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DEEP2002(中盤)

出稽古

GWが終わり1週間ぐらいで川崎に戻った。
事故のダメージも回復して縫った肘も抜糸してもらった。
試合前だと言うのに2週間近くバイクの事故のおかげで練習を出来なくなったのだが、事故の保険でバイク一式や休業補償の分など、まとまったお金が入る事になり、普通であれば焦るはずが自分にとっては仕事を休む口実も出来てラッキーな結果となった。
間違っても相手や保険屋さんに過大請求などはせず、走行距離、使用年数から事故の割合でお金を受け取る事になったのだが仕事と格闘技の二重生活ですっかりお金は無くなりカードローン地獄に陥っていた俺にとって予期せぬ臨時収入となった。

怪我で練習出来なくてもお金が入るからラッキー。選手として上を目指す者としてはおかしな考えだ。
しかし自分の計画は次の試合まで仕事を休んで、U-FILE以外のところで練習をしようと思っていたのだ。
日給制の俺は普通だったら仕事を休めるような状態ではなかったのだが事故によってそれが可能になった。
目的地は髙阪剛さんが白金のトータルワークアウト内に開いたチームアライアンスG-SQEARE。
そこでは解散してしまったRINGSの選手や当時の格闘技界で有名な選手達が集まって練習していると言う噂になっていた。

髙阪さんの元には宮川博孝と言う男が付き人的にいたのだが、彼は以前にU-FILEにも通っていて練習した経緯があり連絡先も知っていたので彼にコンタクトを取り練習に行かせてもらう事にした。
髙阪さんは「歓迎する」と言ってくれたそうでとても嬉しかった。
前の年に髙阪さんとスパーさせて頂いた事が忘れられなくてU-FILEの昼にやっているプロ練より断然こっちだと俺は感じていた。
問題があるとすれば田村さんは出稽古をよく思っておらず、もしかすると許可されない可能性がある事だ。
許可されなかったらと考えると堪らないので、俺は強行策に打って出た。

G-SQUARE

川崎は登戸暮らしの俺は電車を乗り換えハイクラスの人間達が生息している白金高輪駅に降りた。
ケビン山崎氏が開いた巨大なトレーニング施設_”
トータルワークアウト”の一角にジョイントマットが敷かれガラス張りで囲われた中にG-SQUAREはあった。
受付で名前を書き、G-SQUAREのある2階に上がると髙阪さんは先にいらっしゃって挨拶をすると笑顔で迎えてくれた。
集まっているのは滑川さん、レフェリーの和田さん、伊藤博之君、横井博考君のRINGS勢がレギュラー的にいて雑用を宮川が行っていた。
U-FILEでは通常体重が80kgぐらいで重い方の俺がここでは軽量級になってしまうくらい大きい選手が集まっている。
ガラス張りの中で練習していると外のトレーニングスペースには深キョンや野球の清原さんがいたり芸能人が珍しくない場所だった。
上京してから5年以上経っているが都心に現場仕事以外では来る事はなかなか無い。全てが目新しくて衝撃だった。
練習には全日、新日の有名プロレスラーも来たり須藤元気さんや山本キッドさんも来る事があった。
ミーハーな奴ならばいるだけで幸せそうな空間だったが俺はDEEPで勝つ為に来させて貰っている。とことん練習するしかない。
練習はオープンフィンガーで行われ、5分のスパーを1時間くらい回して最後に補強をしたりするシンプルな内容だった。

とにかくRINGSの面々はパワーが凄かった。髙阪さんは前年に組ませて貰った時と同じように大きな体なのに動きが早く止まらない。
その中では横井君の腰が1番重かったように思う。
滑川さんはパワーと圧力が強くて、レフェリー和田さんは更にパワーが桁外れだけど2分でスタミナが切れる。
そんな中で唯一同い年の伊藤君は必死に頑張っていた。
U-FILEの練習がマンネリ化していた俺にとっては刺激的だった。
体重差があるので正面からぶつかっても潰される事が多く、この時期は飛びつき技を多用した。
跳び十字、跳び三角、蟹挟み、寝技になってからのヒールホールドは大きい相手に有効だった。
キツい練習でも根本的に皆が活き活きと練習している感じが好きだった。滑川さんはいつも怖い顔をしていたのだが。
所属しているU-FILEにはMMA練習でそのような空気感は無かった。
練習を終えると綺麗な更衣室にシャワーも使えた。U-FILEには仮設っぽいシャワーしかなくて近所の俺は練習技のまま帰ってシャワーを浴びていたので練習後にジムでシャワーを使うのが新鮮な感じがした。
登戸に戻ると夜も当然練習に行く。
夜はU-FILEで昼間にやった技を反復したりしながら閉館まで練習した。

