バトルフィールドとかいうゲーム

私が初めてマルチプレイのゲームに手を出したのは、確か中学生の時だ。ちょうどニコニコ動画を見出した頃で、「ゆっくり実況」にめちゃくちゃハマっていた。そのゆっくり実況の中でも特に好きだった動画でプレイしていたゲームが、「バトルフィールド3(BF3)」だった。
タグ検索から辿って見たシングルプレイのトレイラー、その臨場感に衝撃を受けて、興味は一気に最高潮に達した。当時の我が家にはハイエンドなゲームが動くほどハイスペックなPCも、ましてや私にそれを買うだけのお小遣いなどある訳もなく、劣化版なのを承知で、PS3版を購入した。「ラチェット&クランク」をプレイして以来家族のトルネ専用機と化していたPS3が、初めて天恵に思えた時だった。

ゲーム業界は進化を続けている。グラフィックは見違えるように綺麗になったし、そのゲーム性は更に増して奥深くなった。それを「e-Sports」と呼んで、大会まで開かれるほどに。
無論それはいいことなのだけれど、なんでかついて行けない自分がいる。「ゲームが下手だからだろう」「向上心が低いからだ」と言う人もいるかもしれないし、実際それは間違ってない。それもあるのだけれど、一番の理由はソロでランダムなプレイヤーとマッチする”野良”の肩身が、だんだんと狭くなってきたからだ。
友人とやるゲームは楽しい。フレンドリストに見向きもせず、筋金入りの野良プレイヤーを貫いていた私も、一年前にSNSを始めて、そこで知り合った人とゲームをして、それを痛感した。というか、元よりマルチプレイのゲームとはそういうものだった。友達の家に集まってやるスマブラとか、モンハンとか、もっとアナログならUNOとかトランプとか。当たり前のことだったのだ。
最近のe-Sportsを掲げるゲームのほとんど(DCGや、格闘ゲームを除いて)や、奇抜なアイデアを打ち出すインディーズゲームも、”フレンドとのプレイ”を重視して作成されていることが多い。そういうゲームにおいて、マッチメイクで集まった寄せ集めチームよりも、気心知れた相手と会話で連携を取る方が、容易に勝利を勝ち取れる上に、ストレスを感じることもない。
だが私は一身上の都合で、ボイスチャットを用いての会話があまりできない。そういう”連携”を取ることも難しいし、みんなが会話する中で、一人だけじっと黙ったままなのは、如何せん負い目を感じざるを得ない。特に今言ったような、連携を重要とする”e-Sports”を掲げるようなコンペティティブなゲームでは、声を発せないのは致命的だ。
最近はずっとプレイしていたゲームへの熱が尽きたことをきっかけに、それをメインとしていたコミュニティから距離を取り、昔馴染みのCoopゲーをプレイしたり、あるいはガチな対人ゲーにソロで潜ってけちょんけちょんに打ちのめされたりして、”一人でやるゲームの楽しさ”みたいなものを(あるいは孤独に逃げる自分を肯定するがごとく)模索している。実のところは非常に空虚だ。あるゲームを少しやっては閉じる。また違うゲームを起動してはモチベーションを起こせず閉じる。そうして最後は「面白いゲームねえかなぁ」を合言葉に、一日を終える。最たる理由は、腕前にせよアイテムにせよ”友人に見せるべき進歩”を作れないからだろう。文章を書くのが不得意なくせに、こんな雑記を書き殴る奇行に走ったのも、そんなところからだ。
その"少しやっては閉じる"ゲームの中には、冒頭で語った「BF」の最新作、「バトルフィールド1(BF1)」がある。正直に言えば、私はBF1が好きではない…というか嫌いだ。じゃあなんでわざわざプレイするのかと言えば、バトルフィールドというシリーズが、未だ唯一無二のアイデンティティを備えているからに他ならない。

初めてBF3をプレイした時のことはまだ覚えている。マップはTehran Highway、モードはコンクエスト。走り出す戦車や友軍達を見送って、操作すらおぼつかずに拠点でおろおろしていた私の前に、「乗れ」と言わんばかりに(CS版のBF3にはコモローズが無かった)、バギーのクラクションを鳴らしてくれた人がいた。
PS3版はたったの24人しか接続できなかったから、Tehranは三拠点のみの狭いマップだった。バギーの機銃席について、彼と二人で夜のイランを駆けずり回った。サイトすら付いていないM16を抱えて、ひたすら彼の背中だけを追いかけていた。発売日を見る限り、もう五年以上も前のことだ。
そんな景色は鮮明に覚えているのに、その人のIDはもう覚えていない。BF3のために新たに作ったPSアカウントに、初めてフレンド依頼をくれたのもその人だ。だがその後はプレイする時間帯が合わず、いわゆる”空気フレ”になって、その後は一緒にプレイすることもなかった。
それでも、BF3というゲームに、マルチプレイのFPSというジャンルに、ここまでのめり込んだのは少なからず彼のおかげだと思う。そして私が、誰も知らない野良のマルチプレイに「一期一会」という幻想を懐き続けるのも、また同じ理由だろう。
顔も名も知らない連中に一喜一憂してみたり、あるいは急に始まる馴れ合いに乗っかってみたり…勝利だけを見つめたランクマッチに勤しんでいると、臨場感とは裏腹のそういう"ぬるさ"に、今でも郷愁を覚えてしまう。

まあ正味、BF1が最後まであんな感じだったのを見る限り、BF5の出来もあんまり良くなりそうにない。またチーターに溢れるかもしれないし、マップもろくなものじゃないかもしれないし…
それはわかっている、それをわかっていても、未だ期待を捨てられない自分がいる。他のゲームでボコボコにされ、プライドをずたずたに打ちのめされた時、「俺にはやっぱBFだな!w」なんて口走ってしまうことがある。
だいぶ歪んだ愛にも思えるが、私にとってBFとは、そういうゲームなのだ。