BFC5備忘録

 顧みる/省みるのが下手くそだと思う。私はどちらかと言えばあれこれ考えすぎる質で、考えすぎるゆえに決断を鈍らせてしまったり詮無いことで懊悩おうのうしてしまったりすることが多い。特に過去についてのこと、後悔が多い。そのくせ過去に対する反省や内省を文章化するのが下手くそで——苦手と言うよりは下手で——そのことを自覚して以来は日記やこうした備忘録をなかなか書くことができないでいる。
 とはいえ、下手だの苦手だのと言って避けているといつになっても改善されないし、なによりいまBFC5(ブンゲイファイトクラブ5)が転機になりそうな気がするので、このイベントを機に書いた二つの作品を軸にして振り返りをしておきたい。

BFC5参戦まで

 BFC5への参戦を決めたのは、締切が迫り始めた10月初頭のことだった。この時の私は若干焦りを抱いており、短期的な目標を求めていた。換言すれば「すぐ出せてすぐ結果が出る公募(広義)」を探していたのである。そんな都合のいい話があるわけが……いやあった。時期的にBFCの要項は私の求めと合致していた。
 しかし、出せるだろうか。自分の作風とは全く合わない公募に出して、場違いな思いをするだけではないだろうか。そんな懸念を抱きつつも、応募要項を熟読していると主催者の名前に目が止まった。西崎憲さん……あ、もしかして……。私は記憶を頼りに本棚から『八本脚の蝶』を取り出すと、そこに西崎さんの寄稿文があることを認めた。『八本脚の蝶』は夭折された編集者/レビュアー・二階堂奥歯さんの日記を書籍化したもので、刊行当時に親交があった松本楽志さんの紹介で手に取った本だった。その後、体を壊して心身共に一番苦しかった時期に良く手に取って拾い読みを繰り返したので、ちょっとした思い入れがある。勝手な言い草だが、なんとなく縁を感じた。
 そうして、西崎さんの寄稿文を読んでいるうちにこう思ったのである。今回BFC5では西崎さんが予選選出を担当し、寄せられた作品を全て読むという。ここは一つ胸を借りるつもりで出してみてはどうだろうか? またしてもそんな勝手な希望を抱いて、BFC5への参戦を決めたのだった。


面影は消えない

 BFC5の選考基準は「簡単には忘れないもの」である。ならば、作品内でも「簡単には忘れられないもの」を描こう、と思った。
 最初は夭折した知り合いの作家さんのことを書こうとした。あまり親しくはなかったのだが、出会いも別れも衝撃的で、自分にとっては忘れられないことだ。この体験をベースにして架空の話に組み直してみようと思ったのだが、プロットと試し書きの段階で断念した。死者に対する遠慮と言うよりも、自分自身のことを書かなければならないのが嫌だったのである。つねづね作品と作者はなるべく切り離したい、あるいは作品に自己投影をしたくない、と考えているため、格好を付けた言い方をすれば信条に沿わないと再確認して断念したのだった。
 ただ、この時点で作った「春水はるみ朔夜さくや」という名前だけが残って本編で採用している。
 この作品については記事を設けて書いたとおり、「自分を変えたきっかけ」と「変わりゆくものの中で変わらぬもの」という二つが物語の核である。
 スケジュールについて。これまでは必ず締切前に1日のマージンを取るようにしてきたのだが、(筆の進みという意味での)不調の影響が思ったよりも大きく提出原稿の完成が締切当日になってしまった。その結果、提出時に不備と取られかねないミスを犯してしまい「大目に見てもらえるだろうか(一瞥して跳ねずに読んで貰えるかだろうか)」「全力を発揮できたと思ったらそれ以前の問題だった」などと懊悩する羽目になった。


