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軍門に降る。

高城智也はここのところ悩み事を抱えていた。
特に深刻な悩みではないが、それでも、高城にとって現在青年期の中腹にあることもあってそれなりの悩みではあった。

それは「運動不足」というやつで、学生時代を部活動に費やした智也は自らの肉体の衰えと日に日に消えうせていく体力にうんざりとしてただ目を背けていたが、それも限界だ。ついに会社の階段を駆け上がることすら出来なくなって、もう五年ぶりとなった古巣の門を叩くことにしたのだ。


高城智也は小学生の頃から柔道を習っていて、高校生までそれなりに続けていた。ちゃんと初段はもっているし、五年前までは一般の会員達と時折切磋琢磨して自分の体の状態を保つことにも成功していた。しかし仕事における過重労働を課せられる年代と成り果てて、高城智也は自分でも分らない間に酒に走り自らの肉体や精神を律することを忙しさにかまけて忘れ去っていた。まだまだ自分は柔道家としてある程度やれるし、体力だって平均的同年代の中ではかなりやれるほうだという自信があったのだが、それもいつのまにかただの虚勢となっていた事を見ない振りで誤魔化していたのだ。

ある土曜日のことだ。

高城は古巣である町道場に少し小さくなってしまった柔道着を持って出向いた。

記憶によると土曜日は昼過ぎから道場が開放されていたはずだった。
天気がよくて気持ちイイから歩いて行く道場までの道のりに色んなことを思い出す。青春時代だったなぁ、などとひとりごちて少々険しい坂を額に汗しながら上っていくと道場の門が見えてくる。

ああ、そんな久しぶりのつもりないけど、懐かしいなぁ。。

春の風が大きな木を揺らめかせて、
あの頃と同じように穏やかな木々の音を響かせる。
暑くも寒くもない、一年の中で最も美しい気候の中で
智也はその一瞬の風を味わうように、何度も何度も深呼吸をした。

そして年とともに緩くなった涙腺が積年の感慨と季節の美しさに感けてドバドバと涙を分泌しようとするのを必死に堪えて道場に顔を覗かせた。

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