シャニマス・ベストアンビエントコミュ
はじめに
コミュを読んだあと、余韻を引きずりながら感想を食い漁る時間。
シャニマスオタクのプライム・タイムと呼んで然るべきその時間に、私は毎回思うことがある。
「俺、なんにもわかってね~~~」と。
聡明な方々がやれ文学やら、やれ哲学やら引っ張り出しながら述懐を優雅に絡繰る間、私は「間!単館映画みたいな間がある!わ~”シャニマス”やね」などと方便を垂れ、その実彼(女)らが語る思想の一切を理解せぬまま、他人の解釈を蓑に着て解ってるフリをするのが関の山なのである。
「#シャニマス感想コンテスト」の催しを目にしたときに、私は言わしれぬ劣等感に駆られた。外ならぬ公式が、述べてくださいね、とおっしゃられたときに、私にはかのゲームに対して付け焼刃の感性を振り回すほかに術がないことを改めて思い知らされたからだ。
なのでもう、それを書きます。
「よくわかんないけど、なんとなく雰囲気が好きなコミュ」の話をします。
シャニマス・ベストアンビエントコミュ。物は言いようというやつです。
【雨情】樋口円香
正直、このカードのためにこれを書いていると言っても過言ではない。
このカードのサポートコミュには、全編を通して立ち絵もBGMも使用されない。『雨情』の名が示す通り、はじめから終わりまでべっとりとした6月のアトモスフィアに覆われている。
風邪でなくなった持久走、埒のあかない雨宿り、でっかいでっかいひなまど要素、俺はこの限定カードを持っていて本当によかった!間違いなく、このゲームで一番好きなサポートコミュ。
私はノクチルの『天塵』、とくに報酬サポコミュの『乾かす』を喰らって以来このゲームに引きずり込まれていったから、ノクチルが無為にたむろっている時間が大好きなんです。【雨情】にはそれがあり、言ってしまえば、それしかない。思わせぶりな思い出話を除けば。
四人の歩みが滞ったとき、最後の首の皮を切るのは樋口円香である、という事実が、会話のさなかに浮かび上がってくる構成も見事である。実在感という言葉はこのゲームを形容するためにぼろ布になるまで使い古されたが、真にシャニマスがそのギラつきを発揮する時、それはこのようなキャラクターたちの底面の時間を描いているときであると思う。
ベストコミュとは言うまいが、自分を徹底的に静の側へ追い込んだときに、最後に選ぶのはこのコミュである気がしている。
【泣けよ洗濯機】七草にちか
まず、絵がよい。実装当初、ことあるごとにこの絵を眺めていて、それはこのカードのフェスアイドルの絵がめちゃかわいいと気づくまで続いた。
彼女のすべてとは言うまいが、このコミュは七草にちかと彼女の”全部があったころ”を理解するための重要なファクターであったことは言うまでもなく、七草にちかと、その父親と、プロデューサーという人間の関係について大きく解釈を深めることにつながったコミュでもある。
を、差し引いても、このコミュは素晴らしい始まり方をする。洗濯機だ。洗濯機が回る、ぐおーっ、ぐおーっというあの音だ。休日の(きっと昼下がりだ)澱んだような、しかし確かに急流である時間にいて、目の前に積みあがった生活に似つかない離人感を、人工渦巻の唸り声が等間隔に裏付けている。
七草にちかが帰り道ばかりを見つめていた間、プロデューサーのいやに非介入的な姿勢はたびたび批判を受けていたように思うのだけれど、その慎重な、慎重な歩み寄りがいかに美しいものであったか。【↓ろウTea】の背中とか、【とキどき間氷期】のハロウィンとか、すごいもん、もう。
登場当初に背負った鳴物のせいでやたらとインターネットから心無い言葉ばかり浴びせられた七草にちかさんが、あちらでも、こちらでも、たくさんの人に愛されるアイドルになったという事実は本当に感慨深い。私ははじめからずっと七草にちかさんという人間に魅入られていたし、シャニマスが語り続ける理解の尊さを身をもって証明するひとであるからだ。
