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野球場には夢が落ちている その1

お久しぶりです。仕事が忙しくて中々書く時間も無く、球場での観戦もままならない日々だったのですが久々に都合を付けて行く事が出来ました。2022年9月3日に伊勢崎市野球場で行われた新潟アルビレックスBCー群馬ダイヤモンドペガサス戦です。
以降の日程ではプレーオフの都合を付けられる日常生活の余裕が無く、勝ち上がってもグランドチャンピオンシップは熊本県での開催なので行く事は難しく、事実上この試合が今年の試合観戦の最終戦となりました。

そもそも伊勢崎の球場に行くのが久しぶりです。この試合は7イニング制のダブルヘッダーとなったのですが、そもそも自分が以前伊勢崎の野球場でBCリーグの試合を観たのは2014年が最後と記憶しています。約8年ぶりですね。伊勢崎は高崎に比べるともう一つ遠いので、中々足を運ぶ機会がありませんでした。くしくも当時の伊勢崎の試合もダブルヘッダーでした(対信濃グランセローズでした)。なんという偶然…

今回は2022年の総まとめになりますので、連載で長い話をします。よければお付き合い下さい。

・試合結果
結果は群馬の二連敗でいよいよ後が無い感じになりましたが、これは勝負の結果なので勝つことがあれば負けることもあるだろう、という程度です。
開幕前からどの球団も優勝したいというものですが、実際なれるチームは一つだけです。じゃあ負けたチームに存在意義はないのか?というと違うわけで…そういう点で相手を認めながら試合の結果を受け入れていくスタンスでこの問題を解決しています。そりゃ勝てた方がいいですが、現実は勝負には勝者と敗者がいるので贅沢言ってもしょうがない、という感じです。

・独立リーグ優勝とはなんだろうか?
そもそも独立リーグでの優勝は、価値観をどういう風に置くか、によって感じ方が変わってきます。ただ現実的な視点を述べると、来年になればまたリセットされて選手が入れ替わって一からやり直しです。試合に付加価値を付けられない限りは消費期限が短く、一過性で来年に行ってしまうのだろうと思います。ましてやこのコロナ禍なので何を優勝の大義にするか?も中々難しいです。勝敗だけでいいというならそれは独立リーグである必要が無い、独立リーグは割に合わない…それこそクラブとかでやっても同じですし、アマカテゴリでもいいのでは?という話になってきます。

競い合う中で何を付加できるのか?が独立リーグというプロカテゴリの最大のテーマである、と言うことに数年前に気付いていました。

・自分の立場の話
ここで少し話を変えて自分の話になりますが、さすがに駆け出しから八年も経つと将来の事を考えていかないといけません。二十代の若い頃は気軽に行ってという事も特に問題なく出来たものですが、三十代の半ばにもなってくると自分の人生も道を作っていかなければならなくなります。野球のために何もかも犠牲にする訳にはいかないのです。

これはBCリーグにいたから気付けた事なのですが、応援していた選手がみんな退団した後に新しい世界に臆すること無く飛び込んでいく中で、自分は彼等を称えながらも「じゃあお前はどうなんだ?」と自問すると、言葉に詰まってしまう事が何度かありました。
自分は果たして、彼等のように立場を変える努力をしているのだろうか?
野球から離れるという大きな決断をした先の世界で、厳しい現実の中で変わろうと懸命に努力している多くの元選手達。その一方で、ファンはそのままスタンドで同じ年月を過ごしているのは矛盾していないだろうか?
リーグの試合観戦をしながらこの疑問が段々と大きくなっていきました。

結局自分たちスタンドの方々にも「いつまでもこのリーグにいてはいけないよ」と言われているような気がするのです。選手や監督コーチ、スタッフと同じというか、同じ人間である以上、というのもあるでしょうか。

そんな中で自分の私生活でも色々ありました。まず祖父母が亡くなりました。後悔無く見送ることは出来たのですが、家族の中で自分に課された立場がより大きくなるような責任を感じました。更に親交のあった従兄弟の方も亡くなってしまい、妹も結婚して市外に出たこともあり、地元の市内において家系の若い人では自分が主体に動く未来が容易に想像できました。
そこから自分も変わる努力をしておりまして、社内で面倒な仕事から逃げがちだったのですが腹を決めて色々やるようになりました。地域の行事や地域の問題にも積極的に関わるようにして、八年前に比べれば少しは変われたと言えると思います。覚悟を後押ししてくれたのは間違いなくリーグで関わってくれた多くの方達です。