そしてやらなければいけない事が残っている。出稽古に対する田村さんからの許可だ。
そもそも許可されなかったら困るので先に出稽古行ってしまって許可は後回しにしていたのだ。
この頃の田村さんは指導に入る事が少ないのでなかなか会えないのだが毎日ジムで練習していると遅い時間に現れたので「お話があります」と緊張しながら田村さんを引き留めた。
「事後報告で申し訳無いのですが髙阪さんのジムに出稽古に行かせて頂きました」
田村さんは案の定「なんで先に言わないの?」と聞いてくるのだが「ずっとジムには来ていて言おうと思ってましたが中々合会えなかったもので…」と答えると。
しばらく沈黙した田村さんは「まぁいいよ。そんでいい練習出来たの?」「誰がいたの?」と興味津々に聞いてくるのだった。
話した時が機嫌が良くてラッキーだったのと田村さんも気になるなら行ってみれば良いのにと思うのだった。

6/5DEEPミドル級トーナメント


初めてのプロ選手みたいな生活を試合前に1か月ほど送る事が出来た。
出場するDEEPミドル級ワンデイトーナメントの自分以外の出場選手は
村浜天晴、星野勇二、梁 正基、上山 龍紀、久松 勇二、窪田 幸生、石川 英司となる。
同門の上山さんとも当たる可能性のあるトーナメント。前から意識していた梁選手もいて、良い練習もできていたので誰が来ても勝つ自信があった。
会見時にトーネメントの抽選があった。
上山さんは俺に「長南 vs 梁 正基は見たいカードだね。石川英二が一番嫌だね」と言っていた。自分も漬け込んでくる石川英司が一番苦手なスタイルだったので嫌ですね~と相槌を打った。
上山さんは石川英司にコンテンダーズのグラップリングマッチで判定負けした経緯もあった。

抽選が始まり次々とトーナメントの試合が埋まっていく中、上山さんが選択する順番になった。面白いのが梁正基と石川英司の両脇が空いていてそのどちらかに自分か上山さんが入らなければいけない状況となっている。
きっと上山さんは梁選手と俺を組んでくれると期待した。しかししばらく悩んだ上山さんは梁選手を選択して苦手意識のある石川選手を俺に投げてきた。
身内からのキラーパス。決まったからにはやるしかないと腹を括った。

この頃のミドル級は82kg契約だった。
自分は体重が足りないくらいだったのでナチュラルウェイトで試合をしていたのだが相手の石川英司はもっちりした感じではあるが一回り大きかった。
相手の試合を見て怖さは無いがテイクダウンの圧力やしつこさが厄介に感じた。

石川英司相手に恐怖心は全く無い。
しかし抑えられてからの判定負けのパターンは可能性が高いと思っていた。
6/5 DEEP 5th Impact試合の日を迎えた。

相手がタックルに来たので首を抱えるとフロントチョークの形になった。
フルパワーで締め上げた。
この時のセコンドの磯崎さんは石川の顔の色が真っ赤になっているのを見逃していなかった。
練習ではあまり使っていないので極めれるか自信はなかった。
飛びついてクロスにすれば良かったのかも知れない。その後チョークごと抱えられて俺はテイクダウンをされた。
そこからは前戦の秋山戦と同じ事をやる。
今現在のMMAとは違って立ち上がりの技術は全く浸透していない時代だ。
したから殴り続けオモプラッタもトライした。
秋山戦より俺の下からのパンチの強度は上がっていた。
2Rも上を取られ同じ展開が続いた。顔に与えているダメージは俺の方が大きいと思ったけど印象的に下にいるのがマズいとは思った。
ラスト30秒くらいでブレイクが入った。
本来はここで打撃で勝ちを取る最後のチャンスのはずだ。セコンドからも打撃で行けと支持が飛んだのだが俺はそうはしなかった。

相手の前足を掴むと強引にシングルレッグでテイクダウンに行った。今までやられたお返しとテイクダウンぐらい俺も出来ると言う意地だった。
終了ギリギリにテイクダウンに成功した。
判定は2-0で石川英司に上がった。
ドローを付けたのがパンクラスでレフェリーとして活躍する梅木さんだった。
延長戦をする気だったのだが梅木さんに俺が負けてないと見えていたのは少し嬉しかった。