BFC5落選展

 落選展の有無にかかわらず、自作は公開するつもりでいた。ただし、pixiv小説で。なぜpixivかというとnoteはほぼ放置状態で、pixivで公開すればFANBOXで取り上げやすくなるからだ。それから、10月にpixiv小説編集部に『春の風とはじまりの音』をおすすめ作品として取り上げてもらったこともあり、作品を追加していきたいと思っていたからでもある。
 ところが予想よりもはるかに早く落選展がはじまって、主な舞台はやはりnoteであったために予定を変更してまずnoteで公開することにした。郷に入っては郷に従え、というわけだ。そういう類の話でもあるし。
 BFC5落選展は落選展まとめページができるよりも早く、主催の西崎さんが落選作品について短評をポストするといったサプライズがあった。嬉しい誤算である。その嬉しさからか落ち込むよりもまず他の落選作品を読んでみよう、という気持ちが湧いた。せっかくBFC5に参戦したのだから、「落ちた。終わり!」ではなく少し積極的に関わってみようと思ったのである。ポジティブな感想を抱いた作品には、140文字に収まる程度の感想文を書いて投稿することもしてみた。
 読めたのは50作品ほどだが、驚いたのは予想よりもはるかにレベルが高かったことだった。まず読めない(読めたものではない)作品がない。読みにくい作品はあったけれど、それは作者が意図的に読みにくくしたであろうことはわかった。いらだちや不快感を抱く作品もあったが、これも作者の狙いであることはわかった。西崎さん曰く「箸にも棒にもかからないものは一作もなかった」そうだが、これは忖度なしにうなずける。気に入る気に入らない、好み好みじゃない、相容れる相容れないはあるけれども。
 『面影は消えない』にもいくつか感想をいただいて、おおむね狙い通りに書けているらしいというフィードバックが得られたのは大きい。ただ、落選と結果が出ている作品がここまで注目してされる——中には全作読んで全作感想を書く猛者もいる——部分には引っかかりを覚えていて、私の意地の悪い部分が「落ちても落選展があるから出そう、と後ろ向きな考えで書いていた作者もいるのではないか」と勘ぐりをしはじめ、それは自分にも言えるのではないかという問いが立ってしまった。


ブンゲイ闇バトル

 落選展と並行して、伊藤なむあひさんが提唱するブンゲイ闇バトルを行った。これはBFC参戦者同士がDMで作品と感想を交換し合う、という試みである。ここでは、非常に有意義だった、BFCというイベントがどういう場なのかをとらえるのにとても役だった、とだけ書いておくことにする。


二人の落選展

 落選作品は余程のことがない限り落選作品のままである。今年に入ってから公募に出して落選した作品は、pixivやカクヨムなどでその背景を記した上で公開するようにしてきた。公開することで、自分が過去に拘泥せずにいられるのではないかと思ったからだ。
 落選作品を公開する意図を端的にまとめるとこう。

 ……だったのだが、思いのほか『面影は消えない』に対して好評を寄せられて「落ちたのに落ちた気がしない」という奇妙な心地になっていた。これはよくない。落ち込むより良いかもしれないが、現実を歪めてとらえるのは非常に良くない。なによりこの時、和己とチュンシュイに愛着が湧いてしまってこの二人の物語をまた書きたい、と思うようになってしまっていた。一回きりのキャラクターとして作ったはずなのに……。
 これは私の悪癖で今回に始まったことではない。そこで、作中でも和己が抱える悩みとして吐露させることにした。

「書けないんだ。最近ずっと」
 ぽつぽつと和己は話し始めた。細かいところはチュンシュイの理解の及ばないところだったが、引っかかったのは「過去の自作に引っ張られる」というくだりだった。新しい話を考えようとしても、出てくるのは過去に書いた話の派生形ばかりになってしまう。
「もう〝落選〟って結果が出ているのに、他の可能性があったかもしれない……そんな風に考えちゃうの」
「悪いことじゃないと思うけど」
「それで書ければね」

   『二人の落選展』より。

 それで書ければ問題ないのだが、それで書けないから問題なのである。よくよく内省してその原因を探ってみると、BFCに関してはもともと原稿用紙六枚の作品を二つ書くつもりでいたからではなかろうか、と思い当たった。
 書くしかない。
 書いて踏ん切りを付けるしかない。
 そう決めると、テーマは「落選作品」ということになる。最初は視点を『面影は消えない』と同じ和己に置いていたのだが、少し突き放して書きたかったのでチュンシュイにした上で三人称を採用した。
 ところで、BFC落選作品というテーマはすでにサクラクロニクルさんが『未来を燃やす夜』『渡り鳥』『ザクになる勇気』(これは少し違うが)、『鳥よあなたのもとへ』といった作品を書いている。そのことを私は知っているので、あらためて上記4作を読み直した。読み直してみて、「落選作品」に対する態度や「過去に踏ん切りを付ける」やり方が大分違う……違う書き方になるな、と確認した上で『二人の落選展』を書いた。
 作中で落選展に至る過程がやや駆け足なのだが、これは紙幅の都合と言うよりも私自身が落選展の扱いはそのくらい軽い方がいい、と捉えているからである。
 この作品を書いたことで、和己とチュンシュイをもっと描きたいという未練は断てたのだが、まだ他の話が書けそうな気もしている。期せずしてアイデアストックが作れそう。