・BCリーグのスタンドの未来は…
しかし地域で公私の関わりを大きくすると言うことは野球場での観戦に余裕が割けなくなる、ということでもあります。
高崎市城南野球場は比較的近くて車でも行きやすいのですが、そこに行ける回数もかなり減ってきました。2014年頃は10試合くらいは行っていたと思いますが、今年は3~4試合がせいぜいです。これは自分の立場が上がってしまったから、というのもありますが、複雑な心境です。でも自分も変わらなければならない…
こういう風にスタンドにいる方々も不変ではなく、他球団含めてやがては多くのファンも人生の選択を迫られる時に来ると思いますし、今主体的に動いている方々もいつまで球場にいるか分からんのです。自分も正直なことを言えば、ある程度は群馬ダイヤモンドペガサスの関連アカウントとして認知はしてもらえているのかな、と思いますが、これもいつまで続くか分かりません。少なくとも、自分がリードする時代はそう長くないと思います。

既存の方々が様々な事情で球場にいられなくなった後に何が残るのか?自分たちは何を残し、何を託す事が出来るのだろうか?
コミュニティの中で毎年元気な様子を確認し合う中で、こういう事もぼんやりと考えていました。群馬でも団長や副団長がいなくなったら?会長が倒れてしまったら?その後には何があるのだろうか?といった感じに…
恐らくこれは興行的な話に例えれば、固定客がいなくなった後の未来、という問題にあたると思います。新規に開拓していないと勝っても勝っても細っていく一方…特に群馬は勝ち続けてきた中で客が増えない現実をよく見てきたから自分もそういう未来を案じたのだと思います。

・勝利主義からの脱却
時代に応じて自分の考えも少しずつ変わっていますが、駆け出しでは勝つことというよりは独立リーグで出来ていることを学んでいったような気がします。その頃はリーグでも先輩の方が沢山いましたし、自分はまだ足を踏み入れたばかりだったのでそこまで物言える立場でも無かったですし、とりあえずは自分で学ぼうと…。
で、その後は勝ち方の追求に変わっていきます。勝敗があるにしても互いに下手な試合はしてはいけない、というものですね。当時は17対13みたいな野球にならん様な試合も何度かあり、会長さんが頭を下げている光景が記憶に残っています。

そんな中で2020年にコロナ禍が直撃したことが自分の考えを大きく変えていくことになります。
開幕せず試合が無い日々は地獄そのもので、ただ働いて食べて寝るだけ…こんな毎日に何の価値があるのか?湯治すらできなかったので、身体が休まるはずが休まらない、という余計に苦痛を感じる日々でした。それだけにホーム最終戦で城南のスタンドに行けた時は感無量でした。階段を上ってグラウンドが見えたときは人目を憚らず号泣したものです。
この事実から自分は野球観戦の動機として何を主体にしていたか?というのが見えてきました。勝敗だけならシーズンをとっくに諦めていたはずで、そこまでして球場に行きたいとも思えなかったはずです。じゃあなんで信濃と大差がついてもう逆転も不可能なのに球場に行こうとしたのか?と考えて、勝敗以外に多くの理由がある事に気付きました。スタンドでの人間関係、球団の方々との関係、そこに野球がある事…
思い返せば、行けない日々における苦痛も、関わりのある方々が苦しんでいるのに力になれない悔しさと情けなさと申し訳なさからくるものでした。
勝敗なんてのは結果であり、自分が取り戻したいのは「日常」だった…
これに気付いてから、今までの群馬の在り方ではいけないと改めて思い、今年は勝利主義からの脱却を個人的テーマに掲げて活動していました。

自分がいよいよ主体に動く立場になってきた、というのもあるのですが、この考え方を人に話すと変わり者と言われます。群馬にいながらそれ掲げるのか、と何度か言われました。が、自分はこれを実現した先にもう一つ成熟した未来が待っていると信じてやっています。すぐに結果は出ないと思いますが、やがては言っていることの意味が分かる時がくると思います。その頃に自分がスタンドにいるかは分かりませんが…

今日はここまでにします。二回目では9月3日の伊勢崎市野球場で何が落ちていて、何を拾ったのか?について話していこうと思います。

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