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暗闇を抜けて。

倉田敦之は少年の頃に戻ったような気がしていた。
夢中でいた。


倉田の趣味は夜道の散歩であった。その日も夜の12時を回ったあたりで家でやっている物書きの仕事を止めて自分のアイデアと構想を練るために外へ出てあてもなく歩き始めた。

秋といっていい季節に入って夜の空気は幾分澄んでいる。吸い込んだ夜気が胸の中を洗うような清かな気持ちをくれた。何度か深呼吸を繰り返しているうちにいろんな、例えばアイデアとも言えないような思考のガラクタが整理されていくのがわかる。

涼しくて無限と繋がるような夜の匂いを身体中に行き渡らせるとこれまで絡まり合っていた混然の脳内があっという間に整然としていって、心の中までスッキリしていく。
思ってもいなかったアイデアが生まれたり、
なんのために大事に保管しているのか理解できない奇妙な思考の切れっ端が何か赤い糸的なもので繋がっているのを発見したり、
何しろいいことばかりだ。

敦之にはとても大事な時間だった。
仕事よりも熱中できることを探すこともやめて、
ただ起きて、仕事をして、飯を食って眠る。
そういう定型文から外れない生き物に成り下がった自覚もある。
物書き、というクリエイティビティに溢れた仕事の中にありながら
次第にそこに著される自分の発想にも限界を感じていた。が、
満足できないまでもそこそこの才能でなんとか長くやってきた。

今倉田敦之は夜の中を懸命に歩いている。
仕事部屋のある自分の小さくてしょぼくれた家から少しずつ遠ざかっていくことにある種の優越すら覚える。

住宅街を抜けてみると、少し離れた交差点の角にコンビニが見える。
コンビニの向かいにある弁当屋はもう随分前にシャッターが降りて、
夜は点滅になる通りの大きな信号機と、道に沿って並ぶ妙に煌々としたオレンジ色の街灯。そしてコンビニの派手な色彩の看板と、周りを見渡せば民家の明かりがあり、この景色から空の星は見えない。

倉田はどこまで歩いても人工的な光に侵された夜の街に包囲されているようで、閉塞感や焦燥感というあまり美しくない切迫した感情を抱いていた。
その道をまっすぐ上がっていくと、そのうちに暗闇の中へ入る。
大きな神社があって、その周りは鬱蒼とした森であり、さらに少し上がれば山だ。

そこまで上がればこの窮屈な街の明かりから逃れられるかもしれない。
倉田はそろそろ転回して家に戻ってもいいかな、と思っていた地点よりもさらに歩を進めていった。

車通りのほとんどない夜中、赤信号の横断歩道を倉田はのしのしと歩いた。
かろうじて月が見える夜を見上げながら、人工的な光に照らされた街を侮蔑して。

いつもより少し長く歩いただけで、倉田の息は簡単にあがっていった。
普段の不摂生が自分の体をここまで鈍らせていたという事実に少し気が滅入る。それでも神社に続く坂道を登っていくに従って街灯りは届かなくなってくる。その心地よさはあった。

道を登っていくと左手に神社に続く参道がある。
少し森の中を通るとお社が見えてくるはずだが、夜の神社にズケズケと上り込むほど縁起を担がない訳ではない。この仕事を始めた時にはなんとか形になるようにと拝み倒した氏神様だ。失礼なことはできない。

そんな訳で倉田はそのまま道を神社の方にそれず、真正面にぽっかり口を開けた登山道の方へ向かって歩いていった。
ここで引き返そうという気には、なぜかなれなかった。
この登山道を抜けていけば数キロで小高い丘程度だがこの山の頂上にたどり着き、そこから街を見下ろせるはずだ。

その景色を見れば今抱えているもやもやとした気持ちが失せて、
もっともっと斬新で誰も到達できなかったアイデアにたどり着くかもしれない。そんなことを倉田は思っていた。

が、いざ登山道に入ってみると実に暗い。
なるほど街灯というのは案外いいものだったんだなあ。などと思い始めるまでにそう長い時間はかからなかった。

鬱蒼と茂る木々の枝葉の合間からギラギラと恨みがましく光る星空を眺めながらトボトボ歩いていると自分が歩いているよりも下に車が通れるような道があり、そこをゴロゴロと荷馬車のようなホロのついた大きな車が二つほど走っていくのを見た。

「え?こんな時間にこんなところを通るなんてなんだろう?」

倉田が知る限りその道路は昼間でも車が通らず、しかもその先には随分昔に封鎖されたトンネルと、細い生活道路みたいなものがいくつか枝分かれしているだけで、あんな大きな車が転がり込む余地などないはずだった。

