見出し画像

念願の一人暮らし。

 この解放感は一体なんなんだ。

僕はまだ真新しいベッドに寝転んで、見慣れない天井を見上げたままで思い切り伸びをした。

平日のど真ん中、水曜日の昼前。
家でダラダラしていても誰にも文句を言われないし、
「あんた仕事は!」とずけずけ言ってくる母親もいないし、
帰ってくるたびに小言をくれる親父もいない。
ほんのやすい賃貸マンションだが
ここは僕の城だ。
それ以外に言いようのない、自由な空間だ。
まあもちろん、毎月の支払いというのはついて回るが
そんなことは後から考えればいい。
なにしろあんな親の監視下に置かれていては
僕の背中に生えている羽根がのびのびしないじゃないか。

この問題は長らく僕の自由を妨げて、この人生における解決すべき命題でもあった。
なんというか、親と相性が悪いというか。
まあなんにしろ「うるせーてめーらバカだ!!!」という捨て台詞を置いて、僕は家を出て、なんとか前職で貯めておいたいくらかの貯金を叩いて郊外のこの小さくてもあいつらから離れられるマンションを借りた。
まだ20代も半ば。一度仕事を辞めたくらいで僕の経歴に傷はつかない。

この新天地は、つまり僕の全く新しい、ゼロからの出立の地点なわけだ。
とはいえ、いきなり動くのは性に合わないから
のんびり天井を見上げているわけ。

外には海が見渡せて、広々としている。
空を遮るものものなくあのぼろっちい一軒家の小さな部屋に閉じこもっている時には思えなかった世界の広さとその自由さに心はうずうずとしている。
そうだ。来週からでも何か新しいことを始めよう。
この近くでバイトを探すことからでもいいじゃないか。

その日はとりあえず気が済むまでのんびりとして、
夕方から近所の散策をした。
夕暮れの街並みは美しく、知らない場所ということも相まって
なんだかやたらとロマンチックにも見えた。
帰り道の女子高生たちにとってはなんでもない日常の風景だろうが、僕には彼女らが何か映画の主人公であるかのように輝いて見えた。

そんな日々を過ごしていて、いくつかのアルバイト誌を見つけてきていた。
初めての土曜日。よく考えたら、引っ越してきた挨拶などもしていないことに気がついた。そういうところだよな。なんでも初めてというのは。
僕は自分のうっかりさんにてへぺろをかまして、明日にでも何か適当な引っ越しの挨拶のための粗品を買いに出よう。などと思ってまたベッドに横になった。

時間は、夜の8時を少し回ったとこだ。

テレビを見るとはなく惰性でつけている。
ここのところテレビも面白くなくなった。
出ているタレントの目にも光がなくなったように感じられる。彼らでさえ、この今の世界というのは生きにくいものなのかも知れない。
などという一方的なシンパシーに目頭を熱くしていると、
これまでは全く気にならなかった隣の部屋の物音が唐突に聞こえた。
ベッドに座って、背もたれにしている壁。
その向こうから、むせるような男の声がかなり大きく聞こえた。

「グエエエエエエエエっっ!!!!!!!!」

ここから先は

7,281字

¥ 2,000

読んでいただきましてありがとうございます。サポート、ご支援頂きました分はありがたく次のネタ作りに役立たせていただきたいと思います。 皆様のご支援にて成り立っています。誠にありがとうございました。