その日のトーナメントは先輩の上山さんがアンクルホールドで石川英司を極めて優勝した。
俺にはまだ早い舞台だったのか?とか思いながらも、その日は純粋に上山さんの勝利を喜んだ。

9/7DEEP 6th Impact 有明コロシアム

フューチャーファイトから4戦も試合させてもらっているDEEPだったが佐伯代表のお金は底を付き運営は火の車だと言う。
何か抜本的な改革が必要だと素人ながらにも感じる中、DEEP一発逆転の興行に打って出ると言う話になった。

9/7今は無き有明コロシアムでのビッグイベント。同じく今は無き近所のもっと小規模なディファ有明で大会を開いていたのに、なかなかの大会場で勝負をする事になるようだ。

内情の一部の話ではあるが、DEEPは旗揚げから、あちこちから金をたかられ佐伯さんは言い値でギャラや経費を支払っていて大損こいていたので、見るに見かねた我らが木下雄一さんが正式に運営に入ったのがこの頃だ。
メインは田村潔司vs美濃輪育久が発表されブラジリアントップチームからも選手が参戦すると言う。
個人的には田村vs近藤が見たいと思ったが、この大会には木下さんは田村さん以外のU-FILEの選手達も出そうとしていた。
大博打に俺達じゃ駄目だろと今になれば思うのだが木下さんは、佐伯さんやU-FILEの為に必死だったと思う。
他のカードで1番衝撃だったのが当時修斗でチャンピオンシップまで進んだ三島☆ド根性ノ助がDEEPに参戦すると発表された事だった。

修斗はオフィシャルジムを抱え早くからランキング制度、軽量級にも力を入れてアマチュアまでの土台が大きく競技的にはパンクラスよりも確実に前にいる団体だった。
自分もサムライTVで修斗の軽量級の試合を教本として勉強する事が多かったくらいだ。
ライセンス制などもあり当時は今よりも簡単には修斗には出れなかったし修斗から他所の日本の団体に出る選手もいなかったので三島選手の参戦には驚いた。

そんな情報が入ってくる中、木下さんは長南の為に良い相手を見つけてきたと言う。
木下さんがブッキングした相手はバトラーツで活躍するプロレスラーの臼田勝美選手だ。
正直、はぁ?とテンションが下がった。
石川英司に判定負けして以来、次は絶対に勝ちたいと一層気合を入れて練習をしていた。
相手がパンクラスでもグラバカでも今度は絶対殺ってやると思っていた。
それがMMA経験があるとは言えプロレスラーの臼田選手では目指しているところが全く違うと感じた。
木下さんは臼田さんは名前があるので俺も喜ぶと思ってマッチメイクしていたから、木下さんまでも少し落ち込んでいた。
仕方ないけど、ここで止まっていられないので周りには1分以内に倒すと宣言した。

スカパーでのPPVの放送も決定した。
俺も気合を入れてお気に入りのキャバ嬢をご招待した。
舞台は整った。
スリップノットのsicが有明コロシアムに流れる。
無名の俺が青コーナーで最初の入場だった。
確か相手の臼田選手の入場曲はブルーハーツだかハイロウズだったのでブルーハーツのファンクラブだった俺からすれば入場曲が2回鳴るようなものだ。
ゴングが鳴るとダッシュして飛び膝をかました。そのまま掴んできたのでパウンドを連打すると試合は終わった。
5秒での勝利。コーナーに飛び上がると会場は盛り上がっていた。
初めて味わう会場とのグルーヴ感が気持ちよかった。

臼田さんに挨拶に行くと口からの出血が止まらないようで苦しそうだった。顎の骨が折れて続けて打ったパウンドで頬骨の方まで骨折は広がる重症だったそうだ。
その頃の俺は相手を破壊する事を喜んでいた。どれだけダメージを与えるのか?究極は殺してしまう事。この頃からサインに殺と書くようになった。しかしこの臼田戦がきっかけで大変な事になっていくとはいざ知らず。
同日修斗から参戦した三島☆ド根性ノ助はパンクラスランキング1位だった伊藤崇文に何もさせずに腕十字を極めていた。

この晩は登戸で応援に来てくれたキャバ嬢、地元の応援団、U-FILE仲間で打ち上げで騒いでいた。

2002年の私、この後大きな試練が訪れます

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