ぜんぜん話の話をしてしまった。それくらい好きなカードです。
【琴・禽・空・華】幽谷霧子
このゲームを始めた当初はやっぱりストレイライトが大好きな人間であったので、黛冬優子の【×トリック/〇____】が欲しくて、ついでにこのカードを引いた。コミュを読んだのはそのだいぶあとであったように思う。アンティーカは人が多くて怖かったから。
この文章を書くに際して、改めてこのカードのコミュを見直したが、幽谷霧子の小宇宙的感性への理解はやはり遠く及ばなかった。プロデューサーと交わされる探りと需要を湛えた会話は、歩き出した理不尽からの逃避行のようにも思える。幽谷霧子の話はわからなくて、わからないことがうれしい。
このコミュにも例のごとく、BGMがほとんどない。私はシャニマスのBGMが大好きだが、無音の力を確実に理解しているからこそ好きだ。このカードは特に、その画にピアノが写されている通り、「音」が重要であるからこその英断であると思う。
シャニマスのガシャアニメーションは言うまでもなく評価されているが、このカードのものはとりわけ美しく、かつコミュの雰囲気から浮かずシームレスに落とし込まれている。幽谷霧子が音を鳴らし、音を語り、そこで初めて音楽が流れる。こんなに美しいアニメーションなのに、その美しさは何者も讃えることがない。
『ワールプールフールガールズ』予告動画
コミュじゃないけど、どうしても言及したい。この予告動画は良すぎる。
無伴奏チェロ組曲 第一番、を、鍵盤ハーモニカで弾いて、それをイベントの予告動画に使おうと言い出したやつは、ローファイとノスタルジーのなんたるかを完ぺきに理解している。
とびぐるまを忍ばせ過去をめぐるノクチルの回遊と、過去と時間がたしかにつなぎ留められなかったものを語るイベントコミュの内容も素晴らしかったが、その冒険譚への導きとして素晴らしく出来がいい。私はあらゆる予告を愛していて、それが内容を語らなければ語らないほど喜びが増す。
なんというか、気張りや衒いがないのだ。褒めちぎっておいてなんだが、作成の担当者が「こんなもんだろ」と思って作っていても納得する。だってこれはソーシャルゲームの、月一で開催されるイベントの予告動画だから、そこにいくつもの制約が生まれることは想像にたやすい。
片手間に生まれる美学と、制約に思いを馳せることをローファイとしたとき、その記録には「ソーシャルゲームのイベント予告」としてこの予告に棚を空けたい。それは「ソシャゲにしては」という卑屈な評価ではなくて、余計のなかにはたと生まれた異端児を祝うためである。
おわりに
これを書こうと思いついたのが5/9の18時で、noteのコンテスト締切がその日の24時であるから、本当に突貫工事でこの文章を書いた。
アイマスやソシャゲはおろか、アニメアニメしたものを全体的に信用せず育ってきたので、いまだに『天塵』に受けた衝撃が手のひらにのこっていて、萌え萌えゲームの萌え萌えキャラクターでこんなにたくさん変なことをしてくれる作品があるということがうれしい。俺はあの手この手で情緒をやる作品が好きで、かつ萌え萌えキャラクターが好きだからだ。
贔屓目を逃れることを逃れることはもうできないが、シャニマスのやっていることはずっと変だ。なぜ美少女ゲームで46歳の中年男性に感情移入しなくてはいけないのか。もっと変なことをしてほしい。もっとBGMを増やしてほしい。あと、普通にBGMのサントラ第二弾を出してほしい。
俺はもう、シャニマスが撒くパン粉に群がる鳩でしかいられないのだから、もっといろんなところで撒いていってくださいね。ジャングルジムのてっぺんでも、魚群を探知する船の上でも、なるべく着いていきますからね。