【ネタバレ】蓄音器が教えてくれた【黒井戸殺し感想】

Girl of my dreams I love you, honest I do,
You are so sweet,
If I could just hold your charms again in my arms,
Then life would be complete!
(Perry Como/Girl of my dream)

気が付けば視聴からかなりの日にちが経ちました、黒井戸殺し。

すごい、今更感溢れますが、書いてみよう、そうしよう。

三谷幸喜が描く、アガサ・クリスティの世界。

前作のオリエンタル急行殺人事件でも非常に情感の溢れる仕上がりになっていて、この人は本当に人間が好きなんだなぁ、なんて感想を持ったのですが、今回もまさしく。

出演陣のコミカルな演技、間は僕が好きな、フッとニヤッとしてしまう様なリラックスした映像の雰囲気がそう思わせたのかと思っています。


まずは、原作の紹介から。

そのトリックから「映像化困難」と評された作品として有名です。

ネタバレ記事なので憚る事無く書いてしまいますけど、叙述トリックを軸に描かれたミステリー。

発表当時は物議を醸した事でも知られています。

境界条件を整理しながら読めばある程度の所で分かるお話ですが、それも叙述トリックが世に溢れている現在だからこそ。

まぁ、CMの段階で映像化困難と大々的に書かれているので勘の良い方なら原作はそうなんだろうなぁ、なんて思うのではないかと今となっては思います。

因みに、僕は勘の悪い方でしたwww


・・・与太話は置いといて。


今回、本作の制作発表を知ってから放送まで期間があったので原作を読んでからの視聴を選んだ訳ですが、正解だったように思います。

それも、公式ページで三谷幸喜さんが「脚本家としては、犯人以外の人物にもきちんと人生やドラマがあって、意味のある登場人物でなければいけない。」と語っている通り、黒井戸殺しではそれなりに改編が行われている事が大きな要因。

トリック自体の骨子は変えず、関係人物の内面を掘り下げる事によって物語としてしっかり重量を持たせた黒井戸殺しを観てからではアクロイド殺しに対する向き合い方が大きく変わります。

だって、原作を後追いする時にはトリックも犯人も分かってて、それでもって人物描写の重さが軽く感じてしまいますから。

原作は叙述トリックとして、一人称を中心とした文体となっており、かつその中にも仕掛けが施されています。

つまり、情報量が絞られた状況を強いられる作品である事、これが映像作品との比較において非常に不利な所であると思うからです。

あれ?これってもしかして勝ちゲー?

約束された勝利の物語?

いやいや、そこにはしっかり三谷幸喜さんの脚本、そして改編の勝利であると声を大にして言いたい。


それを踏まえて。

本作品の視聴を終えた時に、いや、正確に言うとEDテーマが流れた時、非常に綺麗な終わり方であった、と思ったのです。

その理由としてこの物語の所々で聞く事が出来た曲「Girl of my dream」を挙げることが出来ます。

これは、大泉洋演じる犯人のバックボーンの改編にもリンクする、名選曲であります。

アクロイド殺し、黒井戸殺しの両作品において犯人は多額のお金を必要としていました。

アクロイド殺しでは投資の損失、そして黒井戸殺しでは姉の治療費。

しかし、その比較において明確。

家族愛というものを一つ挟むことによって、時代設定とその情景、そして犯人の心情を表すとても便利なアイテムとして変貌を遂げるのです。

まぁ、安直に家族愛とか持ち出したり、露骨にチラチラされるのは個人的に大変しらけるので好きではないのですが、本作においては杞憂。

そもそも、作中では姉に対してそれほど好感を持った演技ではなく、どちらかというと姉の行動に辟易している様にも見えます。

劇中、斉藤由貴さんの演技もそれを大いに助けている訳で、途中までは、ちょっと抜けた、迷惑な家族の行動として描かれていました。

そのギャップが、犯人の真意を隠す効果があった事は確かではないかなぁ、と。

この改編により、アクロイド殺しでは犯人に対して同情する事も出来ず、なんとも憤慨やるせない気持ちになる動機から、人間の複雑さを描く意味でエンターテイメントとして記憶に残る作品へと生まれ変わらせる事が出来たのかな、とエンディングを迎えた時にピキーンとなったわけです。

そして、なによりこの曲が劇中で流れたシーンを思い出すと、なおさらこの曲が果たした役割が非常に大きなものであった事に気付くのです。
犯人が事を成したのちに、協力者からの電話を待っていた、その時。
ソファーに背中を預け、その時を待つ犯人。
そのシーンでこの曲が流れるのです。

「正直に言おう、可愛い人。その素敵な可愛さを、またこの腕に抱く事が出来たのなら、僕は死んでも良い(意訳)」

そんな歌詞を、犯人はどんな思いで聞いていたのでしょう。

日常を描くシーンでは描かれる事の無かった姉への愛。
その胸の内に秘めた感情、犯行への動機となる、控えめな表現。
それがこの曲で示唆されているのです。

この、心情、動機、物語の根幹を構成する要素を実に上手に隠しながら、全ての判明を契機に一気に流れ込む。
ミステリ作品におけるカタルシスを実に映像化作品として表現してくれたのかなぁ、と思うのです。
その情報量の絞り方、調整はミステリとして成立させる為に大変必要な技能ですし、そこは三谷幸喜の真骨頂と言えるものだったのでは、と思います。

そして蛇足ですが、全てが終わった後の須黒の表情もまた、とても素敵でした。
ただの勧善懲悪ではなく、しかして苦渋の表情で以て胸の内に押し留める。
それもまた、三谷幸喜さんがちゃんと宣言した通り、徹頭徹尾、アクロイド殺しに向き合って映像化された事の証左ではないかなぁ、と思い、視聴前のワクワクが裏切られる事なく昇華させてもらった気分でした。

と、言うわけで、三谷幸喜さんにはもっとポワロシリーズを描いて頂いて、自分を沼に嵌め込んで頂きたいと期待しながら、締めとしたいなぁ、と思います。

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