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古今東西刑事映画レビューその47(最終):天国と地獄

2011年から2015年の間、知人の編集する業界誌に寄稿していた刑事物映画のレビューを編集・再掲します。

1968/日本
監督:黒澤明
出演:三船敏郎(権藤金吾)
   仲代達也(戸倉警部)
   石山健二郎(田口部長刑事)

 50本近い映画をご紹介してきた小欄だが、今回でひとまず最終回となる。足かけ4年近くに渡って続いてきた連載のトリを飾るに相応しい作品と言えば、これ以外にない。そう胸を張って言いきることが出来る、巨匠・黒澤明の名作、“天国と地獄”を、今回はお送りしたいと思う。
 黒澤明のフィルモグラフィの中で、時系列としてはほぼ真ん中あたりに位置するこの“天国と地獄”。アメリカの作家、エド・マクベインの元祖警察小説、「87分署シリーズ」のうちの1作、「キングの身代金」を原作にしたものだ。黒澤映画と言えば時代劇を思い浮かべる方も多かろうが、これは昭和30年代の横浜を舞台にした現代劇である。
 三船敏郎演じる、横浜市は浅間台と呼ばれる高台に邸宅を構える、権藤金吾という名の男が前半の主人公だ。ナショナル・シューズという靴の製造販売会社の役員だが、品質重視の物づくりにこだわっており、品質を落としてでも価格で競合他社と勝負したいと考える他の経営陣と対立している。
 権藤は、自宅やその他の財産を全て抵当に入れて5000万円と言う大金を用意していた。これで、ナショナル・シューズの株式を購入して筆頭株主となり、自分を追い落とそうとするライバルや現社長を返り討ちにして、会社を手中に収めようとしているのだ。
 明日にも株の購入に取りかかろうとしていた折、電話のベルが鳴った。電話の声の主は若い男。権藤の息子の純を攫った、ついては3000万円を身代金として寄越せという脅迫電話だ。しかし誘拐されたはずの純がその場に現れ、いたずら電話であったか、と、権藤らは胸をなでおろす。
 安心したのもつかの間、権藤の運転手を務める青木の息子、進一の姿が見えないことが発覚する。犯人は純と進一を間違えて誘拐したのだ。しかも、それに気づいてなお、電話の主は3000万円を請求してくるのだった。
確かに進一は他人の子だ。しかし、自分の息子の純と間違えて攫われ、身の危険にさらされている。だが、進一を見捨てて5000万円で自社株を買い増ししなくては、自分より勝る比率の持ち株を持つライバルたちによって会社を追いだされ、社会的地位を失うことは明白だ。
 悩んだ末、権藤は用立てた金を、自らのためではなく、進一の身代金に充てることを決断する。そんな彼の振る舞いを意気に感じた刑事たちは、何が何でも進一を取り戻し、犯人を捕らえるべく、うだるような暑さの中、捜査を開始するのだった……。
 前半の舞台はほぼ権藤邸のみ。登場人物たちが交わす会話劇だ。権藤の置かれた社会的立場、家族構成、ナショナル・シューズに渦巻く権謀術数など、複雑な設定を自然に観客に飲みこませる脚本は実に見事だ。
物語の冒頭、会社の中での権力闘争に血道をあげる男として現れた権藤は、しかし、良心と保身の狭間で懊悩する。その姿は、黒澤映画の中で常に提起されるヒューマニズムとエゴイズムの相克をそのまま1人の人間に落とし込んだものだ。密室劇であるがゆえに、彼の苦悩は強調され、彼の選択の重たさがよりくっきりと浮かび上がる。
一転して、後半は舞台を戸外に求め、刑事たちが姿なき犯人を執念深く追い掛ける、正統派の刑事ドラマが展開して行く。高台に位置する権藤邸を見上げるような、じめじめとした低地として描かれる横浜市の浅間町付近。また、戦後の貧困からまだ立ち直れない、弱者のひしめく街、黄金町界隈。権藤の瀟洒な屋敷を「天国」とするならば、それと相反する「地獄」として描かれる下町。そこに暮らす人々の、金とも権力とも縁の無い、貧しい生活。前半と何もかもが余りに違う舞台を、これまた「迷う権藤」と対になるかのごとく「まっすぐに犯人を追う」、捜査部隊を率いる戸倉警部(仲代達也)をはじめとする刑事たち。彼らと、ここに至ってようやく姿を現した犯人との対決が、メインとして描かれる。前半と後半はまるで別の作品のような演出がなされているのに、全く違和感を覚えさせることなく一つの物語として成立している。この脚本の妙。本作が「名作」と称される理由のひとつであろう。
「名作」の根拠は役者たちにもある。黒澤映画と言えば三船敏郎と志村喬と言う黄金の組み合わせであろうが、本作で志村は一歩後ろに退き、脇役として出演している。代わりに登場するのが、仲代達也だ。この作品に先駆けること2作、“用心棒(’61)”“椿三十郎(’62)”で頭角を現したこの若い俳優は、本作を境に”影武者(’80)”や”乱(’85)”の主演を任され、後期の黒澤映画を牽引する存在となるのだが、この”天国と地獄”でもその力量を存分に発揮している。映画前半の主役である権藤から、後半はこの仲代演じる戸倉へと主役のバトンが渡って行くところ、三船敏郎の重厚な演技に決して負けぬ熱演を見せてくれているのである。
それともう一人、この映画を語る上で欠かせない俳優がいる。と言うより、本作を観終わったあとで真っ先に思い出されるのは、仲代達也ともう一人、彼であろう。滅多に脚本を変えないことで知られた黒澤明が、彼の演技が余りにも優れていたために脚本を変更したと言う。そんな、名演中の名演を拝むことが出来るのだ。筆者の個人的な名演技リストでも、”ゴッドファーザー”のアル・パチーノとトップを争っているこの演技。いつ、誰が、というのは述べないでおこう。誰が観てもそうと分かるほどのシーンなので、それを楽しみにご覧いただきたいと思う。きっと、「名作」が「名作」と呼ばれる所以を堪能できるはずだ。

 冒頭でも申し上げた通り、本コラムは今回をもって最終回となります。今までご紹介した作品が、皆さまの心に少しでも残るものであれば、これ以上の喜びはありません。本当にありがとうございました。

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