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私には小学生に上がる前の記憶がほとんどない。驚きにあふれた世界で、子どもらしく生きること。

聾学校幼稚部の年長のときだったと思う。
教室の棚にセロテープがあった。セロテープの歯にそっと人差し指の腹を当ててひっかくと、うっすらと縦何本かのひっかき傷ができる。だが血は出ない。
これを「発見」した私は興奮した。この驚きを誰かに伝えたかった。近くに、1つ下の子がいたので呼び、喜び勇んで教えた。その子も、おおおと驚き、セロテープの前で、2人で興奮していた。

幼稚部にはホールがあって、ホールに3つの教室が面していた。教室への出入りには、ホールを通ることになる。
セロテープ「発見」が落ち着いて、「発見」を一緒に楽しんでくれた子と2人教室を出たら、ホールには、子どもがみんな半円形に並んで体育座りをしていた。その円の中心にM先生が立っていて、みんなが自分たちを見つめ返してきた。

あ・・・

私たちは集合に遅れてしまったのだ。
怒られる怒られるぶたれるぶたれると思いながら、私たちはおずおずとM先生のところまで歩を進めた。M先生は無表情のまま、私たちを順々にぶった。

ぶたれたその後のことはまったく記憶にない。
私と一緒にセロテープの「発見」を楽しんでくれた子は、私の巻き添えになってぶたれたことになる。誰かも覚えていない。男の子だったか女の子だったかも。

その後、私は幼稚部を卒業し、小学部に進学した。
幼稚部は1階にあり、小学部中学部の教室は2階にある。幼稚部への入口は、大きな二枚の観音開き扉になっていた。その扉をあけて、ホールに入り、ホールを通過して各教室に入る。
小学生の教室がある2階に上るには、その観音開き扉の手前で、左に折れて階段をのぼらなければならない。
小学生になってからも、しばらくは、階段は急ぎ足で登った。うかうかしていると、その幼稚部扉がいきなり開いて引きずり込まれてしまうような気がしたからである。

小学1年生になったばかりの頃、担任の先生が「そんなこというなんて小学生じゃないよ。ようちえんだよ。また幼稚部に戻すよ」といった。おそらく冗談だったろう。
だが、私は私は言い知れぬ恐怖を感じて、嫌だ嫌だ!と激しく首を振った。
あんなところにまた戻されるなんて想像するだけでも怖かった。

幼稚部の怖さは、そのままM先生の怖さだった。ほかの先生もいたが、M先生が一番ぶつ回数が多かった。周囲の子も口を揃えて、M先生は怖かったという。M先生に怒られないようにすることが、当時の自分にとっては大事であった。

小学生になって私たちは校庭で遊ぶ自由を得た。幼稚部のときは校庭で遊んだことがない。だがこれは、私がただ忘れているだけかもしれない。
校庭で遊ぶときも、校舎もとい幼稚部には距離を置き、近づかないようにしていた。これも、階段を駆け上ったのと同じ理由で、近づくのが怖かったからである。

小学生高学年になって、M先生は転勤していった。
同じ聾学校後輩がその後、高校生になってから偶然M先生と再会したのだが、体がすくんでしまい、顔をまともに見られなかったという。

聾学校を卒業して10数年後、私に子どもができた。
子どもとともに、自分は、自分の子ども時代をやり直した。

お月様がきれい!と言われれば、満月の美しさを自分も初めて知ったかのように、二人で夜空を見上げ、堪能した。
路傍の石ころの形の不思議さに、二人で見入った。
幼稚園からの帰り道、探検気分でわざと細い路地を通り抜けて手をつないで帰った。
世界は驚きにあふれていた。

子どもと一緒に過ごしていくなかで、セロテープの「発見」を思い出した。セロテープの歯に心ときめかせた6歳の自分のことを、それまで自分はすっかり忘れていた。

自分の子どもや誰かに教えてもらったものではなく、自分自身で見つけ出したものが、自分が気づいたものが、自分にもあったんだなと思った。

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