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そこは地獄。

 小学生の頃からいじめられっ子だった大石健は高校をいじめられっ子のまま卒業し、家から少し離れた大学へ通うことになった。

せっかくなので地元から離れて1人暮らしをしたいと願っていた健にとっては好都合な距離だった。
地元の自分をいじめてくる人たちから遠ざかり誰も自分のことなど知らない土地に移ることがこれほどに清々として晴れ晴れとした気持ちになるなんて。と、健はあれよあれよという間に決めたアパートにほんの少しの荷物を持ち込んだときに感じた。
一歩外に出れば知らない町。知らない商店街。知らない人、そして、知らない空気が自分を変えてくれるかもしれない。

そんな予感があった。

大学がはじまるまであと2週間。

健はずっと昔からやってみたいことがあった。

格闘技だ。格闘技であればなんでも良かった。
柔道でも空手でも、最近はやりの柔術でも総合格闘技でも。健は強くなりたかったのだ。

強くなって自分をいじめたやつらを見返してやりたい。その思いが決して行動力があるほうではない健を突き動かした。

引っ越してきた翌日、まだ肌寒い3月の終わり。
狭い部屋ながらにガランとした空間に目を覚ました健は、町を散策しに出かけた。駅からは徒歩10分、その間にある店や通りの雰囲気を感じておきたかった。

何の事はない少し寂しげな商店街や、川沿いの小道など、健は思いつく限り歩いてみた。そして大きなモールと連結している駅に辿りついた。駅前だけが発達した地方都市っぽさに健は何故か心がわくわくしていた。
ここがこれから四年間を過ごす、自分の町なのだという感慨にふけっていた。

ふと目をやると町の掲示板があり、そこに『練習生募集』という張り紙を見つけた。『トライジム』という名前のジムらしく、グラウンドレスリング、グラップリング、実践的格闘技研究、などがそのジムの取り扱いだそうだ。

健は早速電話番号をメモって、家に帰るとすぐにトライジムへ電話を掛けた。そして見学を希望しますという旨を伝え、その翌日にはトレパンとTシャツすがたの健がトライジムの片隅でその雰囲気に思いっきり飲み込まれながら見学していた。

結局トライジムは健のアパートから徒歩5分の距離にあった。すこしぼろい、今は使われていない喫茶店の二階に位置するジムにはリングがあり、マットを敷いた面があり、筋トレの器具があり、実にジムらしい景観を整えていた。

健は全くの初心者で、強くなりたいから来ました、と意気込んで受け付けてくれたおじさんに話をした。
おじさんは健に優しい笑顔を向けて、ま、怪我のないように頑張るんだよ。と声を掛けてくれた。健はその懐の深い笑顔に涙が出そうになるのをこらえるのに必死で、自分の隣を颯爽と通り抜けた自分より少しだけ背の低い女の子には気が付かなかった。

見学に来て20分が過ぎた頃、ジム内の様子が少しざわついた。

「やべえ、樹里さんが相手探してる。」「目ぇ合わせたらだめだぞ。」「やられちゃうぞ。」と、屈強そうな男たちがよそよそしくひそひそ話をしている。何気なくリングを見ると、そんなに長くない髪の毛を後ろで一つに括っているとても目の大きい可愛らしい女の子がリングに張ってあるロープに肘をつくように辺りを見回している。下段ロープに足を引っ掛けて立つ姿はとても様になっていてかっこいいと健は思った。
そうしている内にその女の子が「ユウキ、来て。」と声を掛けた。
ユウキと呼ばれた男はビクッと体をひりつかせてみたが、そのままリングに上がった。「わあ、今日の犠牲者だ。」と誰かが言った。

女の子はまだ若く、おそらく自分と同じくらいかなあと健は思っていた。
彼女が指名した男のほうはもう少し年上、でもまあそれでも22歳ってところかな。と健が値踏みしていると、女の子がパンっと手を叩いてスパーリングが始まった。
男のほうは健と同じトレパンに、上半身は鍛えられた細マッチョ的な体を曝している。
女の子は真っ白な一分丈のぴったりした肌触りのよさそうな短いスパッツに、スポーツブラみたいなものを着ている。良く見るととても露出の多い格好だ。しかし女の子は堂々としていて、その露出の多さにいやらしい目を向ける気になれなかった。少し割れた腹筋やバンっと張り出した立派な太ももは鍛えられたアスリートのそれだし、キュッと上がって綺麗な形に揺れるお尻はとても美しかった。健は2人のスパーリングを食い入るように見ていた。男対女、それがまともなスパーリングになるのかどうかも分らないまま。

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