よく目を凝らしてその荷馬車のような幌の後ろを睨みつけていると、
「マクア有限会社」と書かれているのがかろうじて読み取れた。

「マク・・ア・・・なんだっけか。。。」

倉田は最近とみに鈍くなった記憶力の緩みきった糸を必死に張り巡らせて、そのなんだか引っかかりのある会社の名前を引きずり出してきた。

ああそうだ!数日前に家に入っていたチラシに書いてあった名前だ。
倉田は暗闇の中でポンと手を打った。
『面倒な手続き無し!即日お支払い!簡単な作業です!』という、何か具体性を欠いた求人募集のチラシらしかった。倉田はまだそれほど食うには困っていなかったのでそれもくしゃくしゃに丸めて捨てたが、
「そうか、この奥で何か作業をしているんだな。」とその安易な募集に引っかかった奴らがどんな作業をさせられているのかに興味が湧いた。
小高い山の上から何にもない平坦な街を見下ろすよりも、自分が優雅に散歩をしている時間にこんな山奥で働かされる奴らの面を拝んだほうが幾分気も晴れそうだと倉田は思った。

少し引き返すと下に続く荒い作りの階段があったので、それを伝って降りていく。

車道、というには少々整備がされてなさすぎるその道は、雑草がボウボウと生えていて、さっき通った車のタイヤの幅に轍ができている。
それに沿って倉田はのんびりと歩いて行った。そこで何が行われているのかを見物したらもう今日は帰って寝ようと決めていた。

しばらく行ってもなかなか作業をしているような気配がない。車の轍は続いている。

上の道を歩いている時には気づかなかったが、今いる下の道から見える崖には大きな石の仏が彫ってあったりする。夜の光の中、静かな森の中でぼうっと浮き上がるそれは実に不気味だ。

そうこうしているうちに生活道路に逸れることのできるような状況でもなくなった。

いよいよあたりは暗い。

が、月の光に照らされて、その崖に何か羽の生えた人間みたいなものの彫刻が現れ始めた。パッと見た感じ天使にも見えるシルエットだが、その顔は恐ろしい形相で手には槍を持っていて、いかにも悪魔的だ。
それもかなり宗教がかっていて、不気味だ。

倉田は背中に嫌な汗を感じながら、少し前にこの土地に関して調べ物をした時に読んだ文献の記述を思い出していた。
確か、戦後間もない頃この土地には一瞬カルト的邪教が蔓延ったのだそうで、それも穏やかじゃない悪魔崇拝のカルト教団。1人の巫女を教祖にして貧困にあえぐ人々を取り込んだ。その後、この辺りにも先進的なGHQの教育が波及して全時代的な考えを放棄せざるを得ない状況に陥り、そのカルト教団も解散した。とあった。
倉田はその話と目の前に浮かび上がる悪魔の彫刻に関係がないわけがない。と確信していた。

いく先に目をやると、少し離れたところにぼやっとした光が見える。
人工の光だと思った。倉田は物陰に身をひそめながらその光の方へと近づいて行った。

そこに待ち受けていたのは大きなトンネルだった。
その入り口の横に幌のついた荷馬車のような車が停まっている。
倉田は注意深くその近くまで寄ったが、人が乗っている気配はない。
だがトンネルの奥の方に人の気配がある。トンネルの入り口は静かなものだがなぜか松明がたいてあり、それは電気の通らないトンネルの中にも何メートルかの間隔を持って並べられていた。

蛾や小さな虫が火に飛び込んでいく。

実に異様な雰囲気だった。

倉田はトンネルの中を首を伸ばして見るがトンネル自体が湾曲していて中の様子を知ることはできない。

もし本当に軽作業であるならば、こんなところでこんな風にやる必要はない。自社ビルでも、倉庫でももっと適した場所があるはずだ。それにこんな荷馬車に詰め込まれて山奥まで連れてこられるなんて、尋常じゃない。

うーん、と倉田は案じた。もしこれがあまり穏やかでないことであれば、
そこに首をつっこむというのは本意ではない。
が、あまりにも気になる。

しばらく悩んで、ふっと何気なく倉田は視線をあげた。
そこにはまだ健在のカーブミラーが自分と荷馬車を写していた。かなり汚れてはいるがまだ視認性はある。

だからこそまずかった。

倉田は自分の後ろにある幌の文字を読んだ。

「社会限有アクマ」

「アクマ」

「悪魔」


倉田は血の気が引くような思いがした。
やっぱり、悪魔崇拝の何かが行われているのだ。。


倉田は恐る恐るトンネルの中に足を踏み入れた。
少しでも気を抜けば転がっている砂利が音を立てる。

中に入るとじっとりと冷たい空気と、熱気、そして何か血腥い匂いがムワッと漂ってくることに気がついた。
口元を押さえ、湾曲したトンネルに壁を伝って侵入していく。

と、そこには黒山の人だかりがあった。

人がいる。。。

倉田は少し安堵したが、その向こう側に設えられたステージで行われている奇妙な光景に対しては安堵ではなく恐怖を感じた。

倉田のいる場所から眺めると、黒山の人だかりは人々、倉田に背を向ける形で行儀よく座っている。それらを監視するように作業服を着た男たちが4人ほど囲んでいる。

そしてその向こう側にあるのは石でできたステージで、そのさらに向こうには玉座と思しき豪奢な椅子が設えられている。背もたれが高く、その先端にはクリスタルでできたドクロが飾られている。金と赤の見るからに偉そうな椅子に腰をかけているであろう人物は、、、

その石のステージで1人の男と向かい合っている。。。

若い、、、女だった・・・・。。

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