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自信喪失の後、「挑戦を諦めない」を確かにした

 丸一日あった研修のために帰宅後の昨晩はとても疲れ切ってしまい、思考をまとめるよりも休息を必要としていて、帰ってからは何かをする元気は全く無くなっていた。

深夜に一度目が覚めて余計なことを考えてしまう時間があり、今朝は目覚ましの音にも気づかず予定より1時間長く寝ていた。

けれど、朝起きても元気は充電されておらず、ずっと心が重いのを感じていた。食欲もあまりなく、朝食抜きで仕事に向かった。


研修の帰り

 実は、昨日の研修は朝から夕方までの長い時間、集中と緊張を維持していたため疲れていたというだけでなく、自分の仕事の未熟さを直視せざる得ない時間であったことで、心理的に追い詰められ自信を喪失していた。

帰りの電車の中では、この仕事を続けていってもいいものだろうかとまで考えていた。

(考えてみれば、私だけでなく、参加していた多くの同業者も未熟であるように感じたことも今は思い出す。)

とにかく、思考は迷走し、自分にとっての意味づけをしなければと感じながらも心のエネルギーが足りていない状態だった。


次の日の朝

 そういえば、そんなエネルギーの足りていない朝の状態でさえ、通勤のバスの中で、昨日の研修で得られた情報を検索し、いろいろと検討していたな。

たぶん、心がまだ追いついていなかったけれども、私の無意識は昨日の研修に何かしらの意味を見出し、次年度の仕事に対しての準備をすでにしていたようだ。


仕事の後

 今日の仕事を終え、帰りのバスの中で今度は仕事に必要な文献を検索し、購入の手続きを取った。実際に昨日の研修が想定する新しい職域で次年度仕事が与えられるかはわからない。けれど明らかな知識不足を感じているなら、解決するには補うしかない。

 思考よりも前に、体が無意識にそういった動きをしていたために、少しずつ心も安定してきた。落ち着くべき場所を思考より体が知っていたということになる。


誰でも初めは未熟なものだ。求められる合格ラインは得られるよう、常に必要な準備はしておくべきだ。でもそれ以上は経験を積み、熟練度が増せば、徐々に結果につながっていくだろう。でもそれは今じゃない。

今は、努力をし続けよう。
自信を失いそうになっても仕方ない。
その自信が虚構であっただけであり、自分に謙虚さが足りなかったことを教えてもらえた分ありがたいと思えれば私は大丈夫だ。


1日経って、ようやく気持ちが前向きになってきた。
研修の後は、この仕事に応募しようか一瞬迷ったが、今は必要な挑戦だと思える。
この仕事をすることで得られるメリットは研修を申し込んだ当初から変わらない。この仕事を得られれば、自分の経験を底上げすることは確かだ。

実際にその仕事が得られるかはまだわからない。選考があるから。
けれど、一旦自信を失ってから、再度応募しようと思えたことでなんだか吹っ切れた。

昨日から心臓のことを気にする暇もなかった。
その方が私らしい。

もっと学んで成長したい。
このまま自信のなさを誤魔化して生きるのは嫌だから。


健康でいられた今日をありがとう。
自信を失っても自分で道を決められた
これまでの全てにありがとう。

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