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古今東西刑事映画レビューその33:容疑者

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

2002年/アメリカ
監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ
出演:ロバート・デ・ニーロ(ヴィンセント・ラマーカ)
   フランシス・マクドーマンド(ミシェル)
   ジェームズ・フランコ(ジョーイ・ラマーカ)

 意外かもしれないが、ロバート・デ・ニーロの主演作を小欄で取り上げるのは初めてのことだ。クリント・イーストウッド、ブルース・ウィリスなどと違って、刑事や警察官の当たり役が無いからだろうか。あまりにも膨大な出演作リストから、それを演じている作品を見つけ出すのが難しいからだろうか。ともあれ、いささか緊張しつつ、この名優の主演作をご紹介することにしよう。
 デ・ニーロ演じる主人公のヴィンセントは、敏腕で知られたニューヨーク市警の刑事だ。妻とはすでに離婚していて、街中の小さなアパートメントで一人暮らしをしているが、階下に住まうミシェルと言う女性と交際している。仕事帰りに彼女を迎えに行き、食事を楽しみ、同じベッドに転がり込む。ささやかだけれども、充足した日々を過ごしていた。
 しかしある日、ある男の他殺体が川辺で発見され、その生活は一変する。容疑者として浮かび上がってきたのは、ヴィンセントの一人息子・ジョーイだった。ドラッグに溺れ、日銭にも事欠く有様のジョーイは、知り合いの売人と些細なことからもみ合いになり、誤って彼を刺殺してしまったのだ。
 現役刑事の息子が殺人を犯し逃亡、と言うだけでも十分な醜聞だが、ヴィンセントにはもう一つの過去があった。彼の父親は、かつて乳児を誘拐し、誤って死なせてしまった罪で死刑に処された男だったのだ。マスコミの容赦ない追及を避けるため、事件の担当を外されたヴィンセントだったが、息子を救うために独自の捜査を開始するのだった……。
 「父親の不在」と言う空白を抱えた親子が主人公の映画である。ヴィンセントは父を反面教師に、「正しい人間になる」と言う思いを抱いて刑事の道を選んだ。そして誰もが認める「正しい男」になったのだが、満ち足りているように見えるのは一面だけで、その実、幼いころに受けた心の傷に今も苛まれていた。
 そしてジョーイもまた、自分の元を去った父親の不在に苦しめられている男だ。高校生のとき、アメリカンフットボールの名選手として近隣に知られていたジョーイ。しかし、その誇らしい日々を語りたい相手はいない。ヴィンセントが難しい年頃の息子との関わり方に思い悩み、距離を置いたからだ。高校を出、人生の目的もなく、ドラッグに溺れても、それを糺してくれる厳格な父はいなかったのだ。そんなジョーイもまた、ガールフレンドの間に生まれた息子の前から姿を消し、自分もまた「消えた父親」になってしまうのだ。
 そして、彼らの傍らにある女たちもまた、男たちの心の空隙を埋めてくれはしない。ヴィンセントの元妻は彼とまともにコミュニケーションを取ろうとしない。今、彼と交際しているミシェルも、彼の重たい過去を知った途端に距離を置こうとする。ジョーイのガールフレンドのジーナは、ジョーイとの間にもうけた息子をヴィンセントに押し付け、姿をくらます。
 自分の力ではどうにもならない事態に直面した時、多くの人は何を思うだろう。たとえば、遠ざかっていく恋人の心を引き留められないとき。たとえば、自分の肉親が罪を犯したとき。あまりにも大きな力、運命とでも呼ぶべきものがあなたの体をわしづかみにして、安寧な日常から遥か彼方の嵐の中へ置き去りにする──そんな時。
 抗うか、受け入れるか、諦めるか。
 この映画の男たちや女たちは、そんな時、逃げる。崩壊しかかっている家族の絆を修復せずに逃げる。愛する男の救いがたい闇から逃げる。生活苦の中で子供を養うと言う困難から逃げる。それは愚かで悲しいけれど、でも誰にも責めることは出来ないだろう。もし自分の身に同じことが起こったら、まっすぐ立ち向かうことのできる人が、どれだけいると言うのだろう?
 4代に渡る親子の関係を経糸にしつつ、重大な選択を迫られた人々の群像劇を横糸に据えるという、非常に優れたストーリーラインを持った作品である。
 この作品で印象的なのは、舞台の使い方だ。かつてニューヨークから一番近いビーチとして栄えたロングビーチ。物語の冒頭はそんな古き良き時代に海水浴を楽しむ人でごった返す砂浜と、そこに流れるオールディーズから始まる。やがて町は寂れ、現在は廃屋が軒を連ねた空虚な場所となっているのだが、これはそのままヴィンセントとジョーイの関係を表しているかのようだ。そんなことに思いを馳せながらこの映画を観ると、ラストシーンがまた別格の味わいをもたらしてくれるだろう。
 デ・ニーロやフランシス・マクドーマンドなど、オスカー俳優たちの演技は勿論だが、息子のジョーイ役を演じたジェームズ・フランコが印象的だ。“ゴッドファーザーPart2”でヴィトー・コルレオーネを演じたころの若いデ・ニーロに目元が似ていて、不思議に心惹かれる俳優だ。近年、“127時間(2010年)”でアカデミー主演男優賞にノミネートされたことも記憶に新しい。若いころから人を引き付ける魅力があったようだ。
 過去に縛られ、親とは違う人間でありたいと望みながら、理想と違うところに流されてしまったヴィンセントが、何を選び、何を願うのか。私たちは、最後まで彼の選択から目が離せないだろう。派手さは無いが、自分の人生を深く考えさせられる、味わい深い映画である。

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