い事にOBが来訪してしまったか。

一抹の緊張感を孕んだ僕らの視線が捉えたのは、
一人の女の子の姿だった。

「こんにちわ〜。」

おずおず、という言葉がはっきりと似合う彼女は
制服のスカートの丈も長く、清楚、という言葉がはっきりと似合う美人だった。その大きな瞳がキョロキョロと僕らを見回すと、「あの、入部希望なんですけど・・・・。」と、か細い、可愛い声で言った。

それは本来何もおかしなことはない言葉だった。
今は春で、新入生たちがこぞっていろんな部を見学して回る時期なのだ。
もう強豪柔道部としては落伍してしまったうちの部に訪れる物好きなどいるわけがないとたかを括っていたから、その来訪には驚いた。

勧誘もしなければ柔道部のポスターを作って掲示したりもしない。
もう自分が卒業すればこの部も廃部だろうと思っていた。

が、彼女は「あの、入っていいですか?」と道場の入り口に立ってゴロリと寝転んだまま動かない、動けない僕らに問いかけた。
「・・・あ・・・・ああ・・はい、もちろん!」と声を上げたのは松本先輩だった。驚いた事に彼女は大きめの鞄を持っていて、その中には柔道着が入っているらしかった。

「ありがとうございます、、、あの、、どこで着替えればいいですか?」

ペコっと礼をして道場に入る彼女は、おずおずと僕にそう聞いた。
なるほど、女子部員の着替える場所なんて設定してないから、

「ん〜〜〜、今は誰も使ってないから師範室使ってくださいな。」

と請け合った。確かに、僕がこの柔道部に入ってから師範室というのは使われていない。一応手抜きの掃除だけはしてあるから綺麗なはずだが。

「ありがとうございます!」と、初々しい微笑みを僕に向けて、新しい後輩になりそうな彼女は師範室に恐る恐る入っていった。

彼女の姿が消えるや否や、僕と武田、そして松本先輩は緊急会議を開いた。

「おい、やべえじゃん可愛いじゃん!!」

「ありゃあ、いいですね。俄然燃えてきましたよ。」

「経験者かなあ。どっちにしても可愛かったなぁ。。。」


数分後彼女は、ガラッと師範室の扉を開けて柔道着姿で出てきた。
その美しさと言ったらなかった。
綺麗に整った凛とした顔を少し恥ずかしそうにピンク色に染めると
純白の真新しい柔道衣とのコントラストでさらに可愛らしく見えた。

行儀よく結ばれた白帯には赤い刺繍で「木下愛」と記されていた。

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