以下補足

佐野和己
21歳の大学生(出会った頃)。筆名は秋坂和己。「本名が普通すぎる気がしたので少し作家っぽい名前にしようと思った」という和己の思考は、筆名から考えた私の思考を逆転させたもの。
 内気で控えめな性格をしているが、可愛いものが好きで「可愛いから着てみたい。大学の斡旋でお堅い仕事だし」と思ってコンパニオンガールのバイトを受ける無鉄砲さがある。なお、ここで言う可愛いは和己の基準。
 前髪が長めで、いつも表情を隠しがちだったが、チュンシュイにヘアピンをつけてもらったこと(とその時かけてくれたひと言)をきっかけに拓けた視界で生きていこう、と決める。
 それが、メカクレガールになってしまったのはサクロさんの感想からのフィードバック。蒼桐はそこまで考えていなかった。指摘されて「ああ、メカクレってことになるのか」と思ったくらい。
 父親とは反りが合わないと感じているが、この年齢にありがちなすれ違いなので、もし状況を改善したいと思うなら必要なのは対話である。そういう家庭環境。
 愛用しているキーボードはRealforce。しかもテンキー付きのフルキーボード。和己の趣味を考えるとHHKBだったのだが、不釣り合いさを強調するためにリアフォにした。なんでこの機体を持っているかで一作書けそうな気もするが、需要が行方不明なので自重している。

ヤン春水チュンシュイ
 21歳の大学生・留学生(出会った頃)。筆名は春水はるみ朔夜さくや。前述の通り筆名から生まれたキャラなのだが、一応設定としては「本名を織り交ぜつつ、日本人っぽい名前にしてみたかった」という理由でこうなった。朔の一字は萩原朔太郎から取っている。
 元気で我の強い上海出身のポジティブガール。「我の強い上海人」というのは昔上海出身の女の子がそう口にしていたことに起因している。和己に対して甘々ではあるものの、基本的には利己的で自身の利益を考えた上で行動し、また相手もそうであろうと考えている。
 早々にバレると思ったのだが、『ARMORED CORE Ⅵ』のネットミームである大豊娘々を見て思いついてしまったキャラクターである。なお、私はPCのスペックが足りていなくてAC6をプレイできていない。
 人物造形という意味では、『月のテネメント(塀/講談社)』に登場するフィンランドからの留学生・マルニの影響が強い。それを自覚しているためなんとか離れようと試行錯誤したものの、「日本に来てからの変化」を取り上げたとき同じ言葉「私は私だよ」に至ってしまった。興味を持たれた方は一読されたし。同じく、塀作品では『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』にジンランという台湾からの留学生がおり、カルチャーショックや自己主張の仕方は参考にしている。チュンシュイの表記が漢字+ルビではなくカタカナとしているのは、塀作品に準拠したため(読みやすい)。また、他の作品からの影響というなら、『Christmas Tina-泡沫冬景-』とそのDLC『桜色零落』と『景色蕭然』も挙げておく。
 真面目な話もしておくと、大学図書館に勤めていた頃に中国人留学生と接する機会があったので、過去の記憶をひっぱり出して書いている部分はある。この他、最近もイベントなどで話す機会があったので記憶が風化しないうちに、そこで感じたニュアンスを落とし込んでいる。

投稿サイト
 pixivのこと。多言語展開しているためチュンシュイが見やすいということもあるが、和己がおじけづいて小説メインの投稿サイトを避けたからでもある。

おわりに

 BFC5の最終結果は26日に出るのだけど、この週末はキャンプへ行く予定を入れてしまったので、あんまり反応できないか、当日の様子を後から追うのどちらかになりそうである。
 ひとまず私のBFC5はここでひと区切りとしたいのだが、どうもそうはいかないらしいことが発覚したのでまたなにか付け足すかもしれない。
 とりあえず、自然に触れてリセットしてこようと思う。
 それから考える。

ご支援よろしくお